極道タピオカ物語 〜ヤクザ、タピオカはじめました〜
OK Saito
前編「吉田、タピれ!」
吉田達也、24歳。関東から九州北部までの広いエリアに渡って暗躍する悪名高き指定暴力団豊岡組の若手組員である。川崎・横浜地区を管轄する神奈川東支部に所属する彼はこの日、都内某所の豊岡組関東本部に呼び出されていた。
繁華街の裏通りに関東本部の事務所はあった。事務所の中ではカタギみたいなスーツを着た感じのいい組員が案内をしてくれた。
吉田はただならぬ緊張感を感じていた。一階のヒラ組員が関東本部に呼び出されることなど通常はあり得ない。そもそも普段は関東本部に立ち入ることすら許されていない。自分はなぜ呼び出されたのだろうか、自分でも気づかぬうちに何か大きな失態を犯したか、あるいは、神奈川東支部の誰かを関東本部が消そうと考えていて、自分をその工作員に仕立てたいのか…。
などと考えながら、その組員についていくと「関東本部長室」と書かれた札が掲げれた部屋の前にたどり着いた。「こちらになります」と言って男は扉を開いた。吉田達也、7年間の暴力団員生活で初めての関東本部長への謁見である。
真紅の絨毯に大きく「人情」としたためられた書、その部屋の奥にその男はいた。豊岡組ナンバー3関東本部長、黒澤龍一。昭和末期の大闘争、暴力団員300名以上の犠牲者を出した豊岡組と佐川組の争いを見事収束へと向かわせたことが評価され、広島支部のしがない一組員から一気に幹部に抜擢された相当な手腕の持ち主である。豊岡組のみならずこの世界で彼を知らない者はいないと言っても過言ではない。
黒澤は案内してきた組員に「下がっていてくれ」と言って、部屋を自分と吉田と二人だけにした。吉田の緊張は最高潮に達した。
「黒澤本部長、お、お目にかかれて光栄です。神奈川東支部の吉田達也と申します」
「おう」
「本日はどのようなご用件でお呼びでしょうか」
「ああ、単刀直入に言おう」
黒澤は凄みのある声でそういうと、吉田の目をジッと見つめて言った。
「吉田、タピれ!」
「え…」
「タピオカをやれ、吉田、できるな!」
吉田は想像していたのとは全く異なる黒澤の発言に意表を突かれて大いに戸惑った。というか、意味がわからなかった。
「すみません、黒澤本部長。タピオカってどういう…」
「お前はタピオカを知らないのか」
「いや、タピオカは知ってます」
「それをやるんだよ、お前が。お前がタピオカの店をやるんだよ!」
「ええぇ、な、なぜ、ですか?」
「とにかく、開店は2ヶ月後の7月15日、いいか、わかったな。返事は!?」
「は、はい」
「帰ってよし」
ヤクザである自分がタピオカを売る? 吉田には全くその意味が理解できなかった。吉田は帰りがけに開店資金として手渡された300万を入れたクラッチバッグを大事に抱きかかえて満員電車に揺られて帰路に着いた。
吉田はひとまずタピオカを飲んでみることから始めた。というのも吉田はタピオカを飲んだことがなかったのだ。黒澤から出店の命を受けた翌日、彼はひとり原宿へと向かった。竹下通りを歩くとあまりのタピオカドリンク店の多さに驚いた。右も左もタピオカタピオカタピオカ…。とりあえず「タピタピランド原宿店」という店の列に並ぶことにした。
吉田は列に並びながら考えていた。どうしてこんなに並んでまで、何の変哲も無い飲み物とあのつぶつぶを欲するのか? 理解できない。ミルクティーや抹茶ラテが飲みたいならこんなに並ばなくても良いだろう。もしや、あのつぶつぶに大いなる価値を求めて何十分も並んでいるのか? ならなおさら馬鹿馬鹿しい。そういえば、最近、ツイッターやらインスタやらに嬉々として画像をアップしている連中がいる。あれも何が楽しいのか? さっぱりわからん。
高校生や若いカップルたちに混ざって行列に並んで25分、吉田はやっと列の先頭に到達した。
「いらっしゃいませ、こちらからドリンクの種類をお選びください」
「は、はい…」
吉田はメニューを覗き込んだ。ストレートティー、レモンティー、ミルクティー、カフェオレ、抹茶ラテ、キャラメルオレ…、それから、ストロベリー、ブルーベリー…ええっと…どうしよう、どれにしよう。こんなに種類があるものなのか。ううん…。
「当店のオススメは、スペシャルロイヤルミルクティーになります」
「あ、じゃあ、それで」
「タピオカ、増量無料ですけど、どうします?」
「あ、じゃあ、お願いします」
店員に言われるがままに注文し代金600円を支払い吉田は初めてのタピオカを手にした。それまでタピオカ、並びにタピオカを求める人々に対して抱いていた軽蔑や偏見を一度胸の奥にしまい、純粋な気持ちでタピオカに向き合おうと心に誓ってストローを口にくわえた。
意を決してミルクティーを吸い込む…。するとなんとおいしいことだろう! 今まで飲んできたミルクティーの中で最も美味なものだと自信を持って言える。口に含んだ瞬間にふっと鼻に抜ける気品溢れる茶葉の香り、甘すぎないけれどしっかりとスイーツ的側面の役割を果たす甘さ、そして、あっさりとしすぎず、だからと言ってしつこくもない、舌の上でしっとりと馴染んでいくような絶妙なミルキー加減。
次は、タピオカ本体を…。吉田はタピオカに狙いを定め、口の中まで吸い上げる、そして咀嚼。…なんだこれは! なんだこのモチモチ感、これまで感じたことがない食感だ。美味しいを通り越してもはや楽しい…。これは単なる飲み物ではない、まさに新時代のエンターテインメントだ!
ミルクティーとタピオカの至高のコンビネーションによってお口の中はビッグバン、広がる小宇宙はとどまることを知らずに拡大し続ける! はぁ、こんな飲み物がこの世に存在することを全く知らずに生きていたなんて。俺の人生の24年間はなんだったのか!
吉田が気づいた時にはもう、インスタにあげられるほどタピオカは残っていなかった。
吉田は研究に研究を重ねた。渋谷、原宿、新宿、池袋、下北沢、吉祥寺…。毎日のようにタピオカドリンクの店を渡り歩いた。メニューのバリエーション、ドリンクの作り方、タピオカのモチモチ度、ストローの太さ、お店のデザインセンス…。彼はそうして調べたタピオカのありとあらゆる事柄を何冊ものノートにまとめていった。
研究の一方で吉田は開店準備も着々と進めていた。「吉田タピオカノート」の第27項目、「タピオカ人気店出店場所の関する調査とその研究」に基づいて、目立ちやすい建物の角、「見せる行列」を作り出せるスペースがある場所、などなどの人気店になる条件をクリアできるようなテナントを探し出し、高田馬場駅前の繁華街の一角を確保した。
店舗の外装並びに内装、調理設備は、吉田の知らぬ間に黒澤関東本部長が豊岡組グループの建設会社豊豊建設に施工の依頼を出していた。施工の初日、豊豊建設の小野社長は言った。
「黒澤さんにさあ、いい店こしらえてやれ、って言われてさ。黒澤さんの言うところの『人情』ってヤツだよ。男だよなぁ、あの人は」
単に黒澤の「タピれ」の一言でタピオカの店を出すことになったという経緯を忘れるほどタピオカにのめり込んでいる吉田は深く深く感動した。
「俺、もう、本当にうれしいです…!」
「この恩に報いるために一所懸命やれよ」
「はい、必ずこの店、繁盛させます!」
そうして、7月初旬、内外装、各種設備、提供メニュー、オープニングバイト研修、全ての準備が完了した。
7月14日、開店を翌日に控えたこの日は関係者を招いてのプレオープン。小野社長をはじめとした豊豊建設の社員や吉田の所属する神奈川東支部の支部長やその他組員らが高田馬場の店に集まった。関東本部の例のカタギみたいなスーツを着た組員も来てくれたのだが、関東本部長黒澤の姿はなかった。
「えー、お集まりいただき大変ありがとうございます。皆々様の義理人情のおかげさまでやっと明日、オープンを迎えることができます。本日は、ぜひわたくしの渾身のタピオカをご賞味ください」
事情を知らないバイトの女子大生たちは目の前に群れをなしている黒づくめの男たちにおそるおそるタピオカドリンクを作って手渡した。
「吉田店長、あの人たちって…」
「ええっと、本社の人たちだから怖がらなくていいよ」
「はぁ…。え、てか、あの人、小指なくないですか…?」
「何言ってんの? あるじゃん」
「え、あります…?」
次々と入るオーダーにせわしなく動き回る吉田にカタギっぽいスーツの彼がタピオカ片手に近づいてきた。
「これ、最高ですね。タピオカってこんなにおいしいんですね」
「でしょう、一から全部研究しました。でもこうして最高のタピオカをみなさんに振る舞えるのも、全部黒澤本部長のおかげですよ」
「ああ、今日、黒澤本部長来たがっていたんですけど、総本部で会議があって今朝飛行機で福岡に飛んじゃったんですよ」
黒澤本部長にぜひ飲んで欲しかったんだけどな、吉田は静かにため息をついた。しかし、そんな少しの寂しさに耽る暇もなく、組員たちの注文が続いた。
そして、開店当日。カラッと晴れてまさに絶好のタピオカ日和である。オーダーを受けてからドリンクを作り提供するまでの一連の流れの最終確認をしたり、ポイントカードやクーポン券の準備をしたりと10時の開店に待ち合わせるために吉田もバイトも大忙しである。
そんな中、一台のトラックが店の前に止まった。発注した今日明日分の食材はもうすでに届いているし他に何か備品の不足もないはずだけどな、と吉田は不思議に思って表に出ると、荷台から大きな花のスタンドが下されてきたのが目に入った。
「これ、こちらのお店宛なんですけど」
「え、え」
「店長さんですか? このスタンドのお花、3つですね。サインお願いします」
「は、はい」
そうか、開店のお祝いの花か、いよいよ本当に開店なんだな…。誰からだろう、ええっと、「神奈川東支部 支部長笹野潤」と「豊岡ホールディングス 会長豊岡行人」って組長じゃないか、というかなんだ豊岡ホールディングスって。それで、最後のひとつは…。吉田は、ハッとっした。そう、最後のひとつはあの黒澤からだったのだ。
もちろん、それは形式的なものかもしれない。それでも、それでも吉田はうれしかった。自分を見込んでくれた憧れの人から花が届いた、それがただただうれしかったのだ。
そして、その瞬間がやってきた。10時の開店予定だったが、30分前ごろから列ができ始め10分前にはもうすでに長蛇の列になっていた。そこで吉田は予定を早めて開店の挨拶を始めた。
「みなさま、大変お待たせいたしました! 少々予定を早めまして『ハッピーショップ タピ岡』を開店いたします!」
お客様第一号は、女子高校生の2人組。ひとりは看板メニューのタピオカミルクティー、もうひとりは京都は宇治から取り寄せている本格抹茶で作るタピオカ抹茶ラテ。ふたりは一口飲んで、「うん、うまい」「すごいおいしいこれ」と言い合いながら、スマホでパシャり。とても満足そうに街へ繰り出していった。
吉田はその光景を見てうっすらと涙を浮かべていた。これまでの吉田の人生は悲しみ、孤独、絶望の連続だった。
小学生の頃、親が離婚、母親っ子だった彼だったが、母親は家を追い出され父親とともに暮らすことになった。彼の父親は、もともとあまり家にいない人だった。それが離婚後、さらに家に帰ってくることが少なくなり、彼が中学を卒業する頃には完全に失踪状態になった。中学卒業後は、バイトをして生活費を稼いぎながら一人で生きていこうとしていた。しかしある日、住んでいた家が差し押さえられた。行き場を失い絶望する吉田。そんな彼に居場所をくれたのが、今の支部長笹野だった。
そうして7年が経ち、もちろん、大変なことばかりではあったけれど、こうして自分が本当に打ち込めることを見つけ、人の笑顔を作る仕事ができている。そんな巡り合わせに吉田は言葉では表すことのできない何か大きな感動を覚えた。これが自分の人生の幸福なんだ、吉田はそう確信したのである。
営業初日は大盛況のうちに終わった。売り切れるか心配だったタピオカドリンクも閉店時間の4時間前の午後5時には完売した。それからというもの連日「ハッピーショップ タピ岡」は大繁盛だった。
開店から1週間たったある日、夕立でお客が減ったタイミングで吉田は店の裏の厨房で新メニューの開発に取り組んでいた。開店直後が大盛況だからと言って気を抜いてはいけない。お客はすぐに飽きる。常に新しいものを生み出し続けていかなくては、生き残っていくことはできない。吉田はそう考え、夏に飲みたい爽やかなタピオカドリンクをあれこれと試していた。そんな中、雨音に中に客と女子大生のバイトのやりとりが聞こえる。お客はどうやら50過ぎのおじさんのようだ。
「タピオカミルクティーひとつ」
「はい」
「ああ、それからここの店長はどうだ」
「え、吉田店長のことですか…。そうですね、なんというか本当にタピオカが好きなんだなって感じですね。たまにそのタピオカ愛が暴走しちゃって」
「そうか、ありがとう」
吉田はその客の声に聞き覚えがあった。誰だ、聞いたことがある、凄みのある声…、黒澤本部長、黒澤本部長だ! 吉田は持っていたボウルを放り投げ、店を飛び出した。しかし、それぞれの場所へ急ぐ人混みに黒澤の影はなかった。激しく雨がアスファルトに打ちつけていた。
この時、吉田はまだ彼の身に降りかかろうとしている恐ろしい不幸について何も知らないのだった。
《後編へ続く》
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