ある社会科の先生

氷見 実非

ある社会科の先生

 最近のニュースを見ていて、ふと思い出したことがあった。それは、私が中学生の頃にいた社会科の先生の


「差別を批判する人は、反差別主義者の偽物である。」


という言葉だった。私は、その言葉の真意がどれだけ考えても分からなかったから、放課後、先生に質問したのだった。すると、先生は自分の話に食い付いてきた生徒がいて嬉しかったのか、応接室で話をしてくれた。


「最近、ある人物を指して、『もっと色黒なのに、何でこの絵は色白なんだ!?』っていうニュースが話題になっただろう?」


私は、今朝の情報番組でそのニュースを見ていたから、


「はい、ありました。」


と答えた。先生は、


「あれを見て、どう思った?」


と尋ねてきたから、


「特に、違和感もなく受け流していましたが、、、。」


と答えた。すると、先生は予想通りの答えに満足したのか少し口許を緩めて、ある持論を語った。


「あの発言は、可笑しいと思わないか? どうして、差別を嫌がっている人がわざわざ肌の色なんて指摘するんだ? 本当に差別が嫌なら、肌が色黒だろうが、色白だろうが気にしないだろう? つまり、反差別主義者の偽物は、無意識の内に『この人は色黒だけど、向こうの人は色白だ』っていう風に判断してるってことじゃないのか? 」


正直、私は先生の話に付いていけなかった。そんな私の心中を察したのか、先生は一つの例を持ち出した。


「カラスが10匹いたとして、その中の1匹が真っ白なカラスだった。君は、それを見てどう思う?」


「変だなぁ、と思います。」


「それは、色が白いということが、か?」


「はい、カラスというのは黒色が普通なので、、、。」


「君は、今差別発言をした。」


私は、訳が分からなかった。私の15年間の経験上、白色のカラスなんて見たことがなかったから、100人に聞いて全員が私と同じ答えを返すだろうと思った。


「今、俺はカラスが黒色だなんて一言も言っていない。 俺が想像していたカラスは金色だったかもしれない。君がカラスは黒色だと言うのは、君がカラスは黒だという前提を持っているからだろう。今回のニュースは、この人は色黒だという考えが前提にあるから出る話題なんじゃないか? 肌色の差別を無くすのに、その前提は必要なのか? 」


私は、まだ少しモヤモヤとしていた。これは、先生の屁理屈なのではないか、と感じていたからだ。


「差別を無くしたいと思うなら、皆の頭から差別意識を無くさなければいけないと言うことは正しい。でも、それはそう簡単なことではない。無意識であっても、今回みたいに差別をしてしまっているんだから。」


 まだ先生は何か言いたげな表情をしていた。しかし、完全下校を勧告するチャイムが鳴った。私は少々の疑問を残しながら、先生にさよならを告げて下校したのだった。


 あれから15年が過ぎたが、私は差別をしない大人になれているとは言い切れない。しかし、あの時先生が言いたかったのは、"どうすれば、差別を無くせるのか"ということではなく、"どうして、差別をするのか"ということだったのではないのだろうか、と思うようになった。あの時の社会科の先生が今も生きていたら、私はこの話をもう一度先生と考え合いたい。

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