鎮魂歌は世界の端まで響き渡る

綾織 茅

序章~

序章

 




 今日、私は生まれてから今まで十五年間住み続けたこの家を出ていく。これからはお父さんの実家であるおばあちゃんの家に住むことになるのだ。


 両親が交通事故でこの世界から同時にいなくなってしまって、はや一週間。色々とあっという間で、気づけば今日の引っ越しの日を迎えてしまっていた。


 没交渉だったにもかかわらずどこからか話を聞きつけ、駆けつけてくれた叔父さんには本当に感謝している。何も分からない私に代わって葬儀やら斎場のことやら何から何まで段取りを組んでくれた。



朝妃あさひさん?」

「今行きます!」



 お父さんとは丁度一回り歳が離れた弟である叔父さん――拓真さんが玄関のドアを開け、顔を覗かせた。心優しく物静かな叔父さんはなかなか玄関から出てこない私を心配してくれたらしい。そろそろ行こうかと声をかけられて十分以上経ってしまっているんだからそれも当たり前だろう。


 最後の荷物が入ったバックを肩にかけ、玄関から出た。叔父さんは車庫に停めていた車を出そうと車に乗り込むところだった。


 最後に、と、慣れ親しんだこの光景を覚えておこうと家の方を振り返った。引っ越しが思いのほか時間がかかってしまったせいで辺りは赤く染まる時間になってしまっている。これから住むことになるお父さんの実家に着く頃にはすっかり日は落ちてしまっているに違いない。



「さぁ、乗ってください」

「え?」



 後ろから声をかけられて道路の方に顔を向けると、叔父さんが助手席のドアを開けて待ってくれていた。



「あ、ありがとうございます」

「いえ」



 急いで車に乗り込むと、叔父さんも車の前に回り込んで運転席側のドアを開けて乗り込んだ。


 すぐに車は動き出し、見慣れた風景が後ろへ後ろへと消え去っていく。それを窓越しにずっと見ていた。



「名残惜しいですか?」

「……そうですね。ちょっと」

「急、でしたからね」

「……はい」



 返事をして、はたと気づいた。


 私ばかりが気落ちしているけれど、お父さんは叔父さんの兄で、お母さんは義理の姉だ。叔父さんにとってだって辛い時期に決まってる。



「あの……叔父さん」

「名前で呼んでもらえますか? その、叔父、という呼ばれ方になれてなくて」

「あ、ごめんなさい。拓真さん、で、いいですか?」

「えぇ。すみません。私の我が儘で」

「いえ! ……あ、その、私も一ついいですか?」

「どうぞ。一つといわずいくらでも」

「えっと……さん付けと敬語はなくしてくれると嬉しい、です」

「……この口調は昔からの癖で、すぐには直せなくて」



 年上の叔父さん――拓真さんから敬語で話されると、なんだか居心地が悪い気分になってしまう。申し訳なさそうにしながらも断られてしまって、さらに場が気まずくなってしまった。


 ここにいつも元気で面白いお父さんがいたならば違っただろうけれど、今はいない。……もう、いない。



 どうしよう。まずは謝って、それから。



「名前の方なら、朝妃、と、呼ばせていただきますね」



 伏せていた顔を運転席に座る拓真さんの方にサッと向けると、拓真さんは口元に仄かに笑みを浮かべている。



「……はい。ありがとうございます」



 もう覚えていないけれど、小さい頃に一度会ったっきりのおばあちゃん、その時行ったっきりの家。隣にお父さんもお母さんもいない不安で押しつぶされそうになっていたけれど、この優しい叔父――拓真さんのおかげで少しその不安が消えてくれた。


 それから拓真さんに本当に言おうと思っていた謝罪と労りの言葉をかけると、拓真さんはさらに笑みを強め、緩やかに首を左右に振った。



「私は大丈夫です。大人ですし、別れはつきものだと割り切れていますから。でも……大丈夫。二人は貴女がどこにいても見守ってくれていますよ。貴女は彼らが生きた証ですから」

「……はい」



 目頭が熱くなって、顔を再び伏せた。


 しばらくすると、ある風景が僅かに目に入ってきて顔を上げた。家から少し離れたところにあるなかなかの勾配の坂道だ。これから丁度坂を上るところで、この坂を下れば家は見えなくなる。



 やっぱり、もう一度だけ。これで本当に終わりだから。



 まるで、もう私が帰るべきところではないと分からせるかのように夕焼けを背負って暗い影が伸びる家。きっともう帰らない、帰れない光景を目に焼き付けようと、坂を下り始め、家が見えなくなるまでずっとずっと見続けていた。



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