13. イザベル、目撃する

 季節は初夏から夏本番に変わっていた。

 照りつける日差しを窓越しに感じながら、イザベルは学園内を捜索していた。

 ちなみに、今は授業中である。

 イザベルは腹痛を訴えて、保健室へ行ったことになっている。いわゆる仮病だ。もちろん、これにはよんどころない事情が関係している。

 目標はただひとつ、ターゲットの逃亡を阻止することだ。静かな廊下を、忍者のように抜き足差し足で歩く。


(ふっ……数々の乙女ゲーをクリアしたわたくしに、攻略できない相手はいないのよ! これだけ探して見つからないということは、思いがけない場所にいるはず)


 お昼前になると、決まってレオンは行方をくらます。

 まるで、イザベルが性格矯正のために、サロンに強制連行するのがわかっているような俊敏さだ。

 加えて、最近では授業に出てくる回数も少なくなった。これはよくない兆候だ。他人との距離が開けば開くほど、レオンの評判が下がる。

 正攻法でダメだとしたら、邪道といわれる方法も試す必要がある。

 今回の王子捜索の場合、キーポイントとなるのは授業中だ。

 普段のイザベルなら、仮病を使ってまで授業を抜け出すようなことはしない。しかし、こうまで逃げられる日が続けば、最終手段に出るしかない。

 普段探さないような場所に絞り、徹底的にチェックしていく。やがてグラウンド脇のクラブハウス棟の近くで、目的の人物を発見する。


「見つけましたわ! レオン王子」


 嬉々として駆けつけると、レオンは草陰から身を起こした。どうやら木陰の涼しい場所で、うたた寝をしていたらしい。


「……なんだ。俺は今、自然観察に忙しいんだ」


 いや、あなた寝てましたよね! という心の声は一旦抑える。

 イザベルは咳払いし、ひとまず話を合わせることにした。


「草花を愛でるのは結構ですが、たまには一緒にお食事でもどうですか?」

「そういう気遣いは俺には不要だ」


 本人は眠たいだけなのだろうが、目を細めると眼光が鋭くなる。

 他のご令嬢なら怯えて逃げるのがセオリーだろう。だが、イザベルはその他大勢の令嬢とはわけが違う。

 なにせ、前世で全ルートを制覇した女なのだ。ヲタク女の怖いものは、現実世界で一般人への擬態が暴かれるときだ。

 乙女ゲームの世界では、さまざまなパターンの男を攻略してきた。重要なイベント分岐となる選択肢も数多く見てきた。つまり、確かな実績がある。

 ゲーム内のイベントだと割り切れば、ベストな選択肢の想像もたやすい。

 ツンデレ王子には変化球で勝負だ。


「まあ。好物のデザートがあるときは、サロンの近くで待機しているの、バレバレなんですよ」


 レオンは渋面になり、唸るように言った。


「せめて、もう少しオブラートに包んでくれ」

「表現を変えても、言っていることは同じでしょう」

「……それは、そうだが……いやしかし」


 男らしくない言い訳を一蹴するべく、イザベルは強い口調で言い切る。


「学園を卒業したら、王子としての務めの場面も増えるでしょう。今からひねくれた性格を矯正しておかなくて、いつするのですか?」


 王子だからと遠慮していたら、彼はきっとこのままだろう。

 ジークフリートルートの今、彼の救世主は現れない。ヒロインの救いの手がないとわかった以上、彼を諌める役はイザベルしかいない。


(そうでなければ……あの腹黒兄の魔の手が……)


 一従者に矯正された、王子の変わり果てた姿なんて見たくない。

 あの悪夢を現実にしないためには、彼自身が王族としての自覚を持ち、努力しているところを見せつける必要がある。


「さあ、今日からは一緒にサロンで食べましょう! 週一でもいいですから、少しずつ他の人とも打ち解ける努力をなさってください!」


 イザベルはレオンの腕をつかみ、サロンに強制連行する。


「お前は……本当に遠慮というものをしないな」

「そうですか? これでも、言葉は多少選んでいるつもりなのですが」

「……少しだけか」


 諦めたような吐息が背中越しに伝わる。それでも、おとなしくついてきてくれる部分は評価すべきだろう。

 もうすぐランチの時間だ。近道をするべく、来た道ではなく、グラウンド脇の細道を突っ切る。

 木漏れ日の下を進むと、講堂の裏手に出る。サロンは講堂の二階だ。そのまま裏口から入ろうとしていると、レオンがふと立ち止まる。


「これは珍しいな。ジークフリートがサボりなんて」

「何をおっしゃっていますの。公爵令息が、授業中に抜け出すなんて真似ある……わけが……」


 レオンが目を向けた方向に視線を合わせると、見知った姿があった。

 講堂の横には、ガーデンテラスがある。芝生と緑の大木、そして四季折々の花が植えられている花壇はよく手入れがされている。

 たまに貴族の子女がお茶会をしている場所でもあるが、その手前の東屋に逢い引き中の男女がいた。

 寄り添う二つの影は、遠目からでもはっきりわかる。

 鮮やかな青い髪はジークフリートで、桜色の髪はフローリアのものだ。背格好もちょうど彼らと同じぐらいだ。


(間違いないわ。あれはジークとフローリア様。でも……どうして、こんな人目がつかないような場所に……?)


 話している内容は聞こえないが、友人以上の距離感にイザベルは焦った。

 だけど胸が騒ぐ理由は、それだけではない。


(……あ! 見覚えがあると思ったら、ゲームのスチルで見たんだ。ってことは東屋での密会デートだわ!)


 東屋のイベントは、一定の親密度に到達したときの特別イベントである。

 ジークフリートから手紙で呼び出され、授業を抜け出すというスリルを味わい、かつ、二人きりの甘い時間を過ごすという内容のはずだ。

 ちなみに、このイベントをこなすと、親密度が大きく上昇する。


(つまり、攻略は順調に進んでいる、ということね……)


 謎が解けてスッキリしたものの、イザベルの気分は急降下した。

 見てはいけないものを見てしまった。婚約者として、友人として、見なかったことにしなければ。

 レオンの呼び止める声がしたが、振り返らずに教室へと急ぐ。今立ち止まってしまったら、この現実を受け止めなければならない。

 イザベルは逃げるように、その場から立ち去った。


      *


 行く当てのないイザベルの足は、三階の廊下で立ち止まる。

 美術教室の前を通り過ぎたところで、ドアが開いていた視聴覚教室に誘われるようにして入った。

 映画用のスクリーンが見やすいよう、机は楕円形に配置されている。外との光を遮るため、暗幕で覆われた室内はほどよく暗い。教室の奥まで歩くと、暗闇が濃くなった。

 イザベルは床まで覆う暗幕をめくり、窓際に立つ。すがすがしい青空にはひつじ雲。青いキャンパスを泳ぐひつじの群は、雨の予兆でもある。


(こうなることは、わかっていたはずなのに……)


 親が決めた許嫁のため、イザベルはジークフリート自身に興味はなかった。

 けれど、現実は少し違う。

 興味がないフリをしていたが、内面ではジークフリートへの好意は年々募っていた。真面目で責任感があるところも、気の強いイザベルをさりげなくフォローしてくれるところも、すべてを好ましく思っていた。

 そして、ヒロインの登場で自分の気持ちを自覚したイザベルは、好きな人を奪われないように、ありとあらゆる手を使ってヒロインを蹴落とそうとする。

 次第にエスカレートしていく行為を止める者はおらず、結果、婚約破棄を叩きつけられる。


(「わたし」はイザベルだけど、本当のイザベルじゃない)


 なぜなら、前世の記憶を思い出した今、一番ときめく相手はクラウドだからだ。

 悲しくなる必要はない。そう自分に言い聞かせるが、なぜだか心がもやもやとする。スッキリとしない。

 まるで出口がない迷宮に迷い込んだみたいだった。自分の感情との折り合いがつかない。


(応援……しないといけないのに……)


 イザベルが思考の渦におぼれかけていたとき、第三者の声が耳に響く。


「こんなところにお呼びだてして、申し訳ございません」


 聞き覚えのある声がして、体に緊張が走る。視聴覚教室に入ってきたのは複数の足音だった。


「いいえ、リシャール様が謝る必要はありません。お互い、誰かに聞かれたら困りますものね」

「恐縮です」


 口調といい、低めの声のトーンといい、どう聞いてもリシャールの声だ。


(一体、リシャールが高等部に何の用……?)


 彼らの表情が見えないのがもどかしい。

 もし暗幕の隙間からのぞけば、外のまぶしい光が室内に差し込み、目立ってしまうだろう。

 イザベルは息を殺して、暗幕の裏側から耳をそば立てる。


「最近のフローリア様は、以前にも増してジークフリート様と懇意にされていると聞きます。そのことに、イザベル様もだいぶ胸を痛めておられるご様子」

「これだから、分をわきまえない庶民は嫌ですわ」


 厳しい口調だけど、猫なで声のような少し高い声。記憶が正しければ、最近どこかで同じ声を聞いたはず。


(でもどこで……あっ! ナタリア様の取り巻きの!)


 ハンカチ事件でも、渡り廊下の立ちふさがり事件でも、ナタリアのそばにいた女生徒だ。


「ナタリア様との橋渡しをお願いできるのは、あなた方だけ。特に、ラミカ様には感謝しております。フローリア様のクラスメイトとして、いろいろ助けていただいていますし」

「いいえ。私など、知っている情報をお伝えしているだけですから……」


 緊張しているのか、言葉尻が弱々しい。


(ナタリア派には下級生もいたわよね。……となると、あの子かしら)


 取り巻きにいる下級生はひとりだけだった。

 ぬばたまの黒髪ロングストレートを思い浮かべる。確か、知的な眼鏡をかけていたインテリ系女子だったはずだ。どうやら外見どおりに、おとなしい性格らしい。


(それにしても、リシャールがナタリア派と接触しているなんて……嫌な予感しかしないんだけど)


 だが当の本人を置いてきぼりにして、話は盛り上がっていく。


「私たちにお任せください。イザベル様の味方はたくさんいます」

「ありがとうございます。皆様が力を貸してくださり、お嬢様もお喜びになるでしょう。……ただ、この件はくれぐれもご内密にお願いいたします。大っぴらにイザベル様のご指示だとわかれば、主人の立場が悪くなりますので」

「もちろんですわ。これは、学園の秩序のためですもの。その一環として、フローリア様に注意をなさるよう、皆様にお願いするだけです」


 果たして、それは文字どおりの注意なのか。彼女が口にする「お願い」は、貴族派への通達に等しいものだろう。ナタリア派からの通達ともなれば、それだけの強制力を持っている。


「私はなかなか高等部に出入りができませんから、とても助かります」


 決定的な言葉が聞こえ、イザベルは暗幕内に身を潜めたまま、口元を両手で覆う。


(真犯人を突き止めてしまった……。もし、ここで聞き耳を立てていたのがバレたら……口封じ?)


 そんなことあるわけない、と頭の中で否定するが、リシャールならやりかねない。リシャールの攻略に失敗したときのバットエンドを思い出し、イザベルは背筋が冷たくなった。彼は、目的のためなら手段を選ばない男だ。


(けど、一体いつから? いつから裏切られていたの……?)


 黒幕の正体はリシャール。主人の噂を陰で操っていた人物。だが同時に、イザベル専属執事としてずっと身近にいた、家族同然の存在でもある。

 信頼関係がもろくも崩れ去っていく瞬間、まるで世界が止まったようだった。音がすべて遮断され、呼吸すらままならない。

 イザベルの耳には、もう彼らの会話は頭に入ってこなかった。

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