水彩度

梦現慧琉

day -14:コトのハジマリ

 自殺を考えない人間は居ない。

 何故ならそれは、『死』もしくは『生』の概念に触れたとき、あるいは『自身』と『他者』の隔絶を解したとき、最初かその次くらいには思いつくであろう発想だからだ。様々な宗教に於いて、自殺に対する注釈があるということから、人類が智慧と思考を獲得した時――宗教という伏線を回収するべく、洒落てみるのならば、つまり――禁断の赤い果実を口にした時から、存在する発想なのだろう。

 その次に考えるのは、それを実行するか否かだ。

 赤い絵の具を水に溶かし、僕は紙に線を引いた。


―――― ―――― ――――


二週間前。


 今日最後の授業が終わったので、僕はルーズリーフを綺麗に四つ折し、席を立って、ゴミ箱へ捨てた。捨てたものは誰のものでもないのだから、誰が拾っても構わない――なんて理屈は、最低の屁理屈だ。しかし、その屁理屈をいとも簡単に体現する奴も、世の中に居る。

「なぁに、これ」

 成績優秀であり品行方正であり容姿端麗であり明朗快活であり幼馴染ですらあり、しかし、まかり間違っても僕の恋人なんかではなくお互いの片想いすら望むべくもない、クラスメイトの女子。

 保呂羽卯生(ほろば うう)。

 彼女が折りたたまれたルーズリーフを開くその前に、迅速にその後頭部へ手刀を振り下ろす。

「あいた」

「教えてやるから後にしろ」

 そして今は責務をこなせ、掃除当番。

 どうせ何を言って誤魔化しても、コイツは了承しない。物心ついた頃から知っている間柄だ。幸い他の人間は、コイツがルーズリーフを拾ったことに気付いていない。僕の取った行動は、最善といえただろう。

「……うぃ」

 後にしろ、というのは、放課後どうせ人の来ないであろう屋上で待っている、という事。卯生はそこまで理解した上で、今は何もいわず、ルーズリーフをくしゃりと握りこんで、掃除を始めてくれた。

 てめぇ、折角綺麗に折りたたんだのに。



 *   *   *



 この学校には天文台がある。しかし大概の場合、天文部しか使わない。そして逆にいえば、屋上にあるものといえば天文台くらいのもので、天文部の活動のない今日は、人が寄り付きもしないのだ。元々あまり真面目に活動している部活だとは、いえないだろうし。

 卯生はその大して真面目な活動をしていない天文部員であり、そして屋上の鍵をもっている数少ない生徒である。彼女の鞄から勝手に鍵を拝借し、屋上で僕は待っていた。天文台の中には入らず、間の階段に腰掛けて、空を眺めている。

 屋上の鍵を借りることは茶飯事だから、このことに問題は無い。

 問題は、というより面倒なのは、アイツが拾ったルーズリーフだ。

「お待たせー。いや、小学生でもないのに掃除当番とか、結構凹むよね。机移動がないだけましだけどさ」

 ひらひらと手を振って、爽やか笑顔で参上する卯生。ショートの髪が、活発な印象を促進する。容姿の通りに健康的なコイツは、人受けも良い。

 失礼ではない程度に、こちらも笑顔で応じる。

「相変わらずしみったれた顔してるねぇ」

「…………」

 親しき仲でも、という言葉をコイツは知らないようだ。

 あくまで、親しき仲は親しき仲なのだろう。

「挨拶代わりのように、軽口を叩くな。仲が良いと思われたら困るだろ?」

「ええー、そりゃないですよ! あたしら、幼馴染じゃん。一緒に風呂だって入ったじゃん」

「だからイコール仲が良い事にはならんだろ。記憶にも残ってない話をするな」

「哲学的ぃー」

 そう言って卯生は、よいしょっと隣へ座り、ポケットからくしゃくしゃになったルーズリーフを取り出した。ぴんぴんと皺を伸ばし、中身を読もうとする。僕は今更止めはしない。

「それで。ふむ。水梳君は一体全体何を書いていたのだね」

 水梳軌跡(みずとき きせき)。

 それが僕の名前だった。

「てか、その口調は何キャラのつもりだ」

「何様……え? 何キャラ?」

「言ってみてなんだが、大分印象が変わるな……」

「ご愁傷キャラです」

「どれだけ痛いキャラなんだ、それ」

 オチがついたところで、双方仕切り直して。

「それで、きーきは何を書いていたのかな」

「ま、見てもらえばわかると思うけど」

 と、普段どおりの会話を始める。

 猿の鳴き声みたいなそのニックネームは、正直な話僕としてはあまり好きではないのだが、そこはそれ。とうの昔に諦めと折り合いをつけた突っ込みどころだ。対抗して、『うーたん』とこちらから呼んでみた事はあったが、何それオランウータンみたいで嫌だよやめて、という突っ込みもさることながら、大層痛い響きだったので流行らなかった。ご愁傷キャラだ。

「首吊り……バツ。リストカット……サンカク。飛び降り……バツ。線路飛び込み……ん、バツ……。交通事故バツバツ、いっそ電柱に頭を打ち付けてバツ。……なにこれ? 小説でも書くの?」

「んにゃ、自殺プラン。僕のね」

「…………」

 ちょっと、言葉を失った様子の、保呂羽卯生。怪訝そうな顔をする。

 しかし、次の瞬間には笑みを……つまりは自分を取り戻したらしい辺り、流石だ。

「へへ、何のジョーク?」

「割と本気」

「ふぅん……何で自殺するの?」

 フラットな表情で訊いてくる。しかしこちらが返答する前に、思い至ったように続けた。

「あ。……それって、私がこの間、君を振っちゃったから?」

 ちょっとすまなさそうな顔をして、そんな事を言ってきやがる。全く、あれは壮絶な振られ具合だったからな。好きですという僕の言葉に対して……

 あはははは、何それギャグですか、冗談ですか、それにしてももう少し気の利かせ方があるんじゃないですか、ところで釣鐘に提灯って言葉を知ってる、釣り合いが取れないって意味なんだけれど、正にこの状況にピッタリじゃない、なんだか惨めね、藁にも縋る思い、高嶺の花、ごめんね、あたし彼氏いますからー。

 というのが、卯生の振り文句だった。散々だ。しかも、それを目撃していた人間が少なからずいたのだから、泣き面に蜂でも足りないくらいだ。噂は火急の如く広まり、惜しまれる事無く尾ひれが付いた。だが、しかし。

「違うね」

「それじゃぁ、前回返却された中間試験の結果で、やたら得意にしていた生物の点数が、二十六点という悲惨なものだったから?」

 生物は僕の得意科目だ。なぜかは知らないが、やたら簡単なのだ。教科書を一度読んでおけば、九割はかたい。2・3度読み通せば、間違いなく満点が取れるだろう。自慢にしたつもりはないけれど、周囲の人間はその事を知っている。だから、僕が今回の中間で取った二十六点という点数は、思いの他簡単に広まった。真面目に勉強するよりも、よっぽど手間隙かけてそれらしい間違え方を研究したので、努力が報われた感じだ。

「いや。あれはわざとだな。アミロースとアミラーゼを間違える奴なんて、本当にこの世にいるのかよ?」

「うーん……なら、あれか。校門の前で、エロ本を数冊ぶちまけちゃった事件」

 あれは確かに、やっていて随分恥ずかしいものがあった。まず購入で難関その一。なるべくマニアックそうなのを三冊と、広く受けそうなものを二冊購入。両親にばれないように難関その二。そして最後にして最大の難関は、いかに不自然じゃなく、人の多い時間帯に校門の前で躓くかだ。やり遂げた僕は、不必要になったそれら雑誌を、きちんと分別して処分した。

「それもNo! エロ本を購入する趣味は、そもそも持ってない。家宅捜査にも笑顔で二の返事。応じてやるさ」

「なら、何が理由? それに、なんでそんな事したのよ?」

 思い当たる理由が他に無くなったのか、唇を尖らせて、再度彼女は訊いてくる。その返答は、どちらに対しても一言だ。取り付く島も無いくらいの、簡潔な、完結している一言。

「自殺がしたいから」

「んー……、あそう」

 思うところがあったようだけれど、結局反応は簡単なものだった。僕は続ける。

「実質実際、自殺に理由は必要ないと思うよ。他人を殺すのだとしたら、それは他の人間――第一に殺された相手へ、第二に遺族へ、第三にそれこそ第三者への言い訳が必要かもしれない。けれど自殺なんて、最低限自身が納得出来ていれば、それで十分なんじゃないかな。突っ込み入れられたとしても、死んでしまったら釈明なんて出来ないんだし」

「今現在あたしが突っ込み入れてるじゃんか」

「まーね。けれどしてみたいものは仕方がない。その方法を考えてたんだよ」

「うーん。突っ込み入れたくはあるけれど、理解できないことはないかな。…………」

 少し、卯生は考えるようにする。同じ年代、同じ社会に生きている若者同士、決して理解できない感覚ではないだろうと思う。誰だって、自分が死んでしまったら……、他人を殺してしまったら……、等と思いを馳せてみた事があるだろう。何の脈絡も無く、ふとした思い付きのように。

 自殺を、してみたい。あるいは、人を殺してみたい。

 それは勿論いけないことだ。禁忌だ。禁止事項だ。厳罰だ。処罰対象だ。だから、実行には起こさない。現実にしない。ある程度の常識と教養、並びに周囲の理解さえあれば、それが自殺や殺人に対する妄想の終着地点で……それゆえ頻発することはない、というだけに過ぎない。

 しかし、『だから』実行に移す。という考え方だって、否定されるべきじゃない。歴史を見れば、『困難である』ことそのものが理由となって何かが成されるだなんて、しょっちゅうあることだ。大きく出てみたが、歴史をそれほど知っているわけではないので、今の一文はただの予測だ。予測できるくらいには、在りうることだ。

「人一人の生命を終らせるのって、けっこー手間かかるからね。事後処理も大変だし。あ」

「ん、どうした?」

「自殺の『理由付け』、ってことか。告白だとか、酷い点数だとか、エロ本だとか」

 気付いて貰えて、手間が省けた。

「その通りだな。遺言の内容として適当なもの、でもいいか。幸い僕は、いじめにあってないもので、理由は作っておかなくちゃいけない。僕の死後、『はぁ、真面目な子でねぇ、何でこんな事になったんだか……』と意見が被るのも詰まらないだろ? マイクを向けられるであろう知り合い連中のために、僕は気を配っているのさ」

「ひっどいなー、きーきってば。それってあたし、君が死んだ理由になりかねないじゃん」

 快活に笑う。一つの滑稽なお話であるか、のように。

 いい神経をした幼馴染だ。こちらのして欲しいリアクションをしてくれる。

「っていうか、あたしにオーケー出されちゃったらどーするつもりだったの、それ」

「それはないだろ。例え卯生に彼氏が居なかったとして、僕からの告白に応じるお前じゃない」

「まーね。告白されるくらいだったら、こっちからするよ」

「だろ」

 結果オーライだったといえなくもない。試みの内の一つで、例え振られなくても別に構わなかった。恋愛での失敗というのは、自殺の理由として適当だと思っただけだ。

 そういう意味で、最善の対応をしてくれた。本当にいい神経をした幼馴染である。

 まぁコイツの知らないところでも、『失敗』に見せかけた失態は、いくつもやらかしている。涼しい顔をして歩けないくらいには。意図してやった事でなければ、それこそ死んでしまいたくなるだろう。穴があったら入りたい、おあつらえ向きにそこら中が墓穴だらけ、といった感じだ。『理由』代用はいくらでも利くのである。

「確かに、割と本気なんだね」

「そう言っただろ」

 卯生はしげしげとルーズリーフを再度眺めて、それから訊いてくる。

「方法吟味中ですか。吟味の基準は?」

「迷惑をかけないように、面倒くさくないように、それと絵に描いたように」

「迷惑をかけないように?」

「人身事故とか、飛び降りとか、迷惑がかかるじゃないか。後の処理やら家族やら。さっきも言ったとおり、どうせ自殺をするのなら、アフターケアも万全にしたい。特に両親に対して、僕は本当に感謝しているんだぜ。この歳まで育ててくれたこと、学費を出してくれてること、好きに生きさせてくれていること。これ以上迷惑をかけるのは、心苦しくてね」

「自殺がすでに迷惑だよー」

 白々しく言葉を並べる僕に、いい笑顔で突っ込み。そりゃそうだ。

「だからこそ、なるべく迷惑のかからない方法を選びたいのさ。放蕩息子の最期のわがまま、そして最期の気遣いだ」

「いらねぇー。んで、面倒くさいのはいや、と」

「それは二の次かな。怠惰な若者だから、基準に勝手に入ってきちゃうんだ」

「なーる」

 ふむふむ、と相槌を打つ卯生。フラットな調子で会話をしてくれるので、こちらとしても対応がしやすい。幼馴染というのは、こういうときに重宝するな。露見したのがコイツで助かったというものだ。露見しないのが最良だったのは、いうまでもないということだが……世の中、不幸中の幸いがデフォルトだろう。

「絵に描いたように、ってのは?」

「みっともない死に方は嫌だろ」

「あ、そういう意味」

 どうせなら、綺麗に。

 余裕ある自殺者なら、誰でも考えるはずのこと。いや、余裕ある人間が自殺を選択するのかどうか議論を生みそうではあるが、存在するとして、間違いなく少数派だろう。少数派でいるというのは、案外気分の良いものだったりするのだ。

 批判してくる多数派がいなければ、だが。

「それにしても。……そっかー……、きーき、死んじゃうのかー」

 うーん、と。両手の指を絡めて伸びをしながら、感慨深そうに、卯生は言う。

「止めたりしないんだな」

「止めて欲しい?」

「いや」

 即答だった。感情や思考を間に挟むまでもなく、それは明確な意見だ。

「だよねぇー。そうだろうと思ったからこそ、止めないんだよ」

「良く僕を理解してくれている。助かるね」

 少しため息を吐いて、明るいまま、しかしちょっと悲しそうに、彼女は続けた。

「きーきは昔から、決めたらそれを撤回しない子だったよ。もちろん、いなくなっちゃうのは悲しいけどさ。きーきの気持ちもわかっちゃうし、きーきの対応もわかっちゃうあたしは、きーきの自殺を止める資格も権利もないと思うんだよ。そして君がこの意見に納得しちゃうのも、わかってる」

「うん。それなら、僕の次に望むこともわかるわけだな」

「誰にもいわないでくれ、でしょう」

「ビンゴ。その通り」

「聞き入れましょう。誰にもいわない」

「条件は?」

「んーとねー」

 誰もが羨む、ビジネスライクな幼馴染。ギヴ・アンド・テイクで、僕らの関係は成り立っている。非常にわかりやすく、非常にやりやすい。まったく。本当に楽な相手だ。省エネなことこの上ない。

「ななちゃんには告げ口しちゃうよ」

「げぇー。おいおい、それは勘弁してくれよ」

 前言撤回。一番面倒くさいところを突付いて来やがった。

 他の人間なら、こうも的確に弱点をついてはこないだろう。

「しーなーいー。ななちゃんなら、まず間違いなくきーきを止めようとするだろうね! それを君は回避しきれるか! 泣いている女の子を前にしたきーきの運命やいかに!」

「自分でできないからって、他人に役目を押し付けやがった! しかも楽しんでやがる!」

「代わりに、あたしからは止めもしないし、それ以外の人には黙っていてあげるっていってるでしょー。正当な代価だと思うけれどなぁ」

「悪魔の取引だ」

「まんまじゃん」

 代償は魂で、約束は破らない。

 うーむ、いいえて微妙なラインだ。

「さって。そういうわけなら、あたしも協力するよ」

 くっと立ち上がって、階段の段の上で方向を変えるという、ちょっと難易度の高い日常動作をやってのけた上で、僕の顔を正面から見る。

 保呂羽卯生。可愛くなりやがったコイツを正面から見つめるのは、なかなか度胸のいる行為だ。

「何に?」

「きーきの自殺方法、一緒に考えてあげる」

 いらんお世話だった。

 が、これは即答で断れなかった。


 後から考えるに、断っておくべきだったのだろう。

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