第37話 山の暗い吐息が降る
源太はおつかわし屋のあの憎たらしい娘の顔をを探して、一人一人じっくりと覗き込んでいた。
忘れるはずもないあの憎らしい顔は、攫って来た娘達の中に見当たらない。
無性に腹が立つ。
「何でぇ、居ねえじゃあねえかっ。化かされたのかっ、化物どもがっあああ」
荒々しく吐き捨てる様な物言いに、お花は目を合わせてはいけないと、顔を背けた。
源太は、もぞもぞと自分を怖れて動く若い娘の様子を見てご満悦となり、嫌がる若い娘の髪を引っ張り、しげしげと綺麗な横顔を見つめていた。
目を合わせようとしないお花に、益々ご満悦の源太は、うへへと怖気る様な声を出して笑う。
「てめえ、俺が怖いかぁ。娘。ほうれ。俺の面よく拝めっ。拝むんだよっ」
嫌で怖くてしょうがないお花は、感情も丸出しに顔を歪めた。
余りにも嫌がるその様に、カッと来た源太は、加減の無い平手打ちをお花へと食らわした。
「んっんっ…」
猿轡をされ悲鳴も出せず、身を捩るお花。
両足首をきつく縛られ、膝のみでもがくと着物の裾が大きく割れてはだけた。健康的な溌剌とした内太腿が露わになり、陽の光の下に弾ける。
源太の目付きが、加虐の残酷性も相まって、ぎらぎらとした獣の眼に代わった。
「娘。俺がたっぷりと男の味を教えてやる」
お花は、臭い息をしながら、加虐の歓びに溢れた酷薄な笑いを、浮かべているこの男に、心底怖気を覚えた。
実際に身体が粟立ち、震えたのである。
こんな奴に、こんな奴に敗けるくらいなら、いっそ……。
お花は猿轡を噛みしめ、意を決した。
(藤次郎さん、もう一度逢いたかった。父ちゃん、母ちゃん、弟妹達の事、宜しくお願い。お市ちゃん、御免。あたし、あたしは……、死んでもこんな奴に負けたくはない)
源太はニヤニヤしながら、恐怖に慄き、泣きべそをかいているその顔を拝むべく、髪の毛を引っ張り、顔を引き上げた。
「おいっ、顔をあげて、大人しく俺を悦ばせろっ。そうすれば生かしておいてやる」
実に楽し気な声であった。
恐怖に引きつり、涙を浮かべた顔を思い浮かべれば思い浮かべる程、堪らない。
だが、次の瞬間、源太は烈しく狼狽えた。
お花は真っ直ぐに睨んできたのだ。
しっかりとした意志の光を湛えた、覚悟を決めた者の眼であった。
あの眼の色。あの何かを決めた顔。
前にも同じものを見た。
つい最近なのか物凄く昔なのかすら、曖昧になる程嫌な思いをした、あの小娘の顔と眼にそっくりなのだ。
片時も忘れた事は無い。
あの魔物の小娘と同じ目付きで、同じ顔色でじっと見つめられ、己の魂を値踏みされている様な錯覚すら覚えた。
「な、な、なぜ、何故、テメエそんな面してやがるぅうっ。なぜだぁああっ」
源太は明らかな恐怖の表情を浮かべると、後ずさりをした。
何で、こんな思いを、何で俺がしなけりゃあ無んねえんだっ。
あの妖怪娘がいけねえんだ。あの妖怪さえ居なければ。
怖い。だが、憎い。憎くて怖い。
源太の心の奥底で、ぱちんと恐怖心と憎悪が弾け、源太の心根を、その魂を塗り固めた。
山の吐息が黒い霧となり、源太の恐怖と憎悪が血と殺戮の想いと混ざり合う。
「何だぁ、こりゃ…糞がぁ。糞があっあああ」
源太は絶叫しながら、自分の中から溢れる憎悪と血への欲望から逃れようと、山の奥へと駆けこんで往ってしまった。
悲鳴をあげながら、逃げ出してゆく源太なぞ気にも留めず、頭のいない山賊達は、娘達に舌なめずりをはじめた。
「へへ、足りねえお頭の割にあの野郎もちったぁ、役に立つじゃあねぇか。少しくらいなら味見してもかまいやしねえな」
「ああ。売り物になればいいんだ。これも役得だ」
獣欲をぎらつかせながら、締まりのない歪な笑みを浮かべつつ、山人の男達は銘々に、娘達を品定めにかかった。
あたりの雰囲気が下卑たものに染まりあがる。
お花は、目線と仕草、身体全体で、這いずって逃げる様に、縛り上げられた娘達に必死で訴えかけた。
ほんの少し、ほんの少し往けば、切り立った断崖のような斜面が続く。底の深い急斜面で、転がり落ちれば、無事では済まないだろう。
だが、少なくとも、此処からは逃げられる。他の娘達も理解すると、意気地の折れていない娘は、必死に斜面へと這いずり始めた。
そんなお花にも、薄汚い熊の毛皮を纏った男が卑猥な顔つきで迫って来ていた。
少しでも、時間稼ぎになれば。
お花はそう考えて、半身を起こし、嗚咽を堪えつつ、必死に男を睨みつけた。
だが、男は「気の強えぇ女は俺の好物だ」と余計に喜んでしまっている。
指先から逃れようと身を捩っていると、うつ伏せにひっくり返されて、背中を踏みつけにされ、息が止まった。
「へへへ、柔らけえじゃあねえか。いい尻もしてんなあ。お前は売るのを止めて、俺のスケにしてやってもいいんだぜ。なあ」
男はそう言って、踏みつけにしながら、お花の躰を舐める様に眺めると、着物をはごうと手を掛けた。
その時、その山人の肉体へ、吸い込まれるように、黒い影が突き立たり、悲鳴も上げず男はどうと倒れて絶命した。
男の喉元には、黒い矢が生えており、寸分違えず、急所を射抜かれている。
直ぐに第二第三の後追いの矢が、飛んでくると、他の男達も、悲鳴すら上げず、急所に黒い矢を生やして、次々と倒れて往く。
途端に山人達は恐慌に陥った。
今の今まで、山に住む自分達に気付かせぬ程、無音で近付き仕留めにかかる。
相手にしてはならない者達が、討ち手として現れたのだ。
元々、乱波崩れの者も多く、町人の十手持ちや山を知らない平地の武士など、取るに足らぬと馬鹿にしているような連中が皆、全てを捨てて、逃げに掛かった。
だが、四方から飛んで来る矢に次々と射抜かれ、その場に居た山人達は、誰一人として悲鳴を上げる間もなく、全滅した。
倒れた男たちの中に、気が触れたようになっていた源太の姿は無い。
お花を含む娘達は、突如現れた違う地獄絵に、只々動けずにいた。
「んーっ、んーっ」
お花は必死に、恐怖に耐えていた。
怖さのあまり、震える上半身を無理矢理起こして、他の娘たちを庇おうとする。
「我等は味方だ。賊徒は皆、屠った故、案ずるな」
「皆、安心しろ。お侍様の力添えを得て、助けに来たぞ」
お花は声を聴いて、安堵の余り、涙を零しておいおい泣き始めた。
おつかわし屋の腕っ扱き、伊平の声であったからだ。そして、その声に続いて、
「皆さん。私共は、松井宿が馬借座を勤めます、おつかわし屋で御座います。近くの山賊達は一網打尽にしました。もう、安心です。落ち着いてくださいませ」
藤次郎の、一番聞きたかった藤次郎の声がする。
お花は聞き間違うはずも無い人の声を聴いて、安堵するとともに、脇へ追いやっていた怖さがどっと戻って来るのを感じていた。
程無くして狩人らしき姿の男が、「おうい、おうい」と弓を片手に振りながら、大きな声で駆け寄って来るのが見え、お花はその瞬間に張りつめていた糸がぷっつりと切れ、気を失った。
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