第三話 クロア

「……きろ!」

 頭上で声がする。全身に痛みが走り、まるでいばらでぐるぐる巻きにされているような感覚。

「おい! 起きろ!」

 休ませてほしい。もう長く公演が続いている。昼も夜もだ。最後の相手は男だったか、それとも女だったか。攻めか受けか、いや口だったかもしれない。長くしゃぶったからこんなに体が痛いのか。鉱山の男はタフで荒い。数人を同時に相手すれば一晩で局部の腫れや全身の筋肉痛に見舞われることもある。

 もっと休ませて……。

「起きろ!」

 堅いもので頭を殴られ、クロアはベッドから転がり落ちた。その衝撃で目が回り意識が朦朧とする。痛みの根源に手をやると、ぬるっとした感触があった。

 そ、そうですわ。わたくし、怪我をして……あれからどうなりましたの? 同胞団が助けてくれて……ルシル、リコット、シエラ、ローエ……キィン……。

 髪の毛を掴んで無理矢理立たされ、頬を二度、三度と平手打ちされる。口の中に血の味が広がった。

 視界が慣れてくると、そこにいたのは汚い服の男だった。全身砂と泥にまみれ、服は破れが目立ち出血もしていた。ライフルを背中に回している。それは同胞団ではなかった。

「脱げ!」

 吐き捨てるように言う。えっ? と躊躇うクロアのシャツを男が強引に引き裂いた。

 露わになった胸を反射的に両手で隠す。打ち身や傷で赤くまだらになった肌には大小の止血テープが無数に貼られていた。

「全部だ、早くしろ!」

 仕方なくそれに従った。ズボンを脱ぐとベルトで太ももに留められた巨大なペニスが露わになった。女性らしい体型に似つかわしくないもの。

 男がちらりとクロアの体を見て、キメラか、と呟く。それに一瞬怒りを覚えるが、男がライフルを構えて、出ろ、というので従うしかなかった。

 谷のどん詰まりにあったプレハブハウスを出ると、周辺には酷い悪臭が立ちこめていた。金属やゴムが焼ける苦い臭いに加え、腐った肉を生焼けにしたような吐き気を催す臭気が鼻を刺す。

 な、何? 何が起きたんですの?

「行け!」

 言われるがまま、クロアは歩き出す。戦闘でもあったのか、整然としていた谷は完全に崩壊していて、コンテナは至る所で崩れ、弾痕がそこら中にあり、焼け焦げていた。

 人の姿はなかった。唯一背中に銃口を突きつけている男に促され、クロアは歩いて行く。

 しばらく歩くと、ようやく人がたくさん集まっている雰囲気が伝わってきた。コンテナの角を曲がったその先で、人が列を作っていた。

 これは……何ですの?

 男も女もみんな裸だった。一列に並び、何かの順番を待っているかのように一定間隔で一歩ずつ進んでいく。前には五十人くらいが並び、しかもウネウネと蛇行していて先頭がどうなっているのか見えなかった。

 武装した男たちが裸の列を眺めていた。その視線は一様に鋭い。

 並べ、というのでクロアはその最後尾についた。直ぐに別の数人が同じく裸で連れて来られクロアの後ろに並んだ。彼らは無表情で暗く沈み込んでいた。さらに数人ずつ増えていき、クロアの後ろにも行列が出来た。

「もたつくな! 行け!」

 クロアたちを取り囲んでいる男たちがライフルをこれ見よがしに抱えて命令する。

 一体どこに? この先は……確か、墓穴?

 記憶を探り地形を思い出す。この先には並んで行くようなところなど無いはずなのに。

 ふと足下の感覚が違った。その地面だけが濡れていて、しかも臭い。それを待つ間に足の指で掘ってみる。

 アンモニア臭……小便?

 また一歩進む。その時、タンという軽い音が響いた。どうやら音がするたびに一歩ずつ進んでいるようだった。

 ようやく先頭が見え始め、そして何が行われているか理解して、クロアは戦慄した。

「い、いや、ですわ……いや、いやーっ!」

 うるさい! と男がライフルのストックで殴った。奥歯が二本折れて口の中に血が満ちる。直ぐに頬がぷっくりと腫れ上がった。

 「次」

 先頭で男が無表情で言う。その先にあったのは墓穴だ。裸の列から先頭のひとりがその縁に立つ。すると男が拳銃を後頭部に向けて引き金を引いた。軽い音と共に墓穴に落ちていく。

 そう、ここは処刑場なのだ。そしてクロアが並ばされているのは紛れもなく処刑を待つ列なのである。

「次」

 また一歩、その順番が近づく。

 何で? どうして? 一体何がどうなってこんな……。

 ブレイク・モンガーとの戦いで負傷し眠っていたクロアには、戦争終結もその後の襲撃も全く知らない、突然の事態だった。

「次」

 まるで単純作業であるかのように進む。クロアは意味がわからず、とにかく列から抜けなければと思った。近くの男に話しかける。

「ね、ねえ、あなた! わたくし娼婦ですの! 戦争とは無関係の、そう! ただの難民で……」

 しかし男は顔色ひとつ変えない。

「本当ですのよ! ほら、わたくしの体! ハイブリットでしょう?  キメラ、キメラよ! 難民の、娼婦! 売春婦ですの! ば、売女!」

 自分自身を蔑む言葉。だがここまで自分を貶めても、男はちらりと視線を送っただけで興味無げに戻った。

「次」

 また進む。もうクロアまで長くはない。

「しょ、証明してあげますわ! お口ではどう? わたくしの舌使いはとろけるほどだって評判ですのよ! じゃ、じゃあアナルならどうですの? 締まりは最高! 何人も男性を昇天させましたわ! 攻めもいけますわよ! どう? このペニス! ミキシングならではの巨根! 女性だけでなく男性もしゃぶったり受けになりたいって方がけっこう……」

 早口で捲し立てる。口の中で血が泡だってダラダラと垂れるが気にしていられない。

 男が黙ってクロアに向く。そこに一筋の希望を見出し、待った。男の要求には何でも応じるつもりだった。

 しかし男がしたのは、ライフルのストックをクロアの顔面に打ち込むことだった。鼻が鈍い音を立てて曲がる。鼻の奥に血が溢れ、直ぐに詰まって臭いが失せた。

「次」

 拳銃の引き金を引くと、タン! と音がして、五十代くらいの男が落ちていった。

 ついにクロアの前に三人になった。クロアは顔の痛みより恐怖で竦み上がった。じょろじょろと陰茎から小便が漏れた。ペニスガードで太ももに固定されているので、小便は足を生温かく伝って地面を濡らした。

「次」

 タン! と音が響く。

 いや、死にたく……ありませんわ……死にたく……。

「次」

 落ちたのは三十代くらいの女だった。

 こんな死に方、いや……いや、いや!

「次」

 まだ若い男がそこに崩れる。横たわる体を後ろから墓穴に蹴り落とす。

「次」

 クロアが引っ張り出される。巨大な墓穴の縁、その中を見下ろすと、無数の死体が折り重なって積み上がっていた。

 ふと横を見ると何かを山と乗せた猫車がやってきて、それを墓穴に落とした。その中に焼けた腕を見つけて、それがバラバラになった死体だと知り、クロアの恐怖は頂点に達した。

「いや、いやあ! 死にたくない! わたくし、あた、あたし、死にたくない! こんなのいやあ! 死にたくない、死にたく……」

 クロアの頭の後ろで、軽く弾ける音がした。クロアの体はぐらりと力なく倒れ、墓穴の斜面を転がって落ちていった。

「次」

 その上から別の死体が落ちてくる。

「次」

 直ぐにクロアの体は埋もれて見えなくなった。

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