第二話 嫉妬《しっと》と逡巡《しゅんじゅん》と

 水素電池ハイドロ・バッテリーは簡単に見つかった。壊れたトラックの中からそれを取り外し、台車に乗せて持ってくる。用意したのは全部で六つ。電池ボックスは車体の後側の上面にあり、パネルを外して差し込むようになっている。前の車体に二つ、後ろの車体には四つの電池をセットするのだ。

「パワーを出すために拡張してあるんですね。大丈夫、専用じゃないけど繋げますよ。簡単です」

 リコットがあっさりと言うので、全て任せることにした。二人で力を合わせて車体の上に運び上げる。一メートル四方、厚さは二十センチもある分厚い波板のような水素電池は、重量が三十キロはくだらない。少女二人ではひとつ持ち上げるだけでも重労働だった。

 電池ボックスのスロットに差し込んでからはリコットの受け持ちである。専用ではないので僅かに隙間が出来て綺麗に収まらない。ビルド・ワーカー用の水素電池の規格は格別に大きいのだ。

 しかしリコットは気にした風もなく、用意しておいた工具を傍らにそこにしゃがみ込んで接続用のソケットを引っ張り出した。

「機械をいじるのって大好きなんです。パパに教えてもらって筋がいいって褒められたし。わたし、仕事では一番腕が良かったんですよ」

 少し顔を赤らめながら話す。しかしそれが自慢に聞こえないのは、彼女の手並みを目の当たりにしているからだ。

 本来はソケットに差し込むプラグをコードごと切って中の線を剥き出しにし、ブースターケーブルに使うクリップを取り付ける。そのクリップで基盤を挟んで電力を供給させるのだ。簡単そうにやっているが、漏電や過電流、感電する危険もある。それなりに高い技術と知識、細かな神経がないと出来ないことだ。

 家に置いてあったビルド・ワーカーは故障するとお手上げで、従業員には修理の知識など誰も持っておらず修理業者が来ないと半日動かない時もあった。

 もくもくと作業をするリコットの背中は、不思議と楽しそうな雰囲気すら醸し出していた。それでルシルは声をかけずらく、それどころか胸をズキズキと疼かせる嫌な感情が巻き起こった。

 それは不安、嫉妬、そして劣等感と焦り。

 最初のリコットの印象は、自分と同じ境遇の何も出来ないであろう哀れな女の子だった。そう思えばこそ、ルシルはリコットに対して、この子を守らなければならないという使命感のようなものがあった。

 だがリコットはそれだけではなかった。実際にはルシルが持っていない、不自由のない生活の中で今まで培う機会がなかった“自立した女”だったのだ。

 ルシルが生きることに意味を見出せずにいた時、リコットは健全に生きる術を学んでいたのである。そこに年齢などは関係ない。ルシルが一番欲しかったものを彼女は既にしっかりと身につけているのだ。

 彼女が作業をしている背中を眺めながら、その手に何かを有することなくただ見守ることしか出来ない自分が不甲斐ない。それを存分に発揮するリコットが愛おしく憎い。その葛藤が胸を締めつける。

 ふと見ると彼女の眼鏡の蔓が直っていた。小さな子供用サンダルを履いたままの足に、彼女の雰囲気は全くの不釣り合いで、それがルシルに小さな苛立ちを上乗せする。

 これでよし、と小さくいって、彼女が立ち上がった。

「これでいいです。電池に水素が残ってればいいんだけど……。ちょっと動かしてみましょうか」

 リコットが屈託なく笑う。

 しかしルシルは気づかれないように小さくため息をついて、そうね、と返した。リコットの憧憬の眼差しが痛い。それに相応しい人間ではないという劣等感がルシルにのしかかる。

 重い気持ちで運転席に座り電源ボタンを押した。ブンっと大きな音を立てて、三つのモニターが青く輝いた。真ん中のモニターの中心で、くるくる回る花のようなアイコンが起動中であることを知らせる。画面から発せられる強い光と静電気がルシルの顔を撫でた。

「点きましたね」

 リコットがごくりと喉を鳴らす。ルシルは緊張からじっとり汗か滲んできた。

 次いで表示されたのは周囲の景色、顔に当たるカメラから撮影したのだろう、高い視点からの映像だった。三十二インチほどのモニターだがそれが三枚連なり視野は十分に広い。ごちゃごちゃした工場の様子がよく見渡せた。

 真ん中のモニターはタッチパネルになっていた。中心を指で上下左右に摩ればそれに合わせてウォール・バンガーも首を振る。やはりカメラは顔を模しているようだった。

 画面下にはメニューバーがあり、幾つかの項目が表示されていた。正面扉のロックのオンオフ、外部からロックを解除するパスコードの表示、モニターの画面設定、車体や腕の可動に関する細かな設定も出来るようだった。

 メニューバーの一番右端にイグニッション・ボタンがあった。

 深呼吸し、意を決してそれにタッチする。

 一瞬の間を置いて、ドッという強烈な振動が建物全体に響き渡った。

 と同時にルシルの全身を電撃が走り抜けた。物理的なものではない。それが脳天を貫いていった瞬間、足がガクガク震え出し、股間の奥がジクジクと疼きだした。

「すごい! やったぁ!」

 リコットが子供っぽく飛び上がって喜んだ。。

 こ、これは……。

 心臓がバクバクと鳴る。ヒューンという甲高い音が運転席を小刻みに震わせた。電力が機体を駆けめぐると鳴り始めるビルド・ワーカー独特の駆動音には興奮を免れない迫力がある。

 その駆動音に体が痺れ、座席に張り付けられたように、動けなくなった。特に下半身は脱力してしまい、足の指すら動かすことができなかった。じっとりとしたぬめりのある湿り気が、股間をムズムズさせる。一瞬、失禁してしまったかと青くなるほどだった。

 こんな、こんなこと初めて……。

 地の底から噴き出すような強大な力がルシルを揺さぶり、恐怖と快感がない交ぜになって体を疼かせる。そのまま身を預けていれば、絶頂オーガズムを迎えてしまうのではないかとすら思えた。

 それを悟られぬよう、ゆっくりと息を吐き出す。熱いそれは大きなハンドルの上に溜まって顔を撫でた。

 無邪気な笑顔のリコットが顔を寄せる。

「どうですか?」

「凄いわ、こんな感覚は初めて。今までのビルド・ワーカーとは全然違う」

「トルクが増強されてるんですよ。パワーが物凄く上がってます。これがあれば逃げられますね!」

「えっ?」

 それを聞いてルシルは不意に我に返った気持ちになった。

 逃げる? これに乗って?

 そんなことはまるで考えていなかった。それよりもウォール・バンガーに興味を持ち、率先して修理していたのはリコットである。

 あたしったら何をやってるんだろう。必要なものを集めて早く逃げなきゃいけないのに。それに乗るっていっても運転なんてちゃんと出来るか……。

 ここでいう“ちゃんと”とは、もちろんリコットが望むくらいの、という意味だ。ビルド・ワーカーの運転などペダルに足が届きさえすれば、一時間も乗り回せば大抵は動かせるようになる。ルシルが出来るのはそのくらいのことだ。

 習ったと言っても教習と呼べるようなものではない。従業員から軽く手解きを受けたという程度だ。それから何度か乗って遊んだが、もちろん仕事と呼べるようなことはしていないし、ただ色々な動作を楽しんでいたにすぎない。

 俄かに唇が震え出した。ルシルが恐怖したのはこれを動かすことにではなく、リコットの期待に答えられるかどうかということに対してだ。

 彼女の言う通り、ウォール・バンガーがあればどこにだって行けるだろう。それだけのパワーもスピードもある。目立つことは問題ではない。徒歩でテラリス軍に見つからないように長距離を逃げるのは不可能に近い。問題は、どこまで走れるのか、ちゃんと走れるのか、ちゃんと運転出来るのか……。

「ねえ、リコット、物凄く危険な賭になるだろうけど……これに乗って行く?」

 リコットに聞くと彼女は意外そうな顔をした。

「そのつもりじゃなかったんですか?」

「いえ、あたしは……でもこのウォール・バンガーがあれば逃げられるかも知れない。その、あたしが、ちゃんと運転出来たら、だけど。南のイルダール同胞団の勢力地まで逃げられれば……」

 リコットは力強く、大丈夫、出来ますよ! 行きましょう! と断言した。

 それを聞いてルシルは俯き僅かな間考えた。胸の中で膨れ上がる色々なもやは晴れる気配を見せない。しかし優先順位を考えれば、選択肢はない。今、一番重要なのは、リコットと共に生き延びることなのだ。

 そしてルシルは、わかった、とリコットに頷いて返した。

「じゃあ直ぐに支度を、集められるものは全部集めて、出来るだけ早く出発よ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る