悪意との再会。
軽率な行動の代償は、あまりにも重かった。
突然現れた男は、突然俺に襲いかかり、頼りない小枝が俺の左腕を半ばから断ち切った。
「あ──」
断面が熱い。喉がヒュッと締まり、声が掠れる。一気に汗が吹き出し、全身が俺に命の危険を知らせる。
心のどこかでナメていたのかもしれない。幼馴染を連れ帰るという勇ましさに酔って、ここで殺し合いが起きている事実を、正しく認識できていなかったのだ。
このままだと殺される。
そこまで考えて、ふと疑問が湧いてきた。
切られる直前、俺は誰かに右側へ突き飛ばされた気がする。
それに、追撃がない。あの速さなら既に二擊目へ移れるはずだ。
蹲っていた体を慎重に起こし、顔を上げる。先程の男は、なにかと睨み合っていた。
視線の先には、黒尽くめの人間モドキが佇んでいた。
◯
それはよく磨かれた革靴を履いていた。小綺麗なタキシードに身を包み、洒落たシルクハットを着こなしている。
そして、それらを覆い隠すように纏ったボロボロのみすぼらしいマントが、なんとも言えない空虚さを演出していた。
袖口や襟など、肌が見えて然るべき箇所には黒い
顔には、ジャック・オー・ランタンのようにコミカルな悪人面の仮面を貼りつけ、ニタニタと嗤っている。
要約すると、あれは人間の成り損ないだ。
「これは、君の
沈黙していた男が、口を開いた。
「驚いたな、まさか人型とは。君は本当に人間か?」
「あんたに言われたくない……!」
思わず言い返してしまった。変に刺激して逆上されたら、直ぐにでも殺されるかもしれないのに。
しかし、男は動かなかった。もしや、本当に戸惑っていて、俺が人間かどうかを本気で疑っているのだろうか。
人間モドキに視線を移す。それは何も言わず、視線を男に向けたまま突っ立っている。
すると突然、俺の方に顔を向けてきた。それと目が合った瞬間、頭の中に情報が流れ込んでくる。
──俺は、こいつを知っている。
頭に浮かんでくる言葉を、なぞるように復唱する。
「
喉が、裂けた。
おそらく先程の焼き増しだろう。男が枝を振るい、咒骸が俺を突き飛ばして、首の皮一枚つながったのだ、文字通りに。
急所まで達したのだろうか、俺には判断つかない。だが、声が出せなくなったのは確実だ。
『死』が確かな輪郭を帯びてくる。
男が咒骸を蹴り飛ばした。
今度こそ、俺は終わる。その答えに至ったとき、胸の奥からふつふつと強い思いが湧き上がった。
「ゴボ……ッ!」
やはり声は出せなかった。口からは血が零れるばかりだが、思いはちゃんと口にできたはずだ。
『絶対に、一緒に帰ろう』
こんなところではまだ死ねない。力尽きても暴れてやる。
男がこちらを振り返り──
「ア? なにやってんだオメーら」
間の抜けた野郎が来た。
◯
「ゲェ!?
わざとらしく騒ぎ立てているあのバカは、間違いない──
「ん?」
生真と目が合う。まあ、血まみれだし、あいつがいなくなってから俺も大分変わったし、気づかれなくても仕方がないが。
「……おい、誰のダチに手ェ出してやがる、コラ」
気恥ずかしさと喜びが、ないまぜになる。心配は全くなかった。生真なら、絶対に死なないと確信していた。
「二人……いや、一人?」
片桐と呼ばれた男は、何故か困惑した様子だった。
千載一遇のチャンスだ。ヒーローを前にした子供のように胸が高鳴る。
生真が、片桐と同様の並外れた速さで踏み出した。
「掴まれショージン!」
一息に俺と俺の左腕を掴み
「覚えてろよテメェェェェ!!」
捨て台詞を吐いて、脱兎のごとく逃げ出した。
「ガフッ……! ごほッ……!」
思わず抗議の血反吐を出す。
それを見て、生真の手が紅色に染まり、炎が吹き出した。
「
◯
想定外はその後。少年を一人の人間として認識できず、多対一の条件を満たせなかったのだ。
「……二兎を追うと、碌なことにならないな」
火原の強化値は片桐より低い。人を抱えているとなれば、追いつくことも可能だろう。
路地裏は入り組んでいるが、少年の血が道標となっている。
片桐は、血痕を頼りに追跡を開始した。
しばらくして、違和感を抱く。
一向に追いつかない。だが血痕は続いている。
異常だった。彼は立ち止まり、最大限の警戒をする。
ノーヴィスとの戦いにおいて、最も危惧すべきは、未知の咒骸による不意討ち──いわゆる初見殺しだ。
物理的にあり得ないこの状況は、明らかに何らかの干渉を受けている。
だが、どれだけ警戒しても変化はない。
考えられるのは、迎撃をせず、逃げの一手を打った可能性。
一先ず、彼は追跡を再開した。しかし、結局袋小路で痕跡が途切れ、周辺を捜索しても収穫は無い。
何となく、血痕が気になった。軽く引っ掻いてみると、ベリベリと剥がれ落ちる。
片面に弱い粘着性の糊が塗られ、まるでステッカーのようになっていた。
だが、見た目も匂いも本物の血で間違いない。
いずれにせよ、これ以上の追跡は不可能である。彼は振り返り、袋小路を背にした。
そして、背後にナニカを感じた。
そこには先程の黒い人型がいた。片桐を眺め、ニタニタと嗤いながら直立している。
片桐の心に、ある言葉が浮かんだ。
「スケア、クロウ」
片桐は直感する──この邪悪を、生かしてはおけない。
◯
「撒けたか?」
「大丈夫だろ。《セルフ》に追跡だの索敵だの、んな器用な真似できねーからな」
言っていることはよくわからないが、心配はないらしい。ようやく一息つける。
「それにしても便利だな、ショージンの咒骸。体バラバラにされても大丈夫なんじゃね?」
「いや、血が足りないって。即死もムリ。俺よりお前の方が不死身だろ」
生真の咒骸は治癒能力を持っていた。それで何とか喉を治し、生真の足と俺の咒骸で片桐を撒きつつ、左腕を貼り直すことができた。
煌々と燃え盛る炎と治癒という組み合わせは、とても生真らしいと思った。
「いや、オレのは自分を治せねーんだよ。それでもオレは不死身なんだが」
懐かしい。コイツの自信に溢れた言動も、熱い優しさも。しばらくこの充足感に浸っていたいが、今は現状を何とかしなければならないだろう。
「で、これからどうするんだ? まさか、このまま大通りに出るわけないよな」
今の俺は傷こそ無いが、ワイシャツは血みどろで、学ランもワインレッドに見えるくらい酷い有り様だった。
「安心しろ、抜かりはねえ。このビルを見ろ!」
目の前の雑居ビルを見上げる。そこには『2Fオレのアジト』と書かれた看板があった。
まさか、ここまでの逃走ルートを綿密に描いていたとは、恐ろしい男だ。しかし何より恐ろしいのは
「何で看板立ててんだ、バカ」
忍ぶ気がまるで無い。
「いや、だってさ、この辺入り組んでるじゃん? 看板なきゃ何処がアジトかわかんねーだろ」
「マジで言ってるのか、おい」
命が掛かってる場面でふざけられると、こうも苛立たしいのか。新しい発見だな。
「ワリィワリィ、安全性はホントにちゃんとしてんだ。この辺りにはダミーのアジトが大量にある。個人で動くノーヴィスじゃカバーしきれないぐらいな。それに頭の回るやつなら、本物は潜んでるか、ここにはないって考えるだろ? 逃走経路も完備した安全設計だぜ」
とりあえず、悪ふざけではないようだ。ここは生真を信じて、ビルに入る。
「ま、片桐はそろそろ出勤しねーと店長にどやされるだろうし、オレらはズル休み上等の腐れ高校生だ。安全も時間もあるから、きっちり情報整理しよーぜ」
あいつ、あんなんでサラリーマンかよ。
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