幽世の鬼
「静虎さん、鬼が来ます!」
眠っている亜樹を抱えながら、本堂に駆け込む咲夜の叫びに静虎は振り向いた。
「落ち着くんだ、咲夜。鬼……だって?それならば結界がある。境内に入って来ることは無いから、大丈夫だよ」
静虎は亜樹を受け取ると、座布団を敷いた場所に寝かせて、取り乱す咲夜の背中を撫でてなだめた。
「いえ。あの鬼は、妖怪や幻獣の類ではありません。あれは霊魔です」
「霊魔……幽世からやってくる霊境に封ぜられた、邪なるものですか?」
霊境と呼ばれる霊魔の封じられた門は朝霞や迫間、囲など各地にあるものの厳重に花守に監視されていると聞いている。
そのような邪なものが、夕京の中心地である桜路町区にわざわざやってくる事が異常であった。
「しかし……なんの目的で」
聖域である櫻花神社に乗り込んで来るという事は霊魔の力も弱まるので、目標が居るとすれば境内の外で待ち構えて狙う方が相手としても有利なはず。
鬼の不可解な行動に頭をひねる静虎に、落ち着きを取り戻した咲夜が声をかけた。
「鳥居の向こうで鬼を見た時、桜瀬の花守を喰らうと言っていました……私か亜樹か、その両方か」
「咲夜と亜樹を狙っているだって?どうして……」
「三年間、私が境内から出た事がありませんので、鬼の堪忍袋の緒が切れたのでしょう」
「なんと執念深い……」
しかし、如何に鬼の霊魔といえど、聖域である境内で力を存分に振るえる訳が無い。
咲夜は静虎が見る限りでも、優秀な花守である。
花守は刀霊という刀の神気を解放して、霊魔を斬ることで祓う素質を持っている。
大丈夫、勝機は十分にある。
「咲夜、あなたの小太刀はここにあります。これで鬼の霊魔を祓いましょう」
静虎が白鞘の小太刀を咲夜に渡すが、それを受け取った彼女は申し訳なさそうに首を横に振った。
「その刀には刀霊はおりません。私の魂の入る器なので」
「なんですと!」
訳が分からず狼狽える静虎。
咲夜は目を伏せながらぽつぽつと自出を語り始めた。
「私は某神宮の巫女で、優れた刀霊になる為に生まれた霊脈の家系でした」
「人が……刀霊に?そんな……」
現世で偉業を果たした者が、亡くなってから神の眷属となり、奉られる事も無い訳では無い。
刀霊は付喪神の一つで、花守は刀霊と意志の疎通ができる巫子である事は分かっていたつもりだ。
しかし、霊脈を連ねてた人の魂を犠牲にして刀霊を作るという概念に、静虎の理解が追いついては来なかった。
「姉は立派にお役目を果たしましたが、私は自分の人生に迷いを持ち、それでもこの小太刀を捨てる事はできず……心が弱かったのですね」
「そんな事はない。咲夜は己の生を受けた意味に真摯に向き合ったからこそ、今がある。間違っていたなんて、言わないで欲しい」
そっと抱きしめる静虎に、咲夜は「はい」と小さく答えた。
「櫻花神社の奉納刀であります〈彼岸桜〉を私にお貸しいただけますか?亜樹を……桜瀬の家を守るため、力を借りたいのです」
咲夜はそっと静虎から離れると、本殿に奉られた奉納刀〈彼岸桜〉の鞘に触れた。
「このような形で契約を履行するのは不本意だと思いますが、力を貸して下さい〈彼岸桜〉様」
亜麻色の髪の巫女の声に応え、長い黒髪に
『今までの話は聞いておったのじゃ。これで断るほど儂は鬼ではない。存分に儂の力を使うが良い』
「感謝します。では、参りましょう〈彼岸桜〉様」
『応っ』
咲夜が鞘から〈彼岸桜〉を引き抜くと、その刃は仄かな光を纏い神気に満ちていた。
刀霊の姿である着物を着た女性の彼岸桜は、宙に浮きながら彼女の背を護るように後ろについた。
小太刀を腰に差して、本殿の階段を降りたあと。
亜麻色の髪の巫女は後を振り返り、固唾を飲んで見守る静虎に対して、目を細めて微笑んだ。
「鬼を祓って参ります」
「ああ。無事に戻って来てくれ、咲夜」
静かに頷き前を見据えると、鬼の足音が此方へ迫って来るのが聞こえた。
やがて姿を現した、身の丈が咲夜の二倍程はある鬼の霊魔に正面から〈彼岸桜〉を構えた。
鬼の口からは黒い霧のような瘴気が垂れ流され、足元にそれは留まり淀んでいる。
急いでいたせいもあって、瘴気から身を守るための
『儂の神気は霊魔の血に触れると穢れるので、すぐに弱まるのじゃ。決めるなら一撃で祓うのじゃぞ』
「分かりました。やってみます」
「オウセノ……ハナモリ……クラウ!」
襲いかかる爪の猛攻を躱し、鬼の懐へと入り込む。
この鬼の弱点はどこか。
目や首、それとも心臓……一撃で祓うには、確証に乏しい。
ならば、まとめて斬り伏せるだけ。
「はあっ!」
踏み込んでの鮮やかな袈裟斬りに、鬼の身体は真っ二つとなった。
『見事じゃ!』
〈彼岸桜〉の喝采。
二つに引き裂かれた鬼の身体はドウッという音を立てて地面に倒れた。
「……どうして?」
妙な違和感が咲夜の気を張りつめさせる。
相変わらず鬼の身体からは瘴気が撒き散らされている。
どうしてこの鬼の身体は祓ったのに消えないのだろう
否。
まだ祓えていないのだ
「くっ、目か!」
刃を突き立て双眼を抉るが、鬼の身体は消えず。
「首か!」
首を刎ねても、瘴気は撒き散らされたままだった。
「……心臓」
やはり突き立てても、変化が無い。
『これは、どういうことじゃ?』
後ろで見守る〈彼岸桜〉も首を傾げた。
「分かりません。この鬼の身体が本体では無いのか……」
割かれた鬼の肉片が急激に盛り上がって弾け、血飛沫と共に咲夜に向けて何かが飛んできた。
姿勢を崩しながらも〈彼岸桜で〉血飛沫を横に薙ぎ払うが、強い衝撃を受けて身体が後ろへと跳ね跳んだ。
「つぅ……」
『痛いのじゃ……』
本堂の階段に背中を強くうち、息が止まる。
彼岸桜がそれでも背中に居たお陰で、衝撃は弱まった。
「これでも仕留めきれないなんて、桜瀬の花守はほんとうに面倒くさいなあ」
血飛沫と共に飛んできた塊の正体は、黒い醜い顔をした小鬼だった。
反撃の刃を腹に受け、片膝をついて小鬼は笑った。
「暑苦しい着包み脱いで、すっきりしたぜ……痛えけどな」
小鬼が厭らしい笑みを浮かべる。
「咲夜!」
慌てて駆け寄る静虎の前で、咲夜は咳込んで血を吐いた。
装束の上からでも、小鬼の鋭い爪が胸に突き刺さった跡が痛々しく残る。
「肺を……やられました……」
青褪めた顔のまま、静虎の頬へと手を伸ばして触れた。
「私は、もう……お願い、亜樹を……」
「喋るな!もういい!咲夜!」
咲夜を抱きしめる静虎へと、立ち上がった小鬼は近づいてきた。
「へへっ、中に居るんだろ?子供の匂いがするからな。未来の花守も喰らってやるぜ」
『咲夜、すまぬ……穢れにさわりすぎた。儂の力ではもう……』
傷ついた咲夜の背に縋る〈彼岸桜〉
悲しみに暮れる刀霊に、咲夜は力なく微笑んだ。
「いえ、私のせいです……ごめんなさい」
このままでは、静虎も亜樹もこの悪鬼に喰われて終わってしまう。
それならば、私の覚悟はもう決まっている。
「静虎、私に……亜樹を守らせて下さい」
「咲夜!?やめるんだ!頼む!お願いだ!」
身体を揺さぶり泣き叫ぶ静虎に、咲夜は微笑みながら目を瞑った。
「ぎゃー、ぎゃー、うるせぇよ、おっさん」
静虎は小鬼の言葉に言葉に振り返り、咲夜の身体を階段に預けた。
腰にあった小太刀を手に取り、白鞘から引き抜くと、静虎を包み込むかのように鮮やかな桜の花弁が宙を舞った。
「……咲夜」
花守では無くとも、刀霊の神気に肖る事はできる。
咲夜の意思を果たすため、静虎は小太刀を構えた。
「あ゛聞いてねえぞ?桜瀬の花守は巫女だけじゃねえのかよ!」
絶叫して飛び掛かる悪鬼は、小太刀によって真っ二つになると桜の花弁を紅に染めて消え去った。
「……咲夜」
小太刀を握りしめ、ただ立ち竦む静虎。
最後の別れを名残惜しむように桜の花弁は辺りを漂い舞い散っていた。
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