ルンタの冒険
白川 小六
第1話 ルンタ、追い出される
ルンタは田中さんの家のお掃除ロボット。毎朝決まって九時になると家中の掃除を始めます。
今日もいつものようにリビング、寝室、子ども部屋と床のホコリやゴミを吸い取りながら、部屋の端から端まで行ったり来たり。
田中さんのご主人はさっき仕事に出かけましたし、子どもたちもとっくに学校に行ってしまいました。家にいるのは奥さんとルンタだけ。奥さんはさっきまでキッチンにいましたが、今はサンルームで洗濯物を干しています。
「……公園には連日大勢の花見客がおとずれ、満開の桜を楽しんでいます。一方近隣の住民からは、道路に散らかったゴミや、深夜までの騒音に対する苦情がよせられ、公園管理者は花見客にマナーを守るよう呼びかけています。……続いて、大手流通企業グループ『カリプソ』の巨額脱税疑惑についての続報です……」
リビングでつけっぱなしにされたテレビの音が廊下まで聞こえています。
世間は春。花見で浮かれさわぐ人たちもいれば、悪事を暴いて手柄を立てようとする人たちもいます。けれど、田中さんの家の中はいつも同じ。昨日と同じ今日、今日と同じ明日。少なくともルンタにとっては。……いえ、少し違います。ルンタはいつもと同じように書斎に入ろうとして、白いボディーを思い切りドアにぶつけてしまいました。いつもはルンタが通れるように開いている書斎のドアが、今日はなぜだか閉じているのです。ルンタは少し下がってもう一度ドアにぶつかりました。そして、もう一度、もう一度。
「ちょっと、何の音?」
奥さんが様子を見に廊下に出て来ました。
「やだ、何やってるのよ。ドアに傷がついちゃったじゃない。まったくもうバカなんだから」
奥さんはルンタのボタンを押して一時停止させると、書斎のドアを開けました。
「ほら、さっさと掃除してよね。午後にはマナミとシンジの先生が来るのよ」
奥さんがまたボタンを押して再起動したルンタは、書斎に入ろうとして急にUターンし、リビングのソファと観葉植物のかげにある、充電台に戻ってしまいました。
「え、なに? もう、充電切れ? ほんっと使えない。まだ、半分しか終わってないじゃないの」
奥さんにいくら文句を言われても、ルンタは決められた通りのことをするだけです。バッテリーが切れそうになったら、充電台に戻って二時間スリープするだけ。
二時間後、フル充電したルンタが目を覚ました時、奥さんはリビングのソファで青いマニキュアを塗りながらテレビを見ていました。
「……本社では先週から大勢の国税局職員が調査をしている模様です。長引く調査に、本社に勤務する社員たちは戸惑いを隠せない様子です。……続いて、株と為替の値動きです。東京株式市場では……」
ルンタは、さっき中断した書斎へと掃除の続きをしに行きました。この部屋ではご主人がいつも難しそうな仕事をしています。大きな机と本棚、テレビとステレオ、ソファ、テーブルがあって、床は迷路のようになっています。時々ご主人がゴミ箱や椅子の位置を変えたり、床に本を置いたりするので、つっかえて動けなくなったり、うまく掃除ができなかったりする部屋です。
ルンタは、キャスターのついた椅子の右側から、大きな机の下に潜り込み、そこをきちんと掃除してから、今度は椅子の左側から出て来ました。大丈夫です。そのままつっかえることもなく、ソファの後ろ側を回って、書斎の入り口まで戻ることができました。あとは、廊下と玄関を掃除したらおしまいです。
玄関には足の細い骨董品の花台があって、その上に薄青い花瓶がのっています。白い花の模様が浮き彫りにされた、とても綺麗な花瓶です。奥さんが外国から取り寄せたご自慢の品です。だけど、もちろんルンタにはそんなことわかりません。ただ、いつも玄関の段差の手前でいったん止まって、向きを変えるだけ。
ところがどうしたことでしょう、今日のルンタは止まりませんでした。段差を大きく乗り越えて、段差を感じ取るセンサーが働いた時にはもうすでにバランスをくずして玄関のたたきに転げ落ち、落ちるついでに花台にぶつかって、花台はぐらりと傾いて……。
大きな音に驚いて、リビングから駆けつけた奥さんが見たものは、粉々の青白いかけらと、その下で一生懸命起き上がろうとギザギザの小さなタイヤを空回りさせているルンタの姿でした。
奥さんは、花瓶とそっくりに青くなったあと、すぐに赤くなりました。そして、マニキュア塗りたての手でルンタを掴むと「もう、お前なんか出ておいき!」と玄関の外へ、まるでフリスビーか何かのように放り投げました。
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