第8話 頭をひねる

 お市一行は、峠一つ過ぎれば草津という処まで、ようやっと足を入れた。

 もう少しで安兵衛一家の皆が居るという草津へ辿り着く。


 例の代官所の侍の件もあり、道中尾けられていないか、伏せられていないか、充分に気を付けた上である。

 空には数羽のカラスが、草叢にはイタチに狸に鹿といった獣たちが、目となり耳となって、文字通り嗅ぎまわっている。

 気を配って進む辰吉と、獣を友とするお市相手に、後をつけたり待ち伏せできるものはまずいない。


 街道から外れた谷川の畔で一行は荷を降ろし、ホッと一息ついた。

 アオは荷を降ろされた瞬間、ブルルっと嘶くと鼻でお市を突いて、傍から離れるなと念を押し、黒丸を伴い、水をがぶがぶと飲んでいる。

 やや離れた処からは、カワウソが魚をくわえて此方をじっと見ている。


「ありがと。でも、大丈夫よ。自分で美味しく食べてね」

 

 お市がそう言うと、カワウソは魚をくわえて川の中に消えていく。

 笑顔で見送りながら、竹筒に水を汲み上げようとして、近くに投げ捨てられた折れた弓と矢を見つけ、辰吉に話しかけた。


「この辺りは特に賊が多い処よね」


 辰吉がアオの鬣をくしけずりながら、頷いた。


「ああ。真田沼田藩が御取り潰しになってからというもの、ここいらに、山人の賊がめっきり増え、真田のご本家は、分家の後始末に心を痛めたそうだ。沼田藩の元御家老は、中々の出来人でな。町人となった今でも、元配下の侍に元領民相手に、何くれにつけて、面倒を見てくださってるんだ」


「じゃあ、その縁で、お豊さん達も草津に行ったのかしら」


「ああ、その通りだよ。人の縁てぇ奴は神様仏様にしか判らないが、だからこそ面白いし、ありがたいのさ」


 実感のこもった辰吉の横顔を見て、何時の日か色々問い詰めて、聴き出してやろうと、決意するお市であった。

 そこへ、藤次郎が鴉を抱えて現れた。


「姉さん。この仔の具合はどうかな」


「その仔は中々運がいい。羽を怪我はしているけれど、骨にも酷い障りは無いし、暫く面倒看たら直に良くなると思う」


「そうか。良かった」

 

 ほっと胸を色々な意味で撫で下ろす藤次郎。

 鴉の具合で安心する弟の表情を見て、ちょっと嬉しくなってしまったお市は、明るく言った。


「ねえ、アンタがその仔を元気になるまで面倒看てあげなさいね」


「ああ、面倒は必ず看る。ちゃんと飛べるようになるまでシッカリとね。お前にも約束だ」


 藤次郎が鴉にそう声をかけると、鴉もカァと首をかしげながら一声答えた。


「そうだな、暫くの間とはいえ、名前がないと不便だから、うーん」


 羽を布で巻かれた鴉が不思議そうに、藤次郎を見あげる。

 意外に愛嬌があり可愛らしい。

 羽の色艶も良く、墨を良く擦って濃く塗りつぶしたような色をしている。


「よし、今からはお前は墨助だ。いいな」


 その名前を聞いてお市がにやりと笑う。


「ねえ、藤次郎。その名前でいいのね?」


「ああ、恰好いい名前だろう」


「本当にいいのね?」


「当然だよ。ほらこの鴉……墨助も気に入っている」


 カァアと応える様に鳴く鴉に、どうだと言わんばかりの表情の藤次郎へ、お市は笑いながら言った。


「その仔、女の子なんだけど。それもまあまあ年頃のね」


 今度はお市がどうだと言わんばかりの表情であった。

 元々鴉の雌雄は見分けにくい。

 当然、お市ならではの見立てであるのだが、藤次郎も最早引っ込みがつかない。

 器としては小さいが、見栄と意地がある。

 鼻息も荒く藤次郎はお市へと言い放った。


「へえ、そうなんだ。でもコイツの、否、この娘の名前は墨助だ。其処は変わらない。墨助なんだ」


「あらら、その子も可哀想だ事」


 お市と藤次郎は互いにからかい続け、お福と辰吉も、束の間の休息を楽しんでいた。

 黒丸はお市に撫でられ満足気で、アオは辰吉に鬣をくしけずって貰って気持ちよさそうにしていた。

 お福は程よい大きさの岩を見つけると、そこに竹の皮の包みを取り出し並べ立てた。


「お市、藤次郎。辰吉さんも。先程、峠の茶屋で買い求めたお団子がありますよ。召し上がれ」


 お市と藤次郎の顔にぱっと笑顔の花が咲いた。

 わざわざ美味しい団子があると辰吉に誘われて、遠回りしてまで買い求めた団子である。

 お市はお福から渡されるや否や、すぐさま齧り付いて


「!?」


 お市が、あれっという表情になった。

 何というか、ぱさぱさしていて、よくある峠の茶屋の不味い団子だ。

 お福に辰吉はどんなものでも美味しく頂くので、その表情は参考にはならない。

 お市は、辰吉の眼を気にしながら、藤次郎の片袖を引っ張ると、


「ねぇ、どう。美味しいの」

 

 と囁き声で尋ねた。

 藤次郎は満足気な顔をしながら、首を横に振った。


「いや、残念至極な味がする」


「そうよね。美味しくないよね。このお団子」


 お市は団子を見ながら呟いた。


「何でだろう。辰じいは美味しいお団子だって言っていたのに」


「其れには理由があるんだよ。姉さん」


 藤次郎がずいっと団子をお市の前に突き出すと、ニヤリと笑った。


「元々この団子は美味しいものでは無いという事さ」


 藤次郎は、串に刺さった団子を少しずつ、色々な処から齧って味見をした。


「うん、やっぱりどこを食べても美味しくない。元々美味しくないんだよ」

 

 藤次郎の齧った団子を目の前に見せられ、お市は眉をしかめた。


「そんな食べ残しなんていいから、如何いう事なのか、早く教えてよ」


「辰吉さんは、日の経った不味い団子を食わせたいのではなくて、街道沿いのあの茶屋に連れて行きたかったんだ」


 お市は、何を言っているのかこいつは、といった顔をしながら尋ねる。


「どうしてよ。街道沿いのどこにでもあるような、普通の茶屋じゃないの」


 ふふんと藤次郎の整った顔立ちが、得意気な表情を浮かべた。


「あの峠ではあそこ一軒しかないよ。そして、茶屋で辰吉さんは、何してたか憶えているかい。姉さん」


「ええ、団子は後のお楽しみで、まずはしっかりと腹ごしらえしようって、皆、お握りとお漬物を食べたでしょ。あの大根のお漬物は美味しかった。食べながら辰じいが変な事言って、お店のおばさんも一緒に大笑いしてた」


「つまりは、我々があの茶屋で楽しく飲み食いをしたという事が、大事なんだ」


「もう、七面倒臭いっ。要点だけまとめて教えてよっ」


 すると、大声にならぬよう、注意はしていた筈なのだが、


「えっ、なあに。どうかしたの」


 漏れ聞こえて来たお市の声に、お福が尋ねて来た。

 お市は、それはにっこりといい笑顔で、


「ううん、何でも無い。藤次郎と話をしているだけ」


 と返事を返し、


「そう。仲良く為さいね」


 お福の追撃は何とか躱すことが出来た。

 今回の旅では、危ないことはしない、藤次郎と喧嘩はしないとの、二つの約束をしていた。

 何がどうあれ、これより先約束は絶対に守らないと、何より大変なことに成る。

 お市と藤次郎は目を合わせ、お互いに阿吽の呼吸で頷き合って、更に声を潜めた。


「姉さん。辰吉さんは追手が現れた時に、我々が善光寺へ向かったと思わせる為に、あの茶屋へ寄ったんだよ。つまりは目眩ましだ」


 お市は眼を瞠っていたが、暫くすると、


「私たち悪いことをしていないし、追われるようなことは何も無いと思うけど、誰が何で追ってくるのかしら」


 と疑問を呈した。

 藤次郎はかぶりを振りながら答える。


「まずは、あの源太という下手人は、安兵衛さんの口封じのために送り込まれていたに違いない。おいら達は、偶々とは言え、その男に関わってしまった。まず、これが一つ。そして辰吉さんの種明かしの通り、敵は代官所の役人にまで手を回す、用心深い人間だ。だからこそ、酒井田様に近しいおつかわし屋の動きは、眼を付けられていると考えた方が自然だよ。これで二つ。どうだい」


「そうね、良く分かったわ。目眩ましであれば、あの先の善光寺は、お参りする人達が多いから丁度いいかも。やっぱり、追ってくるとしたら、あのお侍達みたいな人なのかしら? それとももっと違う人なのかしら?」


 藤次郎はどきりとした。

 追いかけてくるのはどんな奴らなのか。

 必ず強面の嫌な奴とは限らない。

 鋭い質問の割に、お市は、尋ねているのか、頭を整理する為に呟いているのか、良く判らない言い方である。

 如何やら後者らしい。

 藤次郎も心得たもので、何も言わずお市を待っている。

 お市は、ハッと気付いた顔をすると、藤次郎に真剣な顔をして、かつ小声で尋ねた。


「でも、ちょっと待って。辰じいが目眩ましで、あのお侍達へ、善光寺へって考える様に仕向けたはわかる。でも、どうしてもっと遠い所にしなかったの?」


「あのお侍達が我々を探し始めたら、直ぐに嘘だと見破られ、通った道すがらから逆に見当を付けられてしまう。善光寺と思わせておけば、途中まで道筋は変わらない。色々な処で道中の姿をわざと印象付けて、本当に向かったように思わせることが出来る。現にほら、峠の茶屋まで出向いて、態々裏道を通って戻っただろ。ついでに言っておくと――」


 藤次郎は、やや得意げに喋っていた。


「善光寺は寺社奉行様の差配であり名古刹でもある。代官所のお役人でも好き勝手には手出しが出来ない処だよ。だから、其処に入ると思わせておけば、調べ上げるのには、結構な時間を稼げるって事さ。分かったかい」


 藤次郎の嫌味な顔に、お市はカチンときたようだ。


「へえ、助平の割にはいいこと言うのね」


 余裕綽々の表情をしていた藤次郎は、その一言で忽ちに凍り付いた。


「な、な、何をっ。安い挑発にはもう乗らないよ。残念、姉さん」


 顔を真っ赤にして、変な汗を掻きながら、説得力なぞ皆無なまま何とか言葉を返した。


「助平次郎。あんたわかり易い」


 お市は焦る弟の様子をみて可笑しくなり、とうとう腹を抱えて笑い出した。

 焦る藤次郎は何とか取り繕うべく、顔を赤くしつつひそひそ声で頼み込んだ。


「姉さん。頼むから止めてくれよ」

「急に止めろって言ったって……あははっ」


 それが更にツボに入ったお市は、益々大笑いし、遂にはその笑い声に、

「わうっ、わうっ」「カアカア」と黒丸と墨助が応えてた程であった。

 傍から見てもこの姉弟は、憎まれ口を叩きあう事すら只のじゃれ合いである、実に仲の良い二人だ。

 そんな二人をお福は、今にも泣き出さんばかりの顔で見つめていた。

 辰吉も、笑顔で二人を眺めている。


「お嬢も、藤坊も優しく、そして立派になったもんだ。先が楽しみですね。若女将」


「ええ、本当に。何より、あの子達も私も良い人たちに囲まれて、果報者です」


 そうお福は告げると、辰吉に会釈をした。


「止しましょうや。下げる頭はこれから先、嫌という程、使わなければなりませんから、それまで取っておきましょう」


 辰吉は優しい表情でそう伝えた。

 お福は笑いながら頷く。


「そう言えば、草津に入ったら、まずは長者様へと、御挨拶するのでしたよね」


「はい。安兵衛一家の皆は、今、念の為にと、湯本長者様の御預かり。まずは話を通しておかないと……」


「でも、その長者様も随分と奇特なお方です。安兵衛親分のご一家の窮状を憂い、お助け下さるだなんて」


「見るに見かねてって処も有るでしょうが、少しばかり責任も感じて……かも知れません」


「どういう事でしょう」


 この世の全ての人は善人である。これがお福の基本なのだ。


「何、長者様が悪いって訳では無いんです。元々、長者様は御取り潰しになった、沼田真田藩の御家老職をお勤めになっていた御家柄。ご政道が上手く往かず、御主君の横暴を止めることが出来なかったのは己の責め。逃散した領民や下級武士達の悪たれ共が喰うに事欠き、追剥ぎの真似をする山人となった。それが故かと」


 お福は深く頷いた。


「やっぱり、奇特な方ではないですか。安兵衛様の一件、自らの落ち度は無いというのに。ご政道を扱う御武家様には皆そうであって欲しいものですね。あら、私ったら、何て上からの物言い。今のは忘れて下さい」


 もう少しで目指す草津である。

 そこに安兵衛一家の皆が揃っている。

 お市は、降ってわいた凶事に不幸な目にあわされた人たちへ、何と声掛けをすればいいのかを考えながら、歩みを進めた。

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