第三話 ウォール・バンガー、前へ!
食料はそれほど残っていなかった。あったのは調理しなければならない缶詰ばかり。それは塩漬けの肉やキャベツ、豆の水煮、アスパラガスアやトマトなどで、重くかさばるので捨て置かれたのだろう。だが幸いなことにチャージ式コンロを見つけたので、鍋や食器、調味料と合わせてウォール・バンガーに積み込んだ。胴体にあたるパイナップルの中はけっこう広いので余裕がある。乗り物で移動出来る利点だ。
油臭くないポリタンクも見つけたので、中をよく洗って車体の排水器に取り付けた。それは胴体の床の鉄の
水素電池は充填された
ロープや重機用の工具など、他にも役に立ちそうなものを幾つか持ち込んだが、数量は多くなく、全て胴体の中に入れることが出来た。後ろの車体にあるコンテナは空っぽのままだが、余計なものを入れて重量が増し、水素電池の減りを早めるよりはマシだった。
リコットがどうしてもと言って、現場で使うスタンドライトを持ち込んだ。これは一抱えくらいある縦型で、細長いライトが四本、縦に並んでいた。何かと聞いても、今は秘密、とリコットは悪戯っぽく笑った。
武器になりそうなものは何もなかった。もしテラリスやアンダー・コマンドと遭遇したら、そう思うと不安はあったが、そもそもルシルたちに戦うことなど出来るはずもない。逃げるというならウォール・バンガーは打って付けで、だから武器は必要ないと言えた。
運転席にルシルが座り、リコットはその横に腰を下ろす。
搭乗口の扉を閉めると中は真っ暗になる。電池が勿体ないので照明はつけない。明かりはカメラが撮った映像を表示する三十二インチの三つのモニター、それと幾つかのアナログの計器類。左右に二つずつある覗き窓は、今は全て閉じてあった。
「じゃあ、行くわよ」
シフト・レバーを低速前進に入れ、アクセル・ペダルをじんわりと踏み込む。ガタンと大きな揺れが起こり、ウォール・バンガーはゆっくりと動き出した。前面にある中央の尖った
グッとペダルを踏み込もうとして、機体がガクンガクンと揺れた。踏み過ぎたのだ。ルシルは一度、足を離し、深呼吸した後、再びペダルを踏みしめた。リコットがルシルの肩に、慌てないで、というように手を添える。
大きなハンドルを回し、積み上がった残骸を避ける。ハンドルは重いが遊びがない分、感覚的に把握し易かった。
工場の扉の前まで来ると、一度、ペダルから足を離す。
レバーに持ち替え、折り畳んでいた腕を展開させた。三つ折りだったストローのような腕は、しかし実際には直径が二十センチ近くあり、しかも重くパワーもあった。
ルシルは安堵していた。思っていた以上に自由にそれを動かすことが出来たからだ。レスポンスはかなり良く、アナログスティックも基部のストロークが短いので扱い易い。
繊細な動きも出来た。巨大な鉄の扉は左右にスライドするようになっていたが、指、つまり三本のマニピュレータが上手く把手を掴み、扉を開けられたのだ。
外から差し込んだ陽光が、工場の中を強く照らす。それはモニターを通して、ルシルの目を眩ませた。
腕を収納して、ハンドルに持ち替え、そしてルシルはゆっくりと息を吐いた。
いよいよね、あいつらに見つかりませんように……。
心の中で強く祈る。ふと見ると、リコットと視線が合わさった。彼女がにっこりと笑って、ルシルの中で何か大きな自信、勇気のようなものが沸き上がった。
あたしは出来る!
そしてウォール・バンガーは、工場から街中へと走り出た。
障害物を避けながら街中を進み、そして街道へと出ると、高速前進へとシフト・チェンジした。ペダルをぐっと踏み込むと速度が増すが、それは非常に安定していて揺れはほとんどない。
「すごいパワーですね」
「ええ、だから車体を二台連結して水素電池を拡張してあるのね。よくこんなものが残っていたわ。どうして壊されなかったんだろう」
思ったんですけど、とリコットが自分の考えを披露する。
「ビルド・ワーカーは廃棄の時に手続きするんですけど、処分はジャンク屋や解体業者が行うんです。そこから使えるパーツを抜いて再利用するんですけど……もしかしたらそういうパーツでくみ上げたものじゃないかと思うんです。だからテラリスも見逃したんじゃないかと……」
「じゃあ、あの工場はもしかしたらイルダール同胞団の支援者だった?」
そうかも知れませんね、とリコットが言う。
工場の人たちがどうなったのか考えると心が痛むが、もしそうならルシルたちにとっては幸運だ。このまま敵に合わずに南下出来れば、と願う。
ウォール・バンガーは赤茶けた大地に続く、舗装もされていない道を順調に走っていった。
しばらく走っているうちに、ルシルはあることに気がついた。運転席の周囲の温度が上がっているのだ。それに伴って錆とペンキの臭いも強くなった。我慢できないほどではないが、目に染みる感じがして気持ち悪い。
幾ら陽光が強くても、この温度は少し異常だった。次第に額に汗をかき出したのは緊張からだけではない。ふと見るとリコットも胸元を指で広げていた。淡く濡れた彼女の横顔は、大人っぽく色気があった。
「この暑さはどうしたの? どこか故障はない?」
大丈夫です、とリコットは汗ばんだ顔で頷いた。
「この胴体は元々資材を置く荷台で、床にはラジエーターがあるんです。水素電池は単一セルを束ねたセルスタックが並んでいるから冷却剤があってもどうしても高温になって……。この下は冷却のためにドレン管がクネクネ這ってますから……」
ふと会社の別のビルド・ワーカーの荷台で従業員が昼寝をしていたのを思い出した。風除けはあったが寒い最中だったので、どうしたのだろうとその時は思ったが、そういうことだったのか。その荷台の上に鉄板をガチガチに固めた密室を作ればどうなるかは考えるまでもない。イルダールは恒星に対しての公転軌道が大きく、一年を通して気温は高くならないので、昼間でも気温が零度になる時期は良いだろうが、今はまだかなり早い。
搭乗口を開けようか、それとも吐くまで我慢するか……ルシルは運転しながら、最悪の事態にならないことを祈った。
「あそこ! 右に
慌てずにゆっくりとハンドルを切る。右側のモニターの向こうに、大きな円形の深い窪みが唐突に現れ、そして後ろに流れていった。
「あんなのに落ちたらひとたまりもない……。よく気がついたわね」
リコットは苦笑して、ずっと前に何度も落ちましたから、と言った。
墓穴というのは、イルダールによく見られる、円形の窪みのことで、砂利で出来ていて小さいもので直径が二メートル、深さは五十センチほど、この程度なら子供の遊び場になるが、それが直径二十メートル、深さが八メートルともなれば、落ちれば自力で上がるのはまず無理で、さながら蟻地獄のようであった。
イルダールでは整地されていないところではよく見かけられ、何故そんな風になるのかは詳しく分かっていないが地層に関係があるらしい。ある日、突然、地面が吸い込まれるように出来ることもあった。
慣れていない者が車や機械を落とし込むことがよくあって、その都度、修理業者が呼ばれる。リコットはそのことを言っているのだろう。
むしろひとりで落ち込んで、這い上がれずに死亡する例も多い。そのこともあって墓穴と呼ばれるが、それとは別の意味もある。
遠くない昔、同胞団が結成される前くらいの入植者が溢れ返るほどやってきた時代では、過酷な労働と劣悪な環境が相まって、毎日、大勢の死者が出た。余りにも多いのでひとりひとり火葬にすることも埋葬することも出来ず、その日に出た遺体を墓穴に放り込み、液体燃料で一気に燃やす、ということが実際に行われていたらしい。
それが墓穴と呼ばれだした理由であるとする説も一般的だ。
因みに燃やされた遺体は、小さな骨だけを回収し、身元がわかる所持品の一部と一緒に保管される。万が一、その家族や関係者が探しにきた時にわかるようにという配慮だ。だがそれを利用して犯罪者が自分を死んだことにして他人の成り済ますようになったため、テラリスが墓穴での火葬を禁止した。それから入植の管理を徹底し、今ではもう行われていない。その頃から火葬場が続々と作られるようになったのはブラック・ジョークとなっている。
ここから先、墓穴は数多くあるだろう。しかも直前までそれと分かる目印はない。モニターに映る映像はやや不鮮明で不安だが、視点が高い分、見つけやすいとも言える。
ルシルはペダルから足を離すことなく、しかし慎重に周囲を伺いながら、ハンドルをとった。
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