特区京都
崎岸ささき
外伝/秋の空に舞う
晴れている。薄く形作られている不規則な雲、濃い青から薄い青へ変わるコントラストを背景にして、街の賑やかさの中静かにゆっくりとそれは流れていた。まだ登って数時間の太陽の光を受けた雲が、薄らいだ境界を明らかにして輪郭をつくる。
眼下は駅だ。ガラス張りが印象に残る近代的で大きな複合型の建物。見下ろせばジオラマ人形より小さく見える人間達がうぞうぞと忙しなく出入りして行き交っている。
そして、香る風は獣色が増した。
「おはようさんです、麓(ろく)」
「狸は朝が遅すぎやしないかの、凩(こがらし)」
振り返れば声が先か姿か先か、いや香りが先であったか。と内心苦笑しつつ現れた待ち合わせ相手に嫌味を零す。
視線を向ければ街中での壮年を思わせる姿ではなく、朝露でべたりべたりと毛並みが濡れている茶深い獣の姿であった。
冬間近、木枯らし吹く季節に生を受けたので名付けたそれが、この狸「凩」である。
悪びれもせず爽やかな挨拶を此方に向けてきた最初は、ふつふつと湧き上がる思いもあったが、今では呆れることに止めている。
狸とは、そういう者達なのだ、と。
詰まる所、この嫌味も挨拶のひとつと変化してしまっていた。
「へえ、すみません。今日は冷えが強かった上、朝露に揉まれてしまいました」
この雄狸はよく露に揉まれる。毛並みが雑なのと、草が茂る場所を好き好み塒(ねぐら)にしているのが原因だ。当の狸が濡れることにさして頓着していない事もあり、待ち合わせていようといまいと、大概朝は必ず凩は毛並みが濡れている。首根を掴み持参してきた吸水性のある布でくるめば、冷えた体毛から露が抜けてじんわりと体温が感じられる様になった。
「良い。俺の日課でもあるでな。だがお前は身体を考えないか」
「そりゃあ、麓にも言えることで。おいよりも幾分も上だ。餡鬼(あんき)のお声掛けが前よりも頻になってるのを耳にしてますで」
耳が痛くなる話を一日の始まりに振られた事で、こののんびり狸に一杯食わされたと痛感する。あからさまに溜めていた息が大きく落ちた。それを聞くくるみ抱き込んでいた凩が意地悪くか行で笑う。嗚呼畜生、と心のうちで呟きながら確り温もった腕の内の獣を足元に下ろしてやれば、凩は緩く浅く鼻を垂れる。
餡鬼か、と夏に何度か街中で顔を合わせる水飴売りの男を思い出す。見目は何処ぞにでも居そうな会社員、その背広を着崩した姿で首には暑さ対策の布を巻き、簡素な作りの猫車を引きながら手製の水飴を盆の間だけ売り歩く。
今では噂ではなく当たり前になり、ソレが目的の観光客も増えたと聞いて数年経つ。その正体を知る者は人間側は極小数であろうが。
「馬鹿に何か吹き込まれたな?」
「此方で伏すより先に、手続きを済ませた方が栓無くない、と」
「あの仕事馬鹿めが」
腕を組み、電波棒に寄り掛かる。背に受けた冷たさはさほど気にはならないがこの時期となれば多少は不機嫌にはなる。寒さは敵と生を受けた時分からの直感は未だに存在してるのだ。
「師匠(せんせい)、餡鬼様は僕にも同じ事を話していたよ? 一度伏見崎(ふしみざき)にだけでも出向いたら?」
「明(あきら)、貴様までそう言うか」
視線を上げれば、痺れを切らしたらしい茶薄い羽毛の若い雄鳶が電波棒の天辺に趾(あしゆび)を掛けじい、と小さな瞳で此方を睨んでいる。
「僕や大老様に、夏の休暇巡行の間を割いて話に来るって事がどういうことか。餡鬼様と付き合いが長い師匠が一番ご存知でしょ?」
「喧しいわ」
覗き込むように首を傾げてくる弟子の弁は、油を挿した歯車のようによく回る。その片鱗は既に10年前には顕著となっていたが、弟子に取ってから達者な口に磨きがかかっていた。曰く、隙間の探偵は矢張りただの女装少年ではなかった、と。味方であればその語りに勝る者は扉の守人か、隙間の探偵位か。そしてその弟子が、今回敵に回っているから分が悪い。此処にはあの万華鏡馬鹿も件の探偵も居ないと来たからなお悪い。強がりを吐き捨ててたが、勝ちがとんと見えない。
だが此処で嗚呼、そうだとも、この場で目にものを見せてこその猫又の長と呼ばれた大山猫。伏見の麓の名が廃るというもの。
「皆(みな)、揃いも揃って俺に早く死ねと云うか?」
「まあ、大往生四周目終わろうとしてるし、一度伏見崎の方でバカンスはすべきだとは思いますが、師匠」
「親のように姉の様に慕った者より先に逝くのは、流石に不幸者だとおいは思うて居ります」
ぐうの音も出ない、とは何時ぞやの餓者髑髏のうつけがぼやいていたか。竜眼の娘の戻りが未だ無いが、女々しく交わした約束を守り待ち続けている。まだ、言葉が交わせる立場である我々の方が恵まれてはいるのか、と思えばそろそろ折れ時と漸く結論に達した。バカンスには、行きたい。
いつの間にか変化を解き、五又となった三毛の尾と頭を垂れ足下に居た明が、ため息の際に目に入る。
横には時折吹く高風に強く毛並みが煽られている凩。
視線を上げ、空を仰ぎみた。今日は、好みの色をしている。
ふん、と息をつき、そうさな。と唇を開く。
「たまの長い休暇も、悪う無い。不在の間、頼むぞ」
「…はい。師匠」
「先に逝けば、貴様は来るのだな?」
「少しばかり、隣を空けてしまいますが。寂しさ感じぬ内に、参ります」
京都タワーのてっぺんに朝、必ず鳶が止まるのをあたしは知っている。
狸を抱えて、展望台よりも上に下ろしていて。そこにはやはり必ず、モノトーンのゴスロリ少女が自分の城だと言わんばかりに仁王立ちして駅の下を見下ろしていた。
普通は有り得ない話だけど、此処は特区 京都。何が起きても可笑しくない。そんな有り得ない風景を見ていたあたしもまた、変わり者なんだから。
だけど9月の終わりの朝を境に、その風景は変わった。
1ヶ月しばらく誰も現れず、そして11月の頭になってピンクの甘ロリ少女が一人朝に現れる様になった。
「先輩、あたし、世代交代をみてしまったかもしれません」
「ああ…、相良(さがら)は六尊王神社の家系だったな。「隣人」だっけ?」
「そういえば面接を臨時でしてくれたの、先輩でしたね?」
「そうそ。オレも「隣人」家系だから見えてんだわ」
「世代交代ですか? アレ」
「だろうな。オレは見えるだけだから話とかは聞こえねえが、駅周りからたまにタワー見上げてる「やつら」居たからな。名が知れてるゴスロリ少女だったんだろーな」
「やっぱゴスロリ少女でしたよね」
「可愛かったよなぁ」
部屋の点検をしながら、あたし達はそんな話をした。
ふと窓の外へ目を向ければ、既に甘ロリ少女の姿はなく、飛び去る1羽の烏が見えただけだった。
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