8. 宿命からは逃れられない

 白いリムジンから降り、イザベルは校舎を見上げる。

 立派な正門をくぐれば、ラヴェリット王立学園の高等部がある。道路を挟んで真向かいにあるのが中等部だ。


「イザベルお嬢様。あなたの行動には伯爵家の名誉がかかっています。ゆめゆめお忘れなきように」


 通学用の鞄を差し出しながら、リシャールが最後の釘を刺す。

 イザベルは鞄を受け取り、口を尖らした。


「心配性ね。少しは信用してちょうだい」

「お嬢様はそうおっしゃって、私が油断するのを狙ったように厄介ごとに首を突っ込むではありませんか」

「そ、そうだったかしら……」

「まさか覚えておられないと?」


 表面上は笑顔を取りつくろっているが、怒りのオーラが隠し切れていない。

 これはまずい、と直感が告げる。

 リシャールの注意をそらすものはないか、と視線をさまよわせていると、彼の背中越しにポニーテールが見えた。


「ジェシカ! おはよう」


 声を張り上げて呼び止めると、ジェシカは優雅な足取りでこちらにやってきた。イザベルとリシャールを見比べ、小首を傾げる。


「今日は弟くんも一緒なの?」

「おはようございます、ジェシカ様。何度も申し上げていますが、私は弟ではありません」

「似たようなものじゃない。姉弟同然に育ったという話だし」

「ですから、それはイザベル様が勝手に言っているだけで、私は承諾した覚えはありません」


 興味が削がれたのか、ジェシカはわかりやすく話題を変えた。


「それはそうと、イザベルはもう具合はいいの? 昨日は休んでいたでしょう?」

「見てのとおりよ。一日寝たら熱も引いたし、みんな大げさなのよ」

「そうなの? ジークフリート様も心配していたわよ。今日は早めにサロンに行くことね」

「わ、わかったわ」


 ノート集めで遅れたときも不機嫌だったのを思い出し、親友の言葉を心に刻む。

 ジェシカは腕時計を確認して、あ、と声をこぼす。


「そろそろ始業時間よ」

「イザベル様、本日のデザートはサロンに運ぶように手配しています。……私はこれで失礼しますが、ジェシカ様。くれぐれも、お嬢様のことをよろしくお願いいたします」

「うーん。私も忙しいのだけど……」

「今度、社交界デビュー前のご令嬢を集めたお茶会が、内々に開かれるそうです。ジェシカ様もご参加されますか?」

「私に任せて。お安いご用よ」


 渋っていた態度を一変させ、安請け合いする親友に目で訴える。

 だがジェシカは気づかないふりをして、一礼して中等部へ向かうリシャールに手を振って見送っていた。

 そして、小さくなる背中に目線を固定したまま、つぶやく。


「あなたの執事は、本当に過保護ね」

「……それは否定しないわ」


 ジェシカはそつなくこなすタイプなので、周囲から世話を焼かれるイザベルとは正反対だ。

 校門を通り過ぎると、後ろからばたばたと忙しない足音が聞こえてきて、足を止める。

 音のする方向を見やると、並木道から小走りで急ぐのは、あろうことか高等部の女生徒だった。

 いつもなら淑女としてはしたない、と注意するところだが、その女生徒がフローリアだと気づき、声をかけるのをためらう。

 一方のフローリアもイザベルに気づいたらしく、会釈だけして前を通り過ぎる。

 そのとき、目の前を舞うのは純白のハンカチ。ひらりひらりと揺れる様子を目で追いながら、やがてイザベルは動きを読み切り、パシッとつかむ。


「フローリア様。ハンカチを落としましてよ」


 イザベルが声をかけると、フローリアだけでなく、周囲にいた生徒も一斉に振り向く。注目されることに慣れているイザベルは、そのまま彼女の元に近づく。

 視線を一身に浴び、フローリアは緊張した面持ちでハンカチを受け取った。


「あ……ありがとうございます。イザベル様」

「ふふ、今日もいいお天気ね」

「そうですね」


 予鈴が鳴り、会話はそこで途切れる。失礼します、と足早に去って行くフローリアの姿を見送り、イザベルは満足していた。

 ジェシカと教室に向かいながら、作戦成功を確信する。


(これで、わたくしたちの不仲説はなくなるはずよ)


 和やかに話すことで、悪役令嬢のような高圧的な態度ではなく、友好的な態度が周囲にも印象づけられたはずだ。

 根も葉もない噂を消すには、新しい噂を流すことが一番だ。


(フローリア様とは友達になったんだもの。そのわたくしが彼女に嫌がらせなんて、するわけないじゃない)


 嫌がらせは自分の指示という、不名誉な噂も下火になるだろう。このとき、イザベルはそう信じて疑わなかった。


      *


 お昼のサロンは、いつもより閑散としていた。聞けば、二年生は課外授業で校内にいないとのことだった。

 三年生と一年生だけのサロンは静寂に包まれ、どことなく落ち着かない。

 そわそわとしながら、サロンの最奥に向かえば、ソファに優雅に座る婚約者がいた。


(さすが白薔薇の貴公子ね、長い足を組んだ姿も絵になるわ……)


 ジークフリートは読書に集中しているらしく、イザベルに気づいていない。

 これは好機だ。目の前の光景を脳内のスクショに保管するべく、頭からつま先まで不躾なまでに見つめる。

 その姿を目に焼き付けて満足したイザベルは、静かに声をかける。


「ジークフリート様」

「……高熱に浮かされて面会謝絶と聞いていたが、もう平気なのか」


 深刻そうな顔で尋ねられ、イザベルは瞬いた。

 熱が出たと言っても、平熱より少し高いぐらいだった。とても面会謝絶などという単語が出てくるような重い症状なわけがない。


「……誰がそんなことを?」

「リシャールだ。昨日、朝早く高等部までやってきて、サロンには来られない旨を伝えに来た」

「え? それは申し訳ございません。夕方は割と元気だったのですが」

「イザベルが元気そうなら、別にいい」


 ぶっきらぼうに言う横顔は、どこか疲れた様子が窺えた。うなだれるように俯き、両手を頭の前で交差する。


(……わたくしが休んでいる間に、何かあったのかしら)


 気にはなったが、ジェシカのように気安く理由を聞ける間柄ではない。

 婚約者として、そばにいるように義務づけられてはいるが、イザベルとジークフリートの間には明確な線引きがある。


(ジークは優しいけれど、どこかよそよそしいというか、遠慮している節があるのよね。これって、わたくしに気を許していない証よね)


 心の距離は、むしろ幼い頃よりも遠ざかっている。ジークフリートはそのことをどう思っているのか、イザベルはその答えを聞くのが怖い。


(当たり前だけど、悪役令嬢にも悩みはあるのよね……)


 近すぎるからこそ、聞けないのだ。嫌われてはいないと思うが、ヒロインと親しくなるにつれて、邪魔に思われるかもしれない。

 無言のイザベルを不審に思ったのか、ジークフリートが顔を上げる。


「イザベル? どうかしたか」

「いいえ。心配してくださって、ありがとうございます」

「婚約者なら心配して当然だ」

「そんなことはありません。優しいのはジークだからですわ。たとえ婚約者ではなくても、きっと心配してくれたと思います。だって、ジークは思いやりがある方ですもの」


 前世でも、こういう気遣いができる男はモテる。打算や下心がなく、困っている人が求めている言葉や優しさを与えることができる人は少ない。

 とはいえ、男女においては、その優しさがあらぬ誤解を生むこともままあるのだが。

 ジークフリートは権力だけでなく、周りから慕われる素質を持っている。権力を武器に、学園内での地位を確立したイザベルとは違う。

 尊敬のまなざしを送ると、ジークフリートはパッと目をそらす。

 しかし、そっぽを向いた彼の耳が朱に色づいているのに気づき、イザベルの乙女ゲージが跳ね上がる。


(生真面目なタイプが恥ずかしがる様子もグッド! やっぱり、これぞ正統派のヒーローの醍醐味よね)


 ふと、イザベルは目線を落とし、ジークフリートの膝にある本に目を留める。一冊は王国経済の本、その下にはカラフルな色彩の本がある。


「何をご覧になっているのですか?」

「……大したものではない」


 ジークフリートは俊敏な動きで本を背中に隠す。だがイザベルは、その裏にお菓子の写真があったのを見逃さなかった。


(レオン王子はともかく、ジークってお菓子好きだったかしら……)


 ゲーム内の記憶と、今世の記憶を思い返してみるが、甘い物好きという印象は抱いたことがない。


(もともと好きではないとすると、やっぱりヒロイン絡みのイベント?)


 予想よりも早く進展しそうな気配に、自滅エンド回避への道が塞がれつつある予感がした。


      *


 翌朝、登校してきたイザベルを待ち構えていたのは、二年特Aクラスのご令嬢一行だった。


「イザベル様。少しよろしいでしょうか?」

「どうかしましたか、ナタリア様」


 取り巻きを数人連れたナタリアは、自慢の縦ロールを後ろ手に払い、澄ました声を出す。

 つり目仲間で気位が高いという点では、彼女にも悪役令嬢の素質があるように見える。

 ちなみにナタリアは先輩でもあるが、子爵家の令嬢だ。つまり、貴族の身分がモノをいうこの学園において、伯爵令嬢であるイザベルの方が実質的な地位は高い。

 したがって、イザベルに面と向かって意見する人物は限られる。爵位が上の公爵令息のジークフリートやレオン王子、友達のジェシカなどだ。

 例外的には目の前のナタリアのような、派閥を持っているグループだ。


「昨日のハンカチ事件、耳にしましたわ」


 初めて聞く事件名に、イザベルは耳を疑った。

 しかし、ナタリアは生真面目な顔を崩さず、イザベルを褒め称えた。


「庶民のハンカチを拾い、宣戦布告なさるイザベル様はさすがですわ」

「ちょ、ちょっと待ってください……宣戦布告とは?」

「イザベル様自らがハンカチを突きつけ、貴族と庶民の格の違いを見せつける場面は、さながら本に出てくる名シーンだったと、皆が申しております。それに、あなたは学園にふさわしくありません、と堂々と言い切るなんて、お話を聞いただけでもしびれましたわ」


 頭の整理が追いつかない。


(ナタリア様は今なんておっしゃったの?……っていうか、別にハンカチも突きつけていないのだけど)


 混乱するまま、昨日の会話を振り返ってみるが、いたって普通の朝の挨拶をしただけだ。友好的に接した覚えはあれど、敵対した覚えは一つもない。


「あの……そんなことを言った記憶はありませんが」

「口に出さずとも、皆わかります。庶民のハンカチなど捨て置いて当然なのに、それを敢えて拾うことにより、宣戦布告をしたも同然ですわ」


 曲解だ。だがふと思う。

 貴族社会は、腹の探り合いだ。つまり、言葉の裏、はたまた裏の裏の裏まで見抜くことができなければ、弱肉強食の社会を生き抜くことは難しいのかもしれない。

 けれども、イザベルは口には出していないし、そもそも思ってもいない。


(甚だしい誤解だわ)


 しかし、それを公の場で直接口にすることは、ナタリアをおとしめることになる。

 それだけの発言権がイザベルにはあるのだ。貴族社会において、一度、孤立させられた者の未来はないに等しい。

 どう反論しようかと考えていると、ナタリアは頬に手を当てて嘆息する。


「ですが、フローリア様に近づくのはおやめください。令嬢とはいえ、成り上がりの男爵の娘ですもの。イザベル様とはつり合いが取れませんわ」


 そうでしょう、と同意を求めてくる視線にイザベルは困り果てた。

 ナタリアとフローリア、両方の地位を脅かすことなく、この場を穏便に済ませる方法。考えあぐねた結果、角が立たないように返すのが精一杯だった。


「……ご忠告、ありがとうございます。心に留めておきますわ」


 ナタリアは言いたいことが言えてスッキリしたのか、ではごぎげんよう、とイザベルを追い抜き、靴箱の方へ行ってしまった。


(一体なぜ……。どうあがいても、わたくしは悪役令嬢にしかなれないというの?)


 自分の目論見が外れたことを悟り、イザベルはその場に立ち尽くす。


(これでは完全に手詰まりだわ。悪役令嬢フラグを折るどころか、逆に立ててしまっているわ)


 良策だと思っていたことでさえ、裏目になってしまうなんて、どうしたらいいのか。

 もはや、悪役令嬢になる宿命からは逃れられそうにない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る