第二章~ ナニカとの邂逅

1






「あ、あった!」



 階段下の所にポツンと落ちているのは間違いなく私のお守りだった。駆け寄って砂を払い、ポケットに入れなおす。今度は落としたりしないように紐までしっかりと押し込んだ。



 よし、帰ろ。



 踵を返し、神社に背を向けてすぐだった。



 音楽が流れた。よく知っているどこか物悲しくなる通りゃんせの歌だ。


 それと同時に、何か動物の唸り声。



 野良犬、かなぁ? それとも、もしかして……熊、じゃあないよね!?



 動物園でしか見たことない姿を想像して焦る私の目の前にフッと姿を現したソレは、野良犬でも熊でもなかった。それどころか、今まで見てきたどの動物とも違った。



「……な、に?」



 ソレは記憶違いじゃなければ悪魔と呼ばれるモノで。見上げるほどの巨躯きょくに、折りたたまれた翼。爬虫類を思わせる身体は黒褐色で、光る爪と牙は長く鋭い。その長い手が掴むナニカの先には、赤い水が滴っている。



 も、もしかしてそれって……血?

 待って。じゃあ、アレが掴んでるのって、人の、腕?



「……ひっ」



 理解した瞬間、どうしようもない恐怖心が襲ってくる。後ずさりしようとして何かにつまずき、尻餅をついてしまった。



「こ、来ないでっ!」



 ソレは用は済んだとばかりに掴んでいた腕らしきものを放り出し、私の方へ飛びかかってきた。


 とっさに腕を交差して頭を庇ったけれど、そんなの何の抵抗にもならなかった。鋭い爪を持つ手で首を掴まれ、宙に持ち上げられた。すぐに息苦しさと痛みが襲ってくる。足が地面につくかつかないかの所でバタバタとばたついた。


 首から流れでる血がソレの手をつたっていく。そして、ソレの赤黒い目に一雫、落ちた。


 辺りに、声にならない声がとどろいた。



「……っ!」



 すぐに振り落とされ、地面に強く体を打ち付けた。


 全身に走る痛みに体を丸めていると、またあの声が聞こえた。



『あさひ』



 一度目に聞こえてきた時ははっきりと分からなかったけれど、今度は確かだ。階段の上、神社の方から聞こえてきた。


 何が何だか分からないけれど、ナニカはもがき苦しんでいて、私のことは眼中にない。逃げるなら今しかない。


 痛みをこらえて立ち上がり、階段の上を目指した。


 この声の持ち主の所に行けば大丈夫。自分でも分からない謎の安堵感が一段一段上がるごとに増していく。



『あさひ』


『あさひ』


『待ちわびた』



 何度も何度も名を呼ばれ、最後の一声が聞こえた時、私は神社の社の戸に手をかけていた。


 社の中は酷く寒くて、両腕をかき抱いた。奥には白の垂れ幕がかかっていて、手前の白木の台の上には楕円の立鏡が置いてある。


 一見誰もいないように見えるけれど、声は確かにこの中から聞こえてきていた。



「だ、だれかいますかぁー?」



 震えた声が社の中に響き渡っていく。すると、チリンチリンと鈴の音が二度、奥、垂れ幕の向こう側から聞こえてきた。


 後ろを振り返ってナニカが追ってきていないか確認して、私は足をさらに中へと進めた。


 垂れ幕におそるおそる手をかけ、そっとめくって奥を覗き見た。


 その瞬間、甲高い音量で耳鳴りがした。思わず両耳を覆い、その場にうずくまった。耳鳴りは落ち着くどころか鳴りやむことを知らない。



「あさひ」



 耳鳴りの隙間を縫うように名を呼ぶ声が聞こえる。


 手を離したことで再び奥とこちら側を隔てた垂れ幕にもう一度手を伸ばした。



「……え?」



 垂れ幕の向こうには男の人がいた。ぼろぼろになって薄汚れた狩衣を着た男の人が、両手を天上から吊るされた鎖に左右に繋がれている。その男の人がこちらを見て、薄く微笑んでいた。



「あさひ。……良かった」

「あの、何故、私の名前を? ……それに、どうして鎖でつながれてるんですか?」

「お前を待ってた」



 噛み合わない会話だけれど、男の人は心底嬉しそうに笑っている。耳鳴りはいつの間にか止んでいた。


 男の人は質問の答えを口にする気はないらしく、こちらに来ようとガシャガシャと鎖を鳴らしているせいでもろくなっていそうな鎖は今にも外れてしまいそうだ。


 床に散らばるほどに伸びた黒髪は手入れをされていないだろうに輝きを失っておらず、長い間陽に照らされていないだろう肌は青白い。切れ長の黒目が翳りを僅かに帯びているのは長い睫毛のせいだろう。今までの人生で見たことがないくらいの美しさを目の前の男の人は持っている。


 会ったこともないのに名前を知っていて、さらに鎖でつながれているという男の人に近づいてもいいものだろうか。ましてや、この人が神社に近寄ってはいけないと言われる所以ゆえんだったら、これ以上この人の前にいちゃいけないのではないか。


 内心戸惑い、私がここに来ることになった理由を忘れそうになった時。



 鳥居の方から轟くあのナニカの声が否が応にも耳に届いた。



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鎮魂歌は世界の端まで響き渡る 綾織 茅 @cerisier

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