第二話 八丁目のガキ大将

 五歳の少年が公園へ足を急がせる。

 彼は八丁目──というのは小さな区域のことで、この近所の公園に仲間を引き連れて、幼い子供たちだけの社会をつくっていた。

 名前を出雲操いずもみさおというが、彼に両親はいない。生まれて間もない頃、布に包まれ養護施設の前に置き去りにされたのだ。両親は彼に名前の一つも与えなかった。なので、彼の名前は顔もまともに合わせぬ市長が名付けた。


 言わずもがな、操に生まれながらにして持つ財産はない。

 家族の眼差しも抱擁の温もりも受けずに育ってきた彼だが、その背中には彼を慕う養護施設や近所の子供がいる。彼が自身の力で手に入れたものだ。自分の身を守る人間がいない世界で己こそが強くなくてはならない、そのためだけに唯一恵まれた体格と、たった五年の人生で培った機転が利く頭脳を生かしてきた。


 彼は施設に戻ってバットを用意するため、先に仲間を公園へ行かせていた。毎日のように語られるラジオの百籠計画を無視して商店を過ぎ、公園へ足を運ぶと見慣れない少年が仲間に囲まれている。



「喋れねえの?」


「ここは俺たちの縄張りなんだから、言う事聞けよ。もうすぐいっちゃん戻って来るよな」



 少年はにやにやと笑う仲間の隙間からようやく見えるほど背が低く、華奢な体つきだ。何か言葉を発しようと口を開くも、上手く話せずに周囲の圧迫感に青ざめるばかり。


 操はこういった状況によく慣れている。仲間は血の気の多い者ばかりで、部外者を取り囲んで威圧するような真似も度々見過ごしてきた。


 だがそれは、周りに"大人"がいない時だけの話だ。



「あ、いっちゃん。こいつが俺たちと遊びたいってさ。どうする?せっかくバットもあるしさあ」



 言葉も言い終わらぬうちに仲間を拳で殴る。鈍い音に怯み、もう一人がその場に尻餅をついた。

 怯える彼らの視線を受けつつ、操は後方で嫌悪感を顕にしている中年女性を認識していた。



「お前らを見てどう思う」



 状況も分からず顔を見合わせる仲間の胸ぐらを掴み、先程の威勢を置いて情けない声を出す一人と、他の者に向けて問う。



「お前らを見て周りはどう思う、いつも考えろと言ったはずだ」



 その言葉は力強い叱責だが、同時に真剣な願いでもあった。


 血の気の多い子供たちが公園に集まる、それだけで周囲の大人が先入観を持った目で見るということを操は身をもって知っていた。

 大人の力には敵わない。一声規制をかけたなら自分たちの居場所はたちまち奪われてしまう。それを防ぐのは他の誰でもない自分たち自身の行動だ。人前で弱者をいたぶるなど言語道断。



「戻れ。今日は終わりだ」



 彼の一言で仲間は皆施設や家に帰って行った。中年女性は安堵の表情を浮かべ胸を撫で下ろす。

 公園には操と威圧を受けた少年だけが残った。



「……お前、名前は?」



 少年は肩をびくつかせ、何度か吃りながら自分の名前を言った。



「み、蜜……」


「いくつだ?」


「五さい……」



 操は大して興味も無さそうに二度頷く。同い年とは思わなかった。公園に訪れたのはおそらく、近所に住んでいるからだろう。

 もし二人を見ている中年女性が家に帰ったなら、彼は二度と仲間に話しかけないよう遠回しに注意して帰した。だがこの状況でそれは最善でない。汚名返上の機会だ。

 床に落ちたバットを拾い、操は険しい表情を一変させ、まさに人情的な"ガキ大将"の笑みを見せた。



「野球しようぜ!お前は仲間だ、蜜!」




 少年蜜はその後も時々公園を訪れた。

 何故臆病でのろまで役に立たなさそうなこの少年を仲間に入れたか、操の仲間には理解ができなかったが、頭の切れる大将の考えることにはむやみに口を出さない方が良いことを彼らは知っていた。


 仲間に入れたとはいえ蜜の小さな身体では同い年の子供に付いていくことができないので、操は仲間が施設にいる時や、勝手に遊ばせている間の時間に、蜜と二人で遊んでいた。彼がこうしているのは近所の目を気にしたことが第一の理由だったが、今では蜜が彼に向ける純粋な憧れの眼差しを容易く突き放せなくなったことも、大きな理由になっていた。


 抜け目なく損得を考える自分や自分の仲間に対し、この少年の心はどこまでも素直だ。操が球の投げ方やバットの振り方を教えると、拙いながらに真似をする。上手くいくと感激する。

 きっとこれが普通の子供の心であり、自分に与えられなかったものなのだろう、ということを操は無意識に考えないようにした。それに触れた時の虚しさとは、いつか拭えるものなのだろうか。



 ある日、その公園に一人の少年が訪れた。

 二つに分けた前髪に高級感のあるブラウスといった姿の少年は、その場に合わず浮いている。操の仲間たちは訝しげな目で彼を見ていた。

 仲間の一人が彼に声をかけようとした時、後ろから女の切羽詰まった声がした。同じく品のある佇まいであり、少年とよく似た顔立ちの少女だ。少年の手を力強く引き、公園を触れてはいけない何かであるかのように避け、そそくさと去って行った。



「なんだ、あれ」


「あいつら知ってる。馬鹿でかい家に住んでるんだよなあ」



 仲間がひそひそと噂を立てる間、蜜が見上げる操は少しぼうっとしているようだった。どうして行っちゃったのかな、と話しかけられても、操は感情もない声で、



「さあな。でもああいうのはたまにいるぜ」



 と答えるのみだった。

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