第三話 夜の帳《とばり》にて

 何処にでもあるような小さな街だった。人の気配はなく、既に廃墟となっていた。

 身を屈めて細い道や壁に沿って静かに歩く。リコットの肩を抱きながらだと早くは進めなかったが、彼女を守らなければという使命感と、守っているという充実感のようなものがあった。

 しかしルシルは焦っていた。陽が落ちると急激に闇が満ちてくる。街灯はおろか、恐らく電気すら通っていないだろうここで暗黒に閉じ込められるのは、生死に関わることだった。

 開拓のために数多くの入植者を受け入れていた惑星イルダールでは、“開拓特需”によって大量のマンションが建設されていた。パーツを組み立てるだけで完成するモジュール・マンションは工期が短く安価で、ゴールド・ラッシュ時代のような様相を呈する各地に、近代文明的な生活を人々に与えるのに十分な役目を担っていた。しかしそうしたマンションは脆い。戦場となって簡単に崩壊し、多くの街は瞬く間に瓦礫の山となっていった。ここも同様だったのだろう。

 比較的壊れていない三階建てのマンションを見つけたルシルは、二人でそこに入っていった。

 部屋の多くは鍵もかかっておらず、荒らされた跡もあった。棚の食器や灰皿の煙草の吸殻、生活感を残したまま朽ちてしまったそこは、カビと埃と微かな据えた臭いが漂っていた。

 二階で綺麗な部屋をみつけた。綺麗と言っても家具が倒壊したり破壊されていないというだけで、埃まみれ、窓ガラスも割れて、住むことは困難だ。しかしルシルにはある目的があった。屋上の給水タンクが無事だったのだ。もしかしたら水が使えるかも知れない。

 狙いは大当たりだった。そこはトイレやシャワーが無傷で残っていて、水も流れたのである。近くの棚で、洗って畳まれたタオルを数枚見つけることが出来た。大判のバスタオルもあった。

「お湯は……ダメ、当たり前か。水は出るけどこの寒さだと……」

「火を起こせば……」

 身の置き場がなさそうに側に立っていたリコットが小さく言う。それはその通りなのだが、焦りが先行して考えがまとまらない。

「やります」

 リコットは、頷いてみせた。



 それは簡単なことだった。壊れた家具を薪代わりにして焚き火をするのだ。ライターは使い捨てのものがベッドの脇から呆気なく見つかった。入植者は喫煙率が高いので、リビングや寝室には大抵置いてあるものだ。それに直ぐに思い当たったのはリコットのお手柄である。

 火種もたくさんあった。雑誌である。大別して半分は鉱石や採掘地、重機などの開拓関係、そして残り半分は女の裸体が多く載った成人向けの雑誌だ。とりわけルシルの目を引いたのは性行為を露骨に写した無修正のポルノ雑誌だった。

 データ通信の設備が整っていない開拓初期の惑星では、紙媒体は貴重な情報源であった。緑化のために栽培される樹木は、伐採されると家具や生活用品、燃料用チップなどに加工される。製紙もそのひとつだ。特に雑誌は情報源としても娯楽としても重宝されるのだ。

 もちろんルシルはポルノ雑誌がどのように利用されるのかを知っている。開拓惑星では男性の割合が大きいため性商品は雑誌から動画データ、ホールと呼ばれる自慰用の玩具、ドサ回りの娼婦まで多様な需要があるのだ。

 ペラペラと捲ってみて、男女の性器の結合や同性同士のオーラル・セックスに吐き気と目眩を覚えた。恍惚とした女の表情が如何にも嘘っぽい。

 これはリコットには見せられないな、と他の開拓関係の本の間に挟んでおいた。そんなルシルをリコットは気にも止めていないようで、胸を撫で下ろす。

 外に明かりと熱がもれないように窓をクローゼットなどで隠し、破いた雑誌を隙間に詰めて目張りをしていく。けっこうな労働ではあったが時間はさほどかからなかった。

 大振りの鍋で壊れた家具の破片を入れ、丸めた紙を燃やす。それが火種になって木片に火が点き安定すれば、後はそれを絶やさないようにすればいい。しばらくすると部屋はほんのりと暖かくなってきた。閉鎖された空間は圧迫感はあるが、それ以上に安心し落ち着けた。

 リコットは印象と違ってテキパキと良く動いた。勘がよく器用なのが僅かな仕事の中からも垣間見える。座のないパイプ椅子のフレームに鍋を乗せて湯を沸かすことを考えたのもリコットだ。水のシャワーでは冷た過ぎるので、最後にこの湯で体を温めるのだ。

「よかったら先にシャワーを使って」

 そう言うとリコットは頷いた。バスタブがないシンプルなシャワー室、曇りガラスの扉ひとつ隔てた向こうで彼女は服を脱いだ。

 ルシルは火を絶やさぬよう細かな木材を少しずつ放り込んだ。その揺らめく炎に炙られて、頭の中はもやがかかり、まぶたはどんどん重くなっていく。

 暖かい、眠い、疲れた、温かい、眠い……。

 意識が朦朧もうろうとなってうつらうつら頭を上下させる。火の暖かさが優しい。木の燃える匂いが懐かしい。炭の弾ける音が心地よい。

 はっと顔を上げる。眠っていたのか、記憶は途切れていた。

 シャワーの音はまだ続いている。リコットの姿もうっすらと見えた。

 そんなに時間は経っていないのかと思い安堵したが、直ぐに不穏なものが胸に込み上げてきた。曇りガラスの向こうで動かない彼女に。

「リコット!」

 慌てて扉を開けた。彼女はまだそこにいた。

 リコットはシャワーのノズルを股間に当てながら、指でそこをかきまわしていた。怒りに満ちた顔を見れば、それが自慰などではないことは直ぐに分かった。足元を流れる水に赤いものを見つけた時、ルシルは叫んでいた。

「何やってるの!」

 それでリコットは驚いて顔を上げた。指についていた血がシャワーで洗い流される。三つ編みをほどいた赤茶の波打つ髪はもう乾きかけていた。

 彼女の肩を掴んで問いただす。

「どうしたっていうの? 一体、何を……」

 彼女はガタガタ震えながら、首を振った。

「お、お願い、触らないで……」

「どうしたの?」

きたいの、わたし、よごれているの……」

「何があったの?」

「あの人たちが……ママも、お姉ちゃんも……わたしも無理やり……」

 水滴とは別のものが彼女の瞳から溢れ出る。やっぱりそうか、と哀しみが込み上げてきた。

 シャワーを止め、ルシルも服を脱ぐ。腕を晒すのは少し躊躇ったが、リコットになら見せても構わない。

 二人、狭い中で体を寄せ合った。

「ルシル?」

「洗ってあげる。大丈夫、汚くなんてないから、大丈夫」

 優しく諭すように言うと、彼女は少し安心したのか、静かに頷いた。その体は小さくてもふっくらとしていて、血色もよく胸も尻も年齢以上に張りがあって大きかった。それに引き換え、肋骨が浮き出るほど肉付きが悪く痩せて胸も余りない貧相な体を、ルシルは情けなく思う。

 冷たいシャワーだった。こんなものに長く当たっていると心まで凍ってしまいそうだ。

 抱き合うようにして二人で体を洗い、最後に湯で体を温める。よく拭いてから裸のままで火の側に腰を下ろす。バスタオル一枚にくるまれているだけだが裸体を寄せ合えば、小さな焚き火の炎でも十分に温かい。ルシルはリコットの肩を抱くように、彼女は脇から両手で抱くように、お互いの体温に安心感を求めた。

 炎が揺らめく朱色に染まった静寂の中で、不意にリコットが自分のことを話し始めた。

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