絶望と踊る恋人(ラヴァーズ)②

 出立の日。


 小豆山は馬に乗ってマクスウェルを目指していた。

 マクスウェル城下町に着けば、仲間が偽りの身分を用意してくれる手筈になっている。


 王宮御用達の、幹部用茶器の選定人。それが小豆山のかりそめの姿となる。


 マクスウェル王宮では、年に何回も大々的な茶会が行われる。幹部用の茶器は、年に1度、選定人によって新しいものが選ばれ、与えられる。幹部達は思い思いに選定人にオーダーを出し、自慢の茶器を用意して茶会に臨むのだ。

 そのため幹部達は、選定人自身を品定めする事がある。良い茶器を見抜けない者はお役御免。下手を打てば、スパイとして断罪される事もある。


 そこに、茶器選定人として潜り込む力があるのは、小豆山をおいて他にいない。幹部が小豆山を試しても、彼のチカラがあれば、その場を切り抜ける事など容易い。


 小豆山は庵野の言葉を思い出していた。


 ──小豆山さん。アンタの能力は戦闘に向かない。戦闘力も悪いが下の下といったとこだ。だが、今回の任務はアンタにしか出来ないんだ──



「庵野サン……随分、買い被ってくれたもんだなァ。俺ぁ、まだアンタも……いや、誰の事も信じられてないのに。嘘つきはこれだから嫌だね……」

 小豆山は森の中を駆け抜ける馬の上でそう、呟いた。


 夜中に小豆山がマクスウェルに着くと、早速トラブルが発生していた。


「こりゃあ……どういうこった……」


 行商人を偽って、城下町近くに馬車を停めていた仲間達の死体が、荷台の中に転がっていた。


 小豆山は慌てて庵野から預かった信号弾を構えるが、後ろに気配。すぐさま振り返ると、そこには妖しげな笑みをたたえる紳士が立っていた。


「信号弾か。君も、庵野の仲間かね」

 紳士は荷台の中を一瞥して、気にもとめずに小豆山に向き直る。


 この男は危険だ。


 小豆山の本能が告げる。


 脚が震える。


 信号弾を天に打ち上げて何になる?


 どうする?


「アンノ? 誰だい、そりゃあ? それより見てくれよ旦那! 商人さんが死んじまってる! こりゃ強盗だ! 早く憲兵に通報を!」

 小豆山は荷台を指差して、大袈裟に驚いた顔を紳士に向ける。


「なるほど、これは酷い。誰がやったのやら……」

 紳士は荷台を覗き込んで、ニタリと微笑んだ。


 小豆山の脚の震えは増していく一方だ。


「あ、あの……旦那は……何者で……? 通報しなきゃサ……俺が行ってくるよ!」


「まあ待ちなさい」

 紳士は小豆山を引き止めた。小豆山はなぜか駆け出す事が出来ず、震えた脚のまま、紳士の方を向く。


「もう、死んでからしばらく経つ様だ。通報は後でもいいだろう。それより君は、何者かな?」

 紳士は小豆山を見て優しく微笑んだ。


「お、俺ぁ茶器の選定人でして……幹部の皆さんからご注文を伺いに……」


「ほう、それはそれは。ちょうど良かった。申し遅れましたな。私はこの国で摂政をしております、センダギと申します」

 紳士は恭しく一礼して、小豆山に不敵な笑みを見せる。

 彼の瞳には何も映らない。


「お、おお……そいつぁ奇遇ですね!いやぁ、摂政殿だと分からなかったもんで、あんたがやったものかと思ってビビっちゃいました」

 小豆山は恐怖を押し殺し、得意の嘘でこの場を切り抜ける事にした。


「ははは。国の政に携わる私が人殺しなど……一度もした事がありませんよ」

 そう言って朗らかに笑う紳士の瞳には……


 紅蓮の焔を纏った、真っ赤な「嘘」の字が、くっきりと刻み込まれていた。


「ヒイッ……」

 小豆山は思わず後ずさる。


「ほぉ……なるほど。何か見えたかな? 思った以上に……良い能力を持っている様だ……」

 紳士は小豆山に近づいた。


「のっ、能力? 何のことで?」


「隠す必要などない。そして、流司……いや、庵野が考える様な重大な秘密など、ここには存在しない。全て私が君をここに呼ぶためにやった事だ」

 紳士の瞳から紅蓮の焔がふっと消え去る。


 嘘では、ない。


「俺を、呼ぶため?」


「その通り。庵野たち日本人レジスタンスは我々を滅ぼそうとしている。しかし考えてみたまえ。マクスウェル摂政のこの私は、日本人なのだよ?」

 センダギは両腕を広げて天を仰ぐ。


「ニホンジン? 異世界人の事ですかね?」

 自分が日本人だとバレるわけにはいかない。小豆山はとぼけた。


 小豆山は、レジスタンスメンバーからはマクスウェルの摂政には近づくなとだけ言われていた。その理由を聞けば……何か意図的な嘘があったのか分かったのかもしれない。


「まだ嘘をつくか。仕方ない。真実をいくつかお伝えしよう」


「い、いや、俺には何のことだからさっぱり……」


「奴隷にされずに、五大国で活躍する日本人はたくさんいる」

 センダギの瞳には何も映らない。これも、事実。


「でも奴隷にされてるのは、異世界人だけなんじゃ……」


「いやいや。それは、君の目で本当に確認したのかね? 少なくとも我が国やガリリュースの奴隷階級には、日本人以外も存在する」

 紳士の目には何も映らない。これも……事実だった。小豆山は驚愕する。

 嘘を見抜けるはずの自分が、仲間に騙されていた。そう、思った。


「そんな……」


「そもそも、日本人が皆奴隷にされるという話は、誰から聞いた?」

 センダギは目を細めて小豆山を見つめる。彼の背後はちょうど馬車の荷台。小豆山の目には紳士が、死体を背負っている様に……紳士の奥に、地獄がある様に見えた。


 脚の震えはまだ止まらない。


「そ、そりゃ……が、学校で習って……」


「いいや。レジスタンスの連中から聞いたのだろう? 彼らは我ら五大国を潰して、自分達が世界を支配しようとしているのだ」


「そんな……こと、は……」


「現世人の使う魔法とは異なるユニークな異能。君もそうだ。異世界人は便利なんだ。それをかき集めて強固な軍団を作る。そのためには……思想統一。そう。我ら五大国を目の敵にするのが一番楽だからな!」

 センダギの瞳には、何も映らない。


「そ、そんなわけ……」


「いいんだよ。私は、君を殺す気はない。ただ、君があの連中とつるんで何になる? 護衛もあんなに軟弱な連中で……君だって戦闘力もないまま、一番大きな敵国に送り込まれて……ああ、私なら君のチカラをもっと有効に活用するのに」

 センダギの目には、一切嘘が映らない。


「……あんた、庵野サンを潰す気なのか?」

 小豆山はセンダギの目をじっと見つめる。


「……流司は親友だった。いつだったか……私はヤツと対立し、この手で流司に呪いをかけたんだ。後悔しているよ。こんな事になるなんてね。だが今の私は流司を、この世界にやってきた皆を……解放してやりたい。ただ、それだけなんだ」


 紳士の切なげな瞳の中に……嘘の文字は、一切浮かんでこなかった。


 紳士は、小豆山に手を差し出す。


「……そのために、君の力を借りたい。協力してくれないだろうか」


 小豆山は、差し出された手を取った。

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