29. 初めてのお買い物

 乗り合いバスに揺られてたどり着いたのは中央広場。

 噴水と初代国王の像が設置された広場は広く、小さい子供が走り回っている。外国の商人らしいパンパンのリュックを背負った人、井戸端会議をしている近所のマダムたち、デート中らしい若い男女の姿もある。

 レンガ造りの建物は、水色と白のストライプで彩られている。さわやかな街並みの向こうには王宮の尖塔が見えた。


(これこれ! ゲームのスチルで見た街並みだわ)


 広場を円形状に取り囲む形で、飲食店から衣料品店、輸入雑貨店などが軒を連ねている。少し南下すれば、鮮魚や果物を競り落とす市場もあるらしい。

 休日らしい、活気があふれる城下町。

 お忍びツアーの幕開けに、イザベルは胸が高鳴った。


「ところで、お嬢様。わざわざ庶民の服に身を包んでまでして一体、何があるというのです?」

「よくぞ聞いてくれたわ。今日は市場偵察よ!」

「……はあ。さようでございますか」


 思っていた回答と違ったのか、リシャールは肩透かしを食らったような顔で、主人を見つめていた。


(前世の記憶を思い出してから、実はうずうずしていたのよね。ゲームの舞台を自分の足で歩いて、食べ歩きをしたり本屋に行ったり……こういう庶民らしい娯楽は伯爵令嬢では味わえないもの!)


 本音を言えば、主人公の動向や好感度の確認は二の次である。

 庶民目線での観光は、伯爵令嬢の立場では許されない。具体的には、屋台での買い食い、安物の小売店のウィンドウショッピング、大道芸人の見物などだ。

 前世では当たり前にできたことが、貴族の一員になると「はしたない」の一言で実行不可能になる。

 眼鏡をかけてインテリ系になったリシャールを連れ回し、お店を反時計回りに入っていたイザベルはふと足を止めた。


「リシャール。そこに座って見ていなさい!」


 雑貨店の裏手に木陰になっているベンチを指差し、イザベルは近くの屋台へ近づく。そこには大柄な女店主がいた。


(ふふふ……前世の記憶を取り戻した今のわたくしは、ただの伯爵令嬢ではないということを教えてあげるわ)


 売られているのはベーグルやサンドイッチ。パンに挟んだ具によって料金が違うらしく、売り上げナンバーワンと書かれた商品に目が留まる。


「このミックスサンド、二つください」

「七百八十ミラだよ」


 スカートのポケットに入れていた、二つ折り財布から硬貨を取り出す。


「はい」

「ちょうどだね。まいどあり!」


 店主は豪快に笑い、商品を手渡してくれた。受け取ったそれは、底がほのかに温かい。

 転生後の初めてのお買い物に成功したイザベルは、ベンチで待っていた従者の元へ駆け寄った。


「どう? 驚いた?」

「はい。……驚きました」

「そうでしょう、そうでしょう。お買い物だって、一人でも完璧にできるのよ!」


 なにせ、前世は庶民なのだ。このぐらい、お茶の子さいさいである。

 イザベルもベンチに座り、持っていた包みの一つを、隣に座る従者に渡す。


「はい。これはリシャールの分ね」

「……え?」


 反射的に受け取った体勢のまま、リシャールがフリーズする。

 イザベルの中では家族枠なのだが、生真面目な彼はきっと自分は使用人だと思っているのだろう。執事見習いという立場では、受け取るにも理由が必要なのかもしれない。

 そこまで思い至り、イザベルは彼が断りにくい理由を考える。


「そうね、口止め料とでも思ってくれたらいいわ。……いらないなら、帰ってからわたくしが食べるけれど」

「……いえ、食べます。ですが、本当にいただいてもいいのですか?」

「あ、言っとくけど、これは正規のルートで手に入れた軍資金だからね。言うなれば、まっさらなお金だから」


 今日の軍資金は、兄に社会見学の一環だと説き伏せて、融通してもらったお忍び用資金である。第一王子の帰還に合わせ、また王宮で缶詰状態らしいが、心の中で感謝の念を送っておく。

 リシャールは居心地が悪そうに肩に力を入れたまま、ほのかに温かいサンドを無言で見つめていた。

 空腹に耐えられなかったイザベルは先に食べることにし、包まれていた包装紙を食べ口の部分だけ広げ、大きく口を開けた。

 フランスパンを半分にしたようなパンは特徴的な焼き目がついており、パニーニを連想させる。中の具材は、鶏ムネ肉とモッツァレラチーズとトマトをレタスが上下で挟み込んでいる。意外とボリュームがあるため、噛みごたえもある。


「これはこれでおいしいわね。黒胡椒でピリッとパンチが効いているし、これは通いたくなる味ね」


 かぶりついて食べる様子に若干引き気味になりながら、リシャールが呆れたように言う。


「まるで本当に庶民のような食べっぷりですね」

「…………こ、これは、中身もしっかり町娘になりきるために……致し方なく、よ。別に本能のままに食べていたわけじゃなくってよ!」

「その割には自然な食べ方でしたが。一切の躊躇もなく、ぱくりと召し上がられていましたし」


 返答に困っていると、見かねたようにリシャールが話題を変える。


「お嬢様は、庶民の食事にご興味があったのですか?」

「……うーん。興味というよりは憧れかしら。有名シェフのコース料理も悪くはないのだけど、お互い気が張ってしまうでしょう? その点、屋台なら気兼ねなく食べることができるし、何より外で食べるのは気分が違うわ。作り置きなら長々と待つ必要もないしね」


 当然、貴族の料理と比べて、食材の質は落ちるだろう。そのぶん、早く提供できたり安く購入できたりと、大衆向けの料理にも良さはある。


「ちょっと冷めているけど、おいしいわよ?」

「……いただきます」


 リシャールは一口分を千切って、優雅に口に放り込む。とりあえず食べてくれたことに安心し、イザベルは残ったパンをもぐもぐと頬張り、完食した。


「はあ、おいしかった。ここの主人、いい小麦粉を使っているわね……」


 前世で食べたパンとは違ったが、外側のカリッとした食感がたまらない。前世でひいきにしていたお店を思い出していると、リシャールが相槌を打つ。


「そうですね。弾力があるだけでなく、中の生地はふわっとしていて、食材も新鮮なものが使われていておいしかったです」

「……もう食べたの? 早すぎない?」

「このくらい普通ですよ」


 確かに彼に渡したパンの形はきれいに消え去り、残ってるのは丁寧に折りたたまれた紙だけ。食べる速度にここまで差が出るとは思っていなかったため、男女差を感じた瞬間だった。


(そういえば、リシャールとの食事はいつも別々だったものね……)


 小さいときからそばにいたため、なんでも知っている気になっていた。けれど、弟のように感じていた彼のことでさえ、まだまだ知らないことは多いのだ。


(わかっていたことだけど、リシャールから本音を聞き出すのは、なかなか骨が折れそうね)


 主人と執事見習い、この関係を一時的にでも取り払うことができれば、彼が隠している秘密を教えてもらえるだろうか。

 だが、今のイザベルには、そんな魔法みたいな方法は皆目見当がつかなかった。

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