bye my life ー傷心者の血戦ー

夏川 木石

第一幕 未だ縛られたまま

高校、二度目の春にて。

 冷えきった体に、じんわりと熱が込められていく。照り始めた朝日に包まれて、横になっていたがようやく目を開いた。


 カチコチの体とコンクリートの床、そして朝の冷気。どうやら外で眠っていたらしい。目の前には線路が走り、その向こうには田園風景が広がっている。背後にはプラスチック製のベンチと、駅名標。

 ここは、無人駅のホームだった。


 ──どうして、俺はこんなところにいるんだろう。


 昨日のことを思い返そうとしてみるが、何も思い出せない。

 ヒントを求めて駅名標を観察してみる。『手鷺州』と書かれているだけで、隣駅やふりがなの記載はどこにもない。見覚えは全くなかった。


 諦めて視線を戻すと、いつの間にか電車が停まっていた。一両編成のそれを目にした途端、温かいような空しいような、目に見えない何かがこみ上げて、俺はふらふらと歩き出し、乗車した。


 車内は年季の入った暖かさで満たされていた。誰もいない電車の中に、たくさんの思い出や夢が散らばっていて、朝日をキラキラと反射させている。

 座席へ腰掛けると、電車は直ぐに動き始めた。景色は右へと流れていく。


 隣の真っ白なセーラー服の少女が、俺に何かを語りかけている。俺はそれを全く聞き取れなかったけれど、彼女が俺の幸せを願ってくれていることだけは、確かに伝わった。


 彼女以外誰もいない車内で。

 朝日が輝きを増していく。

 視界が徐々に、白く染まる。


 意識が遠退いていくなかで、俺は──


 ◯


「ヘイ、起きろ!」

「ぐぉ!?」

 鳩尾に重い一撃が入る。寝惚けていた意識が急速に覚醒した。

「あ、起きたね。ほら、私たちも早く降りよーよ」

 ぐりぐりと頭を押しつけていた少女──時坂ときさか アカリが朗らかに笑う。

 どうやら頭突きで起こされたようだ。ふにゃふにゃな性格とは裏腹に、彼女の頭は物理的に固い。悶えながら周囲を見渡すと、電車内に居た学生たちが続々と降り始めていた。

「あ、ああ。そうだな」

 慌ただしく席を立ち、人の流れに紛れて、俺たちは駅のホームに降り立った。

 ──俺は、高城たかぎ 正人まさひとだ。

 いつものように、心のなかで言い聞かせる。

 周辺にはホテルやビルが建ち並んでいた。


 そのまま改札に向かおうとすると、彼女が不意に立ち止まり

「どしたのショージン? いつもだったら何か言い返すのに。……どこか悪いの?」

 不安げに俺を見上げて言った。

「いや、大丈夫。体調が悪いとかじゃないんだ。ただ、さっきから現実味がないというか……。夢見心地ってやつ?」

 気怠げに答えて、再び一緒に歩き始めた。


「たしかにグースカ寝てたもんね。どんな夢見てたの?」

「んー、もうあんまり思い出せないけど、トッキーが出てきた気がする。なんか懐かしい感じの夢だった」

「ほほう、夢の中に私が」

 妙な勘違いをしたのか、やけにニヤニヤしている。からかわれるかと身構えたが、直ぐに真面目くさった顔つきになって「カバランも居た?」と躊躇いがちに呟いた。

「居たかもな」

「……カバラン、生きてるよね?」

「あいつは死んでも死なないよ」

 根拠は無いが、断言してみた。


 彼女の口から、「そっかぁ」と間抜けな声が漏れた。


 ◯


「この街も物騒になっちゃったよね。連続失踪事件も謎だらけだし」

「痕跡も兆候も皆無で、目の前で消えたって話もあるくらいだしな。全員この駅で消えてるのが共通点だっけか」

 黒岡くろおか市では二年前から失踪事件が頻発していた。被害者の中には俺たちの幼馴染──火原かばら 生真しょうまの名前もある。

「やっぱ駅巡回してる警官多いな」

「やましいことがあるショージンには酷な環境だねぇ」

「はは、バーカ」


 それから他愛もない話をしていると、改札口に到着した。ICカードが入った財布をかざし、通り過ぎようとした間際、取り出し口から切符が出てきた。

 チラっと背後を確認するが、誰もいない。それどころか、騒然としていた雑踏も、幼馴染も消え失せて、ここには誰一人いなくなっていた。


 こころがバクバクと嫌な音を立てる。

「なんだ、これ」

 恐る恐る切符を手に取ると、そこには何も書かれていない。白紙の切符は、総毛立つほどの強烈な違和感を纏っていた。

 しばらく立ち竦んでいると、女性の声が聞こえてきた。

「お客さん、お客さん、こっちです、こっちですよー」

 声の主は、すぐ隣の改札窓口にいた。真っ白なセーラー服に、ぶかぶかの制帽をミスマッチさせた少女は、顔も声も話し方も、全てが時坂アカリだった。


 だが、絶対に少女と彼女は別人の筈だ。彼女は俺の少し前を歩いていたし、改札窓口とは少し距離がある。そもそもうちの女子の制服は黒いセーラーだ。一瞬で着替えられるとは思えない。


 もう、訳がわからなかった。けれど、彼女の顔や声で少し落ち着きを取り戻すこともできた。

 どうやら俺を呼んでいるようだし、いっそ問い質すためにこちらから声を掛けてみる。

「トッキー何してんの」

「私はトッキーじゃあないんですよ」

「じゃあ誰なんです?」

「生憎、今は名乗れる名前が無いのです。ですが、それでは不便なので『朱鷺坂ときさか 朱李あかり』と名乗りましょーか」

「そ、れは──」


『それはお前の名前じゃないだろ。』そう言おうとした。だけど、この少女とその名前があまりに馴染み過ぎていて、俺は声にならないまま、阿呆みたいに口をパクパクさせることしかできなかった。


 ◯


「まあまあ、私のことより、ご自身の状況の方が気になるんじゃありません?」

「そ、そうだな」

 朱鷺坂が話題を変えてくれてなんとか気を取り直すことができた。たしかに今はこの状況を把握する方が重要な気がする。

 しかし、彼女がそれを説明できるということは

「もしかして君が元凶?」

「いーえ、元凶は他にいますとも。まあ、実行犯と計画犯は私ですが」

「ほとんどお前のせいじゃん」

「お客さん、ヒドい!」


 こいつと話していると、久々に会った友人と駄弁っているような感覚になる。あり得ない事態にもかかわらず緊張感を保てないことに、恐ろしさを感じてきた。


「で、俺はどういう状況? 命の危険は? これから何が起こる? 他の皆は?」

「お客さんは世界の狭間にいます。ここに命の危険はないですよ。これから異なる世界セカイへ行ってもらいます。他の皆は変わらず元の世界にいるんじゃないですかね?」

 俺の捲し立てるような質問に、朱鷺坂は矢継ぎ早に答えた。

 主導権を握ろうとして一気に質問したはずなのに、返しの情報量が多すぎて逆に俺が困惑させられる。

 けれど、聞き逃せない単語がいくつかあった。


「おい、世界の狭間? 異なる世界ってどういうことだ」

「やはり気になりますか! ですがあんまり期待しないでくださいね? 異世界セカイといっても、元の世界と時代も文明も変わりませんから。ただ、既に亡くなった方が、もう一方の世界では生きているということがたまにありますよ。あ、もちろんチート能力コードもあります! ご期待くださいね」

「ちょ、ちょっと待て。何で俺なんだ? 他に行きたいやつがいれば、そいつに行かせればいいだろ」

「行ける人は全員行ってもらってるんですよ。 この駅に来れない人には手の出しようがないので、適性があってもノータッチな人はいますけど」


 他にも、こんなことになって、よくわからないとこへ連れていかれた人たちがいたらしい。

「……火原生真ってやつも行ったのか?」

「はい、行きましたとも」

 つまり、これは俺だけに起こったのではなく、連続失踪事件そのものだった。

 腹の底が煮えたぎり、頭の芯が冷えていく。


「帰ってくるにはどうすればいい?」

「ゲストさんは、ホストさんを殺せば帰れますよ。逆にホストさんが帰りたくなった時は、ゲストさん全員を帰る気にさせてくださいね。どちらの場合も、その時点で生き残ってる全員が必ず帰ることになりますよ」

 帰る方法がちゃんとあるのは幸いだった。これで、生真を連れ帰ることができるかもしれない。しかし──

「ゲストとホストって区分はともかく、なんでそんな物騒な条件なんだよ……」

「ホストさんのために集めましたからねぇ。帰りたいならホストさんをどうにかするか、ホストさんがどうにかするしかないでしょーね」


 ホストはこの状況を望んだやつで、そいつ以外全員がゲストになるわけか。


「今向こうに何人いて、ホストは誰だ?」

「それが結構減っちゃったんですよー。ルールの説明をしただけで、ホストさんがもういるなんて一言も言ってないのに、先走っちゃったゲストさんがいて……。今はお客さん含めて七人ですね」

 初めて、朱鷺坂が得体の知れないやつに見えた。あまりの衝撃で、少しの間だけ思考が停止してしまう。

「……生真は、生きてるのか?」

 それだけは何とか絞り出した。


「あの人は死んでも死にませんよ」

 優しいとも、残酷とも言えるような曖昧な笑みを浮かべて、彼女は断言した。



「それと、ホストはあなたですよ、スケアクロウ」


 よくわからない言葉を添えて。


 ◯


 気づくと、普段通りの駅に戻っていた。真っ先に夢を疑ったが、手に握りしめられた白紙の切符が現実を突きつけてきた。

 感情の整理をつけたくて、とにかく人がいない方へ向かう。人気のない路地裏に着いて、ようやく頭が働きだした。


『俺は、生真を連れ帰りたい』


 朱鷺坂と話して自分が抱いた思いを明確にする。

 色々気になることはあるけど、とにかくあいつと一緒に、彼女がいる元の世界へ帰る。それだけを考えることにした。


 よし、と気合いを入れて、白紙の切符をちぎり捨てる。そして足を踏み出そうとした、その時。


「さっき、不思議なものを持っていたな」

 男がいた。

 長身でガッシリとしながら、どこか枯れた印象を抱かせる男だった。

 口元にはマスクを着用している。


 不味い、白紙の切符を持ったまま移動しすぎた。

「ああ、あれは、なんか、券売機の不具合みたいで」

「奇遇だな、私も全く同じものを持っている」


 俺は、迂闊すぎた。

 誰もが駅からスタートするなら、そこで待ち伏せるのは当然の帰結である。


「どうした、やけに動揺しているようだが」

「こ、こんな偶然あるんだなって思って。もしかしたら同じ券売機かもしれないですね」

 男は未だ、値踏みするような視線で俺を射抜く。

「ノーヴィス同士であれば、心で聞き、心で話せる。どんな言語でも己に馴染みある言葉で聞こえるはずだ」

 背中を冷たい汗が伝った。

 俺は選択肢を間違えたのだ。誤魔化そうとせず、一目散に逃げるべきだった。

「私は初めから英語で話していた。君の口の動きは、常に日本語のそれだな。なのに、何の疑いも無く会話を続けている」

 空気が張り詰め、男の気配が鋭く削ぎ落とされていく。


 ダメだ、もう、言い逃れられない。


「お、俺はホストじゃありませんッ!」

「関係ない、殺せばわかる」


 男が一瞬で俺の目の前に現れ、いつの間にか手にしていた小枝を振りかぶり──


rebelizeリベライズ──『正徹なる片秤』ディフェクティブ・リゾルヴ



 俺の左腕が宙を舞った。

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