被害者に吊るされた男(ハングドマン)③
阿房がアーノルドとして過ごし数ヶ月経った頃、庵野からの遣いが彼の前に現れた。
「そろそろ、一旦引き揚げて欲しい」
「……あまり、良い情報は得られていませんよ」
阿房は正直に現状を答える。
「いや。君の異能……えーと。相手を気絶させる力だったか? それが必要らしい」
「……なるほど。分かりました」
阿房の能力。
相手を気絶させる力と、庵野には伝えていた。
実際は全く違う。
しかし、それで良いと阿房は考える。
こんな物騒なチカラ、庵野は望まないだろうから。
「いきなり故郷に帰るって言うんだもん、寂しくなるよ」
バーの一角。ラムダが寂しげな顔を阿房に向ける。
「ごめん。父が体調を崩したみたいで」
阿房は苦笑いを作る。
「そっかぁ。なら、仕方ないよな。なぁに、俺も元々、レナルヴェートの商人だ。どこにだって行くよ。そのうち、ここも出てお前の故郷に顔を出すさ」
ラムダは寂しげな顔のまま、微笑んだ。
「オイオイ、俺様が座りたい席に、我が物顔のゴミが二匹いるぞォ?」
不意に後ろから声をかけられて2人が振り返ると、以前、2人を椅子から引きずり降ろした後、原因不為の病で急死した男と、よく似た体格の男が立っていた。
「……」
阿房は黙って男を見上げた。
「なんだオイ。生意気な顔してやがるなぁ。そんなヤツぁ、こうだ!」
男が腕を振り上げた。
「や、やめてください!」
ラムダが男と阿房の間に割って入る。その脚はガクガクと震えていた。
「ラムダ……」
「あぁ!? テメエから死にてえか! お望み通りにしてやるよ! オラ!」
「ひえっ……」
男の振り上げられた腕が、ラムダの肩に思い切り振り下ろされ、彼の肩に直撃──
──しなかった。
「お?」
男は空振りした反動でバランスを崩し、軽くよろめいた。その脚を、ラムダがローキックで払う。
「うおっ!」
男は尻餅をついた。
「テメエやりやがっ……」
男がラムダを見上げると、彼の瞳は異様に見開かれ、開ききった瞳孔がランプの灯りを反射して鈍い光を放っていた。
「ん゛お゛お゛お゛ん!」
妙なダミ声と共に、ラムダは男の襟を掴んで引きずり、表に向かってズンズンと歩いていく。
「ちょっ、なにしやがる、くっ……なんて力だ……!」
男はラムダの腕を掴むが、全く振りほどける気配がない。
「に゛ぁぁあああ!」
ダミ声で叫んだラムダは、バーのドアに男の体をぶち当てて破り開けた。
「ぐおっ……」
石畳に倒れる男を無視して、ラムダは店の前に置いてある商売道具の荷車の中を漁っていた。
男はよろよろと立ち上がり、首をブンブンと振って気合いを入れ、ラムダに突進する。
「ふざけたことしやがっ……ぶへぇ!」
男は顔面に巨大な衝撃を受けて後ろに吹き飛び、さきほどまで自分が倒れていた場に再び倒された。
倒れた男に近づくラムダ。
その手には、彼の小柄な背丈と同じだけの大きさの、大木槌が握られていた。
「がはっ……ゴホッゴホッ! クソ野郎……ぶっ殺す!」
男は再び立ち上がってナイフを取り出し、ラムダに向かってナイフを突き出す。
しかし。
「ん゛に゛ゃお゛お゛お゛ん!」
圧倒的暴力の前に小さな暴力を振りかざしたとて、波に向かって水鉄砲を撃って止めようとするのと同じ。
小柄な青年の振るう大木槌は、大男のみぞおちに、彼の人生で最大にして最期の衝撃を与えた。
「ごぼっ……」
大男は口から大量の血液を吐き出し、地面に伏した。
「らっ、ラムダ!?」
慌てて飛び出した阿房だったが、時既に遅し。
「……ハッ! や、やっべぇ……あ、アーノルド……俺ぇ……やっちゃったよぉ……」
正気に戻ったラムダは、涙目で阿房を振り返る。しかし、ラムダの涙は一瞬で引き、青ざめた顔になっていた。
阿房があまりにも……愉悦に浸った表情をしていたからだ。
「クク……ラムダ、君は最高だ! 早く荷台にこいつを乗せて! 逃げよう!」
「えっ? あっ? おぉ?」
ラムダは阿房に言われるまま、男の死体を荷台に乗せ、2人で街の外れまで逃げた。
「はぁ……はぁ……ここまで来りゃ、大丈夫かなぁ……」
「いや、元から大丈夫かも。こいつの顔をよく見て」
阿房は死体の首を180度回し、ラムダに顔を見せる。
ラムダは阿房の乱暴過ぎる死体の扱いに一瞬身を引いたが、男の顔を見て、目を見開いた。
「こっ、こいつ……」
「ガリリュースから逃げてきた、お尋ね者だよ。見覚えがあると思ったんだ。手配書の絵とそっくりだね」
阿房はケラケラと笑った。
「じゃあ……?」
「手配書の内容はデッドオアアライブ。合法だよ」
阿房は笑いながら、ラムダの肩を叩いた。
「なぁんだよぉ……」
ラムダは安堵で腰を抜かし、荷台に背を預けてその場に座り込んだ。
「ハハハ……良かったね、ラムダ」
「いいのか悪いのか……ダメなんだよ俺。追い詰められると……キレちまって、ああなる……大木槌は自衛用のハッタリのつもりだったのに。もう、捨てなきゃ……」
ラムダは立ち上がって、死体と添い寝する大木槌を忌々しげににらみつける。
「いや……そのままがいいよ。僕は、ラムダに生きてて欲しい。その木槌があれば、無敵だろ?」
阿房はラムダにウインクをして見せる。
「……うーん……」
「とにかく、都合よく目的の方向に来たことだし、僕は行くよ」
「こ、この死体は!?」
ラムダは死体を指差して阿房に詰め寄る。
「街に戻って、素知らぬ顔で衛兵に引き渡しなよ。儲かるぞ」
「いいのかよ? かなりの額だったはずだぞ!?」
「ラムダが一人で倒したんだ。元から僕には、権利はない」
阿房は肩をすくめる。
「そ、そうか……? じゃあ……ここで、一旦お別れだな」
「また、会えるといいね」
阿房はラムダに手を差し伸べる。
「ああ」
ラムダは阿房の手を固く握った。
そして、阿房はレジスタンスの元へ戻り、ラムダはトンブライの首都に残った。
全ては運命が定めた事。
この2人が友人でなければ……
あるいはこの時、町外れの小屋の中から2人の青年をモデルに絵を描く男さえいなければ……
国は、滅びなかったのかもしれない。
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