第6話 屈辱

「おはようございます」

 出社した千鶴が、オフィスのドアを空けると、騒がしかったオフィスが、シーンと静まり返り、凍った空気が迎えた。社員の殺気だった目が千鶴を睨みつけ、上司の握った手がブルブルと振るえている。


「お前、今いったい何時だと思ってんだ!」

 温厚な上司が、声を張り上げた。そこには、普段見せる優しさは無く、千鶴が今までに見たことのない怒りが顔に浮かんでいた。


「えっ? 時間どおりに出社していますが」

 千鶴が怯えた声で応える。


「朝、6時に集合って、緊急メールが行っただろうが! 今月輸入した『冷凍マンゴー』で食中毒が起きて、子どもが一人、死んだんだぞ! 全員で、朝から、製品回収と謝罪の対応するって、連絡しただろうが!」


「すみません、知らなくて……」

 ―― 食中毒で、子どもが死んだ?

 想像もしていなかった事態に、千鶴の顔から血の気が引いた。


「ちょっと、スマホが壊れてしまって……」

「スマホが壊れただと?」

 上司の目が光る。


「はい、帰り道で落としてしまい……」

「嘘をつくな! 会社からの支給品にはGPSがついている。ちゃんとお前の家にあっただろうが!」

 ―― GPS?

 千鶴の会社では、全員に業務用のスマホが支給されている。食料品を扱う会社のため、万が一の事態でも連絡が取れるようにするためだ。


「えっと、その実は部屋で落として……」

「部屋で落とした? なんで、道で落としたなんて嘘をつく?」

「いえ、その……」

「ちょっと、見せてみろ」

 上司の問い詰める目から逃れられず、千鶴は壊れたスマホをカバンから取り出した。


「本当のことを言え」

 壊れたスマホを見て、上司が千鶴を問い詰める。


「すみません、ちょっとストレスが溜まってしまい、壁に投げつけてしまいました」

 目に涙を浮かべた千鶴の告白を、上司が無言で聞く。


「自分のスマホが充電切れだったんで、会社のスマホを使ったんです」

「仕事用のスマホを、私用に使ったのか? お前には社会人として常識がないのか」

 上司が、まるで、お前はクズか、とでもいうような目で千鶴を見た。


 ―― お前も、私用で使ってるだろうが。

 千鶴が喉まで出かかった声を飲み込む。


「これは、預かっておく。後で始末書を書け」

「申し訳ありません」

 千鶴が神妙に頭を下げた。


 ―― なにもかも、あいつのせいだ。

 謝罪する屈辱を、怒りが支えた。

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