苦渋味わう皇帝(エンペラー)③

 アキバ街。森の中にある、近代日本を模した都市。

 当然、秋葉原の一画をコピーした様なその街には、駅はあれど、線路は寸断されている。


 電車の行き来など出来ない高架線路の上に立つ、中央線の車両。その一つが、男の住まいであり、店舗だった。

 電気の通らない電車の自動ドアを手動扉に改造し、車両のシートを取り外して棚に変え、吊革を取り外してある、そんな店舗然とした内装になった車両の中で、男はぼんやりと、秋葉原の町並みを見下ろしていた。

 パンの焼ける香ばしい香りが、車両内に漂う。


「さて……」

 そう呟いた瞬間、ドアベルが鳴り、珍しい客がやってきた。


「おっ、ウグさん。今日はいたな。昨日は朝から居なかっただろ」

 無精髭を生やし、整える気のない髪型。サギョウギという異世界の服を身に纏った男。腰に提げた剣は彼の愛用品で、もう何十年も使っている物だった。


「ああ。昨日は配達が沢山あってね。繁盛していて嬉しい限りだよ。しかし珍しいな。庵野将軍が、朝から私の店に来るとは」

 ウグさんと呼ばれたパン屋の男は、庵野を将軍と呼んで片頬を持ち上げた。


「そりゃあ、百年前の肩書だぜ。ウグさん。あんただって……いや、ウグさんはウグさんだな」


「そうだ。今の私は鶯谷健人。ただのパン屋のオヤジだよ」

 鶯谷は庵野の苦笑いを見て、少し悲しげな表情をした。


「タメ口にすると決めて、もう10年か……ウグさんもいい加減、俺を将軍って呼ぶのはやめてくれよな」

 庵野は頭を掻いて照れくさそうにした。


「ああ……気を付けるよ……で、パンを買いに来ただけじゃないんだろう?」


「ああそうだ。今日はちょっと頼みがあってね」

 庵野は鶯谷の焼いたフランスパンを手に取り、コインをポケットから取り出してカウンターに置くと、パンを頬張りながら話しだした。


「花代ちゃんの家に、定期的にパンを届けてやって欲しいんだ」

 庵野はまるでなんでもないかの様に話したが、鶯谷はその話を聞いて眉間にしわを寄せ、渋い顔をした。


「山田花代の家? なんでまた」


「最近、結界がダメージを受けてな。あの子はまだ子どもだ。自分が預かってる命の多さと重さがはっきり見えてないし、それを彼女一人に背負わせるものでもない。だから、大人が見守ってやらないと……と、思ってさ」

 庵野は申し訳なさそうな表情をして、その後すぐに真顔になって鶯谷の顔を見据える。


「だから、頼むよウグさん。彼女を、見守ってやってほしい」


「庵野……それは、このアキバ街の防衛の根幹である少女の家の場所を教え、彼女を私に任せる、と言っているんだよな?」


「ん? そうだよ。何かまずかったか?」

 庵野はニヤリと笑みを見せる。


「まずい事しかないだろう。そもそも、このアキバ街を守る結界が、一人の少女の異能で成り立っていることを知る者すら少数だ」


「だから、それを知るウグさんが彼女の家に定期的に行って、見守ってやりゃあいいって言ってんだよ」

 庵野は軽く笑っていた。


「私が何者なのかを知っていて……その提案はありえない、と言っているんだ」

 鶯谷は渋い顔のまま、庵野を睨む。その体から、うっすらと紫色のオーラがにじみ出る。


「ウグさん。〝呪い〟が見えちまってるぜ」

 庵野が苦笑いをすると、鶯谷はハッとした表情になる。そして、彼の体の中に、紫色のオーラが戻っていった。


「……庵野。君と違って、私はこうして呪いの痕跡をふとした時に露呈させてしまう。どう考えても、この街の安全に関わるには、適任じゃあない」

 鶯谷は顔に手を当ててうつむいた。


「いいや、ウグさん。あんたが一番適任さ」

 庵野は鶯谷の肩に手を置く。


「自分の子も、孫も先にいっちまって……それでもまだ生きなきゃならねえ、子孫と顔を合わすことも許されねえ……自殺もできねえ」


「……ああ。それが私への罰だ。やむをえまい……」


「俺と同じ呪いを受けたあんただから、任せられるんだよ──」

 庵野は鶯谷の肩から手を離し、ふっと微笑む。


「──我が王、オリグリン・マクスウェルよ」

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