68. 取り引きに応じましょう
客間に通されたイザベルは、白髪の家令が退室していった方向を見つめ、次にテーブルの花瓶に視線を移す。
ガラスの花瓶には紫の薔薇が生けられている。レースが重なるような花弁は、薄い紫から白色にかけて色が変わっており、初めて見る品種だ。
(薔薇っていうより、牡丹や
花びらに触れようと指先を近づけたところで、忙しない足音とともにドアが開く。驚いたイザベルはパッと手を引っ込めた。
振り返った先にいたのは、ライドリーク伯爵家の当主だった。いつもの余裕のある笑顔はなりを潜め、客人の姿に目を丸くしていた。
「驚きましたよ。てっきり同じ名前の別人かと。あなたが訪ねてくるとは思っていませんでしたから」
「……事前の約束もなしに訪問してしまい、申し訳ございません」
謝罪すると、責めた口調に気づいたルーウェンが咳払いをする。それが切り替えのスイッチのように、大人の余裕を取り戻して優雅にソファに座る。
「舞踏会――いえ、星祭りのときにもお会いしましたね」
「ええ、ご無沙汰しております」
「……ご用件を伺っても? イザベル嬢が自ら来るくらいだ。よほど大切な用件だと推察しますが」
「今日は、お願いがあって参りましたの」
イザベルはちらりとエマを見やる。彼女は実家と同じく、ドアの近くで空気のように控えていた。
「エマ。申し訳ないけれど、ドアの外で待っていてくれる?」
「お嬢様、それは……」
「大丈夫。伯爵は紳士だもの。婚約者のいるわたくしに手を出すような方ではないわ。何かあれば、すぐに呼ぶから」
「……かしこまりました」
エマは牽制をこめた視線をルーウェンに送ってから、一礼してドアを閉めた。
「先に、あなたに釘を刺されてしまいましたね」
「ルーウェン様のことは信用はしていますよ。そうでなければ、家に直接赴くことはなかったでしょう」
「では、私は何をお願いされるのでしょうね」
おどけて言うのは相手を油断させるためか、それとも試されているのか。案外、両者かもしれないとイザベルは舌を巻く。
彼から魔女について聞き出すには、手順を踏んで彼の心証をよくする必要がある。失敗は許されない。
「ライドリーク伯爵家は、祭祀庁の長官を務めているのですよね」
世間話のように話題を振れば、ルーウェンは意外そうな顔をした。しかし、気分を害した様子はなく話に乗ってくる。
「まあ、ありていに言えば閑職だけどね。それがどうかしたかい?」
「とある方から、禁書の類いも保管していると伺いました。ナタリア様の件についてもご存じですよね?」
「もちろん。星祭りで騒ぎになった令嬢だろう。……ああ、となると解毒薬に関する薬学書を探しているのかな」
「話が早くて助かりますわ」
肩に落ちてきた髪の毛を横に払うと、ルーウェンは目線を少し下げた。
「残念だが、役に立ちそうな書物はすでに見せてあるよ。それでも見つからなかったのは不運としか言えないが、いずれ解毒薬も開発されるだろう」
「……そう、ですか……」
「用事はそれだけかな?」
席を立とうとする気配に、イザベルは待ったをかける。
「いいえ。もうひとつあります。……こちらが本題といったところですわ」
「それはそれは、ぜひ聞きたいね」
ルーウェンは座り直し、こちらの言葉を待つ。
「祭祀庁のお勤めは日陰の仕事と揶揄されているようですが、わたくしは違うように思えてならないのです」
祭祀庁とは、祭祀を取り仕切る部署だ。
とはいえ、平和な世の今、彼らが執り行う行事の数は少なくなっている。ゆえに彼らは日陰者と蔑まれることも少なくない。
どんな些細な変化も見逃すまいと注視するイザベルに、ルーウェンは肩をすくめて見せた。
「買いかぶりすぎだよ。そもそも、この国は貴族院に権力が集中し、祭祀の行事は軽視されている。長官といえど、そのお役目は年に数回しかない」
「飾りだけの役職を、伯爵家が代々務めているのは不自然ではありませんか?」
「……そうかな? 国の取り決めだから、致し方ないと思っているよ」
話を流そうとする様子に、イザベルは首を横に振った。
「わたくしはそうは思いません。なぜなら、由緒あるライドリーク伯爵家は、建国時から王族から一目置かれてきたからです。現国王とも親しいと聞きます。そんな相手を閑職に追いやったまま、平気でいられるでしょうか」
「もしかして、裏では実権を握っているとでも思っているのかな?」
ルーウェンの生き方は自由気ままだ。数ある女性と浮き名を流し、好きなように生きているように見える。
それは見方を変えれば、今の生活に満足しているといえる。そんな人物が、裏でこそこそと国を牛耳っていることで生きがいを見いだすとは思えない。
この人は権力に興味はないのだろう。それがイザベルの結論だ。
「いいえ。ただ、長官を他の方に譲らないのは、何か特別な理由があるからでは? たとえば、国の根幹に関わるような秘密を、長官だけが知っているとか」
「…………」
「わたくしなら、絶対に守りたい秘密は信頼できる人にしかお話しできません。あなたは以前、白い魔女のおとぎ話をしてくれましたね。あれはおとぎ話ではなく、真実なのではありませんか?」
ここに来る前に立ち寄った王宮の書庫には、白い魔女のおとぎ話はなかった。そこに勤めている司書が言うのだから間違いない。
歴史から葬り去られた蒼の国と思われる場所は、今はラヴェリット王国が有する森林地帯になっていた。
ルーウェンは一度窓の外を見つめ、それからイザベルに視線を戻した。
「……参ったね。君の目的は何だい?」
「魔女との面会を希望しています」
きっぱりと言い切ると、ルーウェンは驚かなかった。
長い脚を組み、その真意を探るようにジッとイザベルを見つめる。視線をそらさずに真っ向からにらみつけると、参ったように彼が両手を挙げる。
「その前に確認してもいいかな。今の仮説はレオン殿下の入れ知恵? それともルドガーかな」
「わたくしが、ひとりで仮説を組み立てました。魔女は存在している、と仮定して導き出した答えですわ。間違っていましたか?」
確認すると、ルーウェンは肩をすくめて見せた。
「いや、おおむね合っているよ。君の目論見が外れたとすれば、ただひとつ。魔女は我が領地で過ごしているが、私自身は会ったことがない。……会うことは禁じられているんだ。だから、君とも会わせることはできない」
それは予想していた答えだった。とはいえ、ここまで来ておいて、すごすごと引き返す真似はできない。
だが禁忌を破ってもいいと思わせるほどの交換条件があれば、あるいは――。
「まあ、それは建前なんだけどね」
「え……?」
困惑するイザベルに、ルーウェンは優しく微笑みかける。
まるで企みが成功したような笑みだった。
「十年前だったかな、先代魔女が森を出たんだ。今あそこへ行っても、もぬけの殻だろうね」
「つまり、魔女は住まいを移したと、そういうことですか」
「そうだよ。無論、その住まいにも監視の目はついているから、場所は把握している。君が望むのなら、特別に教えてあげてもいい」
おかしい。思ったより事がうまく進んでいる。否、進みすぎている。
訝しんでいると、ただし、と言葉が続いた。
「条件がある」
「……なんでしょうか」
「ジェシカ嬢との仲を取り持ってほしい」
「は?」
「彼女に冷たくされ、どうやら本気の恋に目覚めてしまったらしい。親友の君なら、仲立ちもできるだろう?」
思ってもみなかった交換条件を提示され、イザベルは悩んだ。
大事な友達を売るような真似はできない。ジェシカは同性を愛でるという変わった性癖の持ち主だが、かけがえのない友達なのだ。
「ジェシカが本当に嫌がることは、わたくしにはできません」
「一度だけでいいんだ。チャンスをくれないか」
「……本気の恋を、伯爵は一度だけのアプローチで諦められるのですか?」
素朴な疑問を投げかけると、ルーウェンは脚を組み替えて嘆息した。
「困ったな。そう言われると否定しにくいじゃないか」
「……ジェシカを泣かせるような真似をした場合、二度と王国にいられないように取り計らうかもしれません。本当にその覚悟があると?」
白銀の宰相に力を借りることも厭わない。そう言外に含ませると、ルーウェンは重々しく頷いた。
「もちろん。最愛の人を泣かせるわけにはいかないからね。彼女の一番になりたいんだ。協力してくれるかい?」
ただの遊びの延長というわけではないようだ。
そこまでの覚悟があるなら、協力するのも悪くはないかもしれない。
「……わかりました。ルーウェン様の覚悟、信じましょう」
「取り引き成立だね」
「ですが、うまくいくとは限りませんよ? わたくしができるのは、二人を引き合わせるまでです。そこからはルーウェン様の力の見せどころですよ」
念のために忠告すると、彼はわかっているよ、と請け負った。
それからスッと立ち上がったかと思えば、近くにある棚の引き出しを開けて、メモ用紙と羽根ペン、それらインクを取って戻ってくる。
インクにつけたペン先がさらさらと動き、しばらくして渇ききっていない用紙をそのまま渡される。
「この店を訪ねてごらん」
「……城下町の地図、ですか」
「木を隠すなら森の中って言うだろう? いかにもって場所にある小屋も悪くないけれど、市井にとけ込んでいる魔女もいるってことさ。秘密にしておきたい存在をできるだけ遠くへ隠すっていう思考の逆をついたパターンだね」
なるほど、とイザベルが頷くと、ルーウェンは困ったように笑う。
「これが案外いい目くらましみたいでね。びっくりするくらい誰も疑わないから、こっちが拍子抜けしちゃったよ」
「魔女は思ったより……たくましい心をお持ちなんですね?」
「そうじゃないと、今まで生き残れなかったと思うよ」
監視がつけられていることは、魔女も当然知っているだろう。
それだけ危険視されている人物が生き抜くには、心も強くあらねばならない。もし自分が逆の立場だったら、同じように振る舞うのは難しいと思う。
そこまで考えたところで、低い声音が現実に引き戻す。
「ただね、私が何度行っても、一度として魔女は姿を現さない。だから会える確証はない。それでも行く気かい?」
「もちろんです」
ようやく得た手がかりだ。すぐには無理でも、場所がわかれば、そのうち接触できるだろう。いや、何としてでも会ってみせる。
気負うイザベルに、ルーウェンは硬い声で忠告する。
「魔女の存在は、禁忌にも等しい。わかっていると思うけど、これは他言無用だよ」
「……心得ています。このご恩、後ほど返させていただきます」
「ああ。そのときを待っているよ」
孫を見守るような微笑みを向け、ルーウェンは片目をつぶった。
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