あずき色の幸福を抱きしめる方法(恵8歳)

 我が家の猫はお掃除ロボットである。名前は「こしあん」。産みの親はケイ、名付け親はメグミだ。

 事の始まりは、娘息子による二つの意見が飛び出したことだ。娘曰く「猫が飼いたい」。息子曰く「パパとお父さんのお掃除は詰めが甘い」。何とも情けない話なのだけれど、父親ふたりは子どもたちの希望を叶えることができなかった。子どもを育てるということは想像以上にお金が掛かり、正直ペットを飼うほどの余裕はない。そして俺も紘もそこまで細やかという性格ではないので、部屋の隅やタンスの上を指でスッと撫でて埃を確認するという息子のチェックになかなか合格できない。もはやお手上げ状態になっていると、二つの最難関を解決してくれたのは息子のケイだった。


「こしあんはいつ掃除をしてくれているんだ」


 俺が尋ねると、ケイは「パパが目を離している隙に」とどこか誇らしげに言ってこしあんの頭を撫でた。すると、本物の猫のような姿をしたロボット―――こしあんが「んにゃあ」と鳴く。

 こしあんは鳴くとき、必ず最初に小さな「ん」を発する。それがメグミはお気に入りのようで、顎を撫でると「んにゃああ」と鳴くこしあんにキャッキャと喜んだ。なぜ「こしあん」という名前なのかというと、こしあんの体毛があずき色だからである。なぜケイがあずき色をあえて選んだのかはわからないけれど、猫型お掃除ロボットが完成した瞬間、メグミは「名前は『こしあん』がいい」と言った。満面の笑みで言われて、俺や紘やケイが反対する理由なんてあるはずもない。


「こしあんは優雅にお散歩したりお昼寝していると見せかけて、部屋の隅やタンスの上の埃を食べてくれているのです」

「猫の役目も掃除の役目もしっかり果たしている……」

「バッテリーが切れかけたら、勝手に尻尾のケーブルを挿して充電する。そして何より」

「何より?」

「こしあんの最優先事項は『姉さんの膝の上で眠ること』です」


 至れり尽くせりすぎる。なぜケイがまだ世の中にも存在しないほど精度の高いロボットを作れるのか、どのようにすればこんな猫を作れるのか。恥ずかしながら、最近フリーエンジニアになった俺にも理解できない。

 「んにゃ」とこしあんは鳴いて、ソファに座っていたケイの膝の上から降りた。そして食事用のテーブルでパソコンと向かい合っていた俺の膝に飛び乗ってくる。頭を撫でると柔らかい感触がする。ぐるぐると喉から満足そうな音が聞こえてくる。


「そういえば、こしあんってオス? メス?」

「中性」

「中性かあ……」

「ねえパパ」

「ん?」

「姉さんが、こしあんに『こしあん』って名前を付けたのはね」

「うん」

「パパがこれでもかというほどの和菓子好きだからだよ」


 俺がきょとんと目を瞬かせるのと、家の扉ががちゃりと開いたのは同時だった。

 玄関で靴を脱ぎ、ぱたぱたと廊下を歩く足音が聞こえる。ランドセルを背負った小学三年生のメグミが、俺たちのいるリビングへ顔を覗かせる。


「メグミ、おか――」


 えり、と言い終える前に。

 ぎろりとメグミは俺を睨んだ。言葉に詰まる。睨まれた事実に打ちのめされる。その隙にメグミは子ども部屋に入って、ばたん! と乱暴に扉を閉めた。こしあんはすぐさま俺の膝から降りて子ども部屋に向かい、ドアノブにジャンプし、なんとも器用に扉を開け、中に入り、またドアノブにジャンプして扉を閉める。しん、とリビングが静かになる。

 先月までメグミは赤ん坊のように俺や紘にべったりと抱きついて離れなかったのに、今は猛烈な反抗期に突入した。まるでわざとこちらを怒らせたいかのように無視したり、叩いたり、物を壊したりする。ケイが作ったこしあんのことだけは、大事にしているようだけれど。

 この子たちを養子に迎えるために受けてきた面接で、散々言われていたことだ。子どもは親に縋る。親を試す。だから甘えて突き放そうとする。自分なりに覚悟していたつもりだった。それなのに、嵐のようなメグミの感情を受け止めるために傷つき、悲しみ、苦しみ、息切れしてしまう自分がいる。


「なあ、ケイ」

「なに?」

「パパはまだまだだな」

「そうだね」


 ケイはあっさりと言う。


「パパもお父さんも『僕たちの父親』としてまだまだだし、姉さんも僕も、『パパたちの子ども』としてまだまだなんだよ」


 気づけばケイを抱きしめていた。ケイの髪に顔をうずめる。メグミと同じ髪の感触がする。

 俺はまだ自分の子どもたちを何一つ理解してやれていない。十年以上一緒にいる夫のことだってそうだろう。全てを理解したいなんて傲慢だ。世の中には出来ないことがたくさんあることを、俺はよく知っている。

 わかっていても、知りたいと思う。理解したいと思う。噛んで、味わって、飲み込みたい。そして余裕たっぷりに笑ってあげたい。大丈夫だよ、俺はお前たちが大好きなんだよって。


「パパくるしい」

「うんでもパパ頑張るから」

「何を?」

「いろいろたくさん」

「具体的には?」


 俺は頑張りたいことを羅列していく。いくらでも挙げられる。

 それでもまず、何よりも優先するべき目標は。

 我が家の娘と猫を今すぐ抱きしめにいくことだ。

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