第122話 デートの約束

 やはり女性の心というのは複雑怪奇だ。

 明日の天気を知るよりも遥かに不可解で、光も届かぬ海の奥底よりも遥かに深い。笑みを携えながら後ろをついてくるグレイスを見ながら僕はそんな事を思った。顔を合わせた時は不機嫌さを仄かに醸し出していたというのに、今は上機嫌極まりない。二言三言交わしただけだというのに、一体何が彼女の心境を一変させたのだろうか。自称・女心を理解しているヴォルフに相談してみようかと本気で考えたくらいだ。


「それで? 素敵な土産話は聞かせてもらえるのかしら?」

「あー、そういえばそういう話だったね」


 校舎に入ったところでグレイスが僕に話しかけてきた。ここ数日、僕が学校に来なかったのは第零騎士団に所属しているヴォルフが、昔馴染みの山賊となにやらコソコソやっていたからだ。とはいえ、それ自体は問題ない。大事になる前に片付けることができたし、デボラ女王の寛大なご配慮により、ヴォルフが零騎士を離れる事態も回避することができた。色々あったけど、丸く収まったって話だ……どこぞの駄犬に借りができたのは一生の不覚だけど。

 それもこれもグレイスが僕の依頼を引き受けてくれたからに他ならない。こちらの事情を把握しており、Bランク冒険者という確かな力を持っている彼女が、僕の代わりにクロエを護ってくれる、という安心感があったからこそ、僕はヴォルフの一件に集中することができた。だから、彼女には事の顛末を聞く権利がある。

 とはいえ、ここから階段を二つ登って短い廊下を歩き切る程度の時間で話せるほど簡単な内容ではない。


「今日は冒険者ギルドに行くつもりなのかな? もしそうじゃないのなら時間をもらえると嬉しいんだけど」

「デートのお誘いかしら? それにしては淡白な口説き文句ね」


 グレイスが何かを期待するような目でこちらを見てくる。本当にご機嫌だな。確かに、僕も彼女もこういう軽口の言い合いを楽しむ節がある。だけど、今日はなんとなくそれだけじゃない気がした。

 とはいえ、今は頭が上がらない状態。彼女が舞台で一緒に踊れと命ずるならばそれに従わないわけにはいかない。


「とても美味しいケーキ屋さんを見つけたんだけど、男一人で行くのには少々抵抗があってね。よければご一緒してくれない?」

「甘いもので女の子を釣るなんて悪い人ね。断れないじゃない」

「それはよかった。それともう一つ、放課後までに報酬の事を考えておいてね」

「報酬?」

「依頼をこなしてもらったでしょ? タダ働きなんて冒険者のする事じゃない」

「あぁ」


 一瞬不思議そうな顔をしたグレイスだったが、僕の話を聞いて興味なさげな声を出した。この様子じゃ報酬なんてまるで考えていなかったようだね。それは困る。


「友達の身の安全を護っていただけだから報酬なんていらないわ」

「そういうわけにもいかない。僕は仕事としてBランク冒険者の君に依頼したんだ、それ相応の対価を要求してもらわないと」

「…………」

「じゃないと、また気軽に依頼できないでしょ?」


 僕がそう言うとグレイスは目をパチクリとさせた。内情を知る彼女は僕にとって零騎士以外の頼れる人間だ。だからこそ、気兼ねなく頼れるようにこういうのはきっちりしておきたい。


「……ふふっ。そうね。秘密の騎士団の、その中でも筆頭さん直々の依頼だったものね」

「飛ぶ鳥を落とす勢いで名をあげている超新星の冒険者に指名で依頼をしたんだ、出来る限り君の要望に応えるつもりだよ」

「それはありがたいわね。それじゃどんな無理難題をお願いしようかしら?」

「……お手柔らかに頼むよ」


 鼻歌を歌いだした彼女を見て、僕は頬を引き攣らせながら言った。うん、口ではああ言ってたけど、大丈夫なはずだ。そういう点でも彼女を信頼している。……いや、大丈夫だよね? いつものグレイスなら何の心配もないけど、今日の彼女はどこか普段と違う。なんか不安になってきた。僕の貯金で何とか出来る範囲ならいいんだけど。


「ん? おぉ、レイ氏じゃないか!」

「レイ! 体はもう大丈夫なのか!?」


 教室に入るとマルク商店の麒麟児であるジェラール・マルクと、貴族ばかりのセントガルゴ学院の中では珍しい平民のニックがこちらに駆け寄ってきた。ちなみに、グレイスと二人で来たことに関してはノータッチだ。横目でチラリと彼女を見ただけ。それは他のクラスメートにも同じことが言える。それがわかっているからこそ、グレイスは何も言わずに自然と僕から離れて自分の席に向かった。それだけ、僕が彼女と一緒に来ることが日常化してきた証だ。……なんだかんだ僕も少し変わったのかもしれない。


「心配かけてごめんね。もう大丈夫だよ」

「そうなのか? ファルちゃんと一緒にかなり高熱が出たって聞いたぞ?」

「その話をファラ嬢から聞いた時は信じられないくらい顔を真っ赤にさせていたから、てっきりニックにもレイの病気が移ったのかと思ったよ」

「う、うるせぇ! その話はいいんだよ!」


 その光景が目に浮かぶようだ。ニックはファラにお熱だからね。


「レイ!」


 ニック達と話していたら、美しい金色の髪を左右に束ねた少女が桃色の髪をした少女を引き連れてこちらにやってくるのが見えた。


「ファラから聞いたわよ! 流行り病とは災難ね……もう動いても平気なの?」

「お陰様でこの通りピンピンさ。もうなんの問題もないよ」

「よかった! クロエと一緒にすんごい心配してたんだから! ね! クロエ?」

「え? あ、うん! そ、そうだね!」


 エステルに話を振られ、慌ててクロエが相槌を打つ。王女である以上、クロエは女王直轄の部隊である僕達の動きを大体把握している。だから、彼女の心配は僕とファルがヴォルフを連れ戻した時点で綺麗さっぱり無くなっているため、こういう反応になるのも致し方ないことだが、できればもう少し自然に振舞ってもらいたい。


「よかったよ、本当……心配したんだから」


 そんな事を考えていたらクロエが目に涙を浮かべつつ僕の目を見ながら言った。これは演技……じゃないね。城に帰ってきた時、僕もヴォルフもクロエに泣きながらポカポカと叩かれたんだから。多分、その時のことを思い出しているんだろう。でも、それはそれであまりよろしくない。


「そ、そこまで心配してたのね、クロエ」


 クロエの反応にエステルが若干戸惑っていた。それもそうだろう。たかが流行り病にかかって何日か休んだクラスメートを涙目になりながら心配するなんて普通じゃない。そうは言っても、心配をかけた手前僕は何もいえない。


「ま、まぁ、とにかく無事に戻ってきてよかったってことだな!」

「そ、そうね! その通りよ!」


 なんとなく変な空気になりかけているのを察したニックがわざとらしい大声で言うと、エステルがそれに便乗する。


「でも、レイよぉ? もう少し休んでたほうがよかったんじゃねぇか? もうすぐ定期試験だぞ?」

「それに関してはレイよりもニック、君の方が心配だよ。実技はともかくとして、座学に関してレイはソツなくこなしているからね」

「いやお前それは……!!」

「全ての科目で赤点をとってニック氏がもう一度三年生を繰り返さないことを切に祈るよ。あぁいや、それを二度ほど繰り返せば、憧れのファラ嬢と同じ学年になれるからニックにとっては幸運なのか?」

「ジェラール! てめぇ!!」


 顔を真っ赤にさせてジェラールにヘッドロックをかけるニック。それを見て笑うエステルとクロエ。血生臭く無い平和な世界に戻ってきたことを実感する。

 血の匂いしかしない僕がいていい場所では無いことなんて重々承知だけど、こんな平和がいつまでも続く事を願わずにはいられなかった。

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