7. 新しいお友達ができました
翌日、イザベルは不覚にも熱を出してしまった。
やはり、うららかな春とはいえ、水を侮ってはいけない。たとえ冷水ではなくても、体温は確実に奪われていくのだ。そして、その油断が風邪の引き金になる。
「エルライン伯爵家のご令嬢として、もう少し慎み深くなっていただきたいものです」
朝一から小言を聞かされる羽目になったイザベルは、言葉少なに返答する。
「……慎み深く生きているつもりよ?」
「どこがですか。高等部に入って、少しはおとなしくなったと思ったら……。あなたはもう少し、自分のことを労るべきです」
「もし、子猫が降りられなくなったら、助けるのは悪いことではないでしょう。今回だって、不運にも水をかぶってしまっただけであって、濡れたくて濡れたわけではないのよ」
これは、いわば人助けだ。そう主張しようとすれば、リシャールはわざとらしく、ため息をつく。
「それは当然でしょう。ですが、普通の貴族のお嬢様なら、自分で塀に上った挙げ句、うっかり足を滑らして湖に落ちるような真似はしないんですよ。お茶会を抜け出して水浸しになったお嬢様を見たとき、私は青ざめましたよ。他の方へ最もらしい理由をこじつける私の身にもなってください」
やけに実感のこもった言い方をされ、イザベルは少し反省した。
確かに気苦労をかけているな、という自覚はある。けれど、目の前で困った人や動物がいれば、手を差しのばさない理由にはならない。他の人を呼んでいる間に、何かあったらどうするのか。
そこまで考えて、イザベルはふと、これまでの出来事に共通点を見つけた。
「リシャール……ひとつ気づいたことがあるわ」
「何ですか?」
「もしかして、わたくしは水難の相が出ているんじゃないしら」
深刻な顔でつぶやくと、小言はさらにヒートアップした。
*
結局、学園も病欠で休むことになり、イザベルはおとなしくベッドの上で過ごすことを余儀なくされた。
(おなかすいた……)
お昼におかゆを食べたあと、いつの間にか、ぐっすり寝てしまったらしい。時計を見やると、すでに夕方の時間になっていた。
軽く何か食べよう、とイザベルは起き上がる。着替えるのも手間だったので、そのままベッドから抜け出し、ゆっくりとドアを開ける。
ドアから顔をのぞかせて周囲を見渡していると、「ごほん」という咳払いがして声が裏返る。
「ひゃっ!」
「……驚かせてしまい、申し訳ございません。イザベル様、もう起きて大丈夫なのですか?」
メイド長のメアリーだった。銀フレームの眼鏡のふちを指先で持ち上げ、厳しい視線がイザベルを射る。
その顔には、寝間着ではしたない、という呆れがにじみ出ていた。
ごまかさなくては、とイザベルは努めて明るく言う。
「まあ、メアリー。偶然ね! これでもかってぐらい寝たから、もう平気よ。……それより、何か用事だったのではないの?」
「……そうでした。フローリア・ルルネという方が面会にいらっしゃっています。こちらにお通ししてもよろしいでしょうか?」
「え、リシャールはどうしたの?」
時間的に、中等部に通っているリシャールはもう帰宅しているはずだ。
こういうとき、颯爽と現れるのは彼の役目。見習いとはいえ、彼はイザベル専属の執事なのだから。
メイドが取り次ぎ役をするなんて、めずらしい日もあるものだ。
「リシャールでしたら奥様から買い物を頼まれたらしく、外出しております」
「そう……。フローリア様は同じ学園の方なの。丁重にここまでお連れしてもらえる?」
「かしこまりました」
言うや否や、メアリーはきびきびとした動作で去っていった。イザベルはネグリジェにカーディガンを羽織り、いそいそとベッドに舞い戻る。
その数分後、制服姿のフローリアが姿を見せた。その顔色はどことなく暗い。
「お加減はいかがですか? イザベル様」
「熱も引いたし、もう大丈夫ですわ。それよりフローリア様、今日はどうなさったの?」
家まで来るなんて、何か急用だろうか。それとも、深刻な悩みでもあるのだろうか。学園では話せない話題となると、その答えは必然的に絞られる。
(きっと、疑われているわよね。誤解だと言って信じてもらえるかしら。……わたくしが逆の立場なら難しいわね。いや、そもそも違う用件という可能性も……)
いろいろ勘ぐるイザベルに、フローリアはぺこりと頭を下げた。
「突然のご訪問、お許しください。体調を崩されたと聞いて、心配で……」
「いいえ、わざわざ来てくださってうれしいわ。あ、おいしい紅茶があるのよ。ぜひ召しあがっていって」
ドア付近に控えていたメアリーに目配せすると、心得たように退室していく。
二人きりになったのを確認し、フローリアは重い口を開いた。
「あの、今から言うことが失礼にあたるとは、重々承知なのですが。どうしてもお話ししたくて」
「……失礼とか、そういうことは気にしないで。ここは学園ではないもの。上下関係とかないわ。それに、あなたとわたくしは、同級生なのだから。何か話したいことがあるのなら、遠慮なく話してくれていいのよ」
できるだけソフトに言うと、フローリアの緊張の糸がゆるんだ気がした。
「本音を言いますと、嫌がらせをしてきたのはイザベル様ではないか、と思っていました」
そうだろうとも。イザベルは心の中で同意した。
「でも今回のことで、それは違うということがハッキリとわかりました。首謀者は別にいます。そして、その罪をイザベル様に着せようとしてしています。……少しでも疑ってしまって本当に愚かしいことをしました。お許しください」
粛々と謝られ、イザベルは狼狽した。
「い、いえ。フローリア様が謝る必要はありませんわ。わかっていただければ、それで十分ですもの」
「まあ、なんと寛大なお心をお持ちなのでしょう。さすが、ジークフリート様の婚約者でいらっしゃいますね。あの、イザベル様……」
「何でしょう?」
フローリアは緊張しているのか、顔がこわばっていた。思い詰めたような表情を見て、イザベルの心もざわつく。
(……そもそも、悪役令嬢の自宅イベントなんてなかったはずよね?)
いきなり対決イベントになる可能性はゼロだと思いたい。切実に。
しばらく見つめ合うこと数分。やがて、フローリアは唇をキュッと引き締めて、おもむろに口を開いた。
「もし、よろしければなのですが……私とお友達になってくださいませんか?」
「…………」
「私は成り上がりの男爵の娘です。学園内でも風当たりが強く、まだ打ち解けられる友達がいないのです。イザベル様は地位や名誉などではなく、自分自身を見てくれる方。そんなあなただからこそ、もっと仲良くなりたいと思いました」
真摯なまなざしが注がれ、イザベルは言葉が出なかった。
(……やっぱり、おかしい)
イザベルの記憶にあったヒロインは、こんな風に芯が強く、ハッキリとした物言いをするタイプではなかったはずだ。その場の雰囲気に流されやすい天然キャラから一変し、むしろ、イザベル好みのキャラになっている。
(あのポワポワした思考回路の主人公は、一体どこへ行ったの?)
目の前の彼女は、イザベルの知っているフローリアではない。
数ある恋愛イベントを、プレイヤーの指示どおりに演じる傀儡とは到底思えない。ここにあるのは、気高い志を持った一人格だ。
もはや、ゲームの主人公とは別人と考えるべきだ。
そんな彼女が口にした願いをむげに扱うのは、とても心苦しい。苦渋の決断の末、イザベルは頷いた。
「フローリア様。わたくしでよければ……お、お友達になりましょう!」
「はい! ありがとうございます、イザベル様」
フローリアはイザベルの手を取り、天使のような笑みを浮かべる。そのとき、フローリアの周囲に、脳内補正でキラキラのエフェクトが追加された。
イザベルは、イベントスチルをゲットしたときような高揚感に包まれる。
(ああやっぱり、このイラストレーターさんのキャラを前にして、胸をときめかない人なんていない……っ)
好きな絵師が描くキャラはどれも魅力的だ。ましてや、そのキャラクターが実際に動き、自分に対して笑顔を向けた日には、いつお迎えが来てもいい。そう思わせるだけの破壊力があった。
しかし、悪役令嬢と仲良くなってしまって、彼女の評価は大丈夫だろうか。一抹の不安を覚えたイザベルだったが、目の前の笑顔につられて顔がゆるんでしまう。
(笑顔がまぶしい……何これ、眼福だわ……!)
今仕方、浮上した問題点について、イザベルは考えることを先送りにした。
やがてメイドが持ってきた王宮御用達の紅茶を振る舞い、心ゆくまでティータイムを楽しんだ。
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