第121話 ささやかな変化

 目を開けると、窓から朝の日差しが差し込んでいた。ゆっくりと体を起こし、大きく伸びをする。ここは名門と名高いセントガルゴ学院の学生寮。貴族も数多く通う学校とういう事で、セキュリティは万全だ。特に自分がいる女子寮は間違いなどが起こらないよう色々な面が徹底されている。そのため、この部屋は油断する事のできる数少ない場所でもあった。


「……久しぶりにあの夢を見たわね。昨日、エステルとアリサから変な事を聞かれたからかしら」


 自分以外誰もいない部屋でそんな事を呟きながらグレイスはベッドをおり、朝の身支度を整えるために洗面所へと向かう。学生寮にしては豪華すぎる洗面台で顔を洗い、そのままいつもの流れで歯を磨き始めたグレイスだったが、無駄に大きな鏡に写る自分の姿を見て、歯ブラシを持つ手がピタリと止まった。


「……いつ見ても気に入らないわね、これ」


 自分の藍色の髪を見て、グレイスが僅かに顔を歪める。生まれてきた時からこの髪の色なのだ。成長と共に変わらない事などわかっている。かと言って、意識的に染めようとは思わなかった。それは、過去からの逃走と同義。そんな風に思ってしまう以上、意地でも変えたくはなかった。結局、自分は一生これと付き合わなければいけない定めなのだ。

 一通り身支度を整えたところで制服に着替え、部屋から出て行く。必要以上に設備が整えられているセントガルゴ学院の量の部屋だが、キッチンはついていない。そのため寮生は男子寮と女子寮の間にある大食堂へと足を運び、食事を取らなければならなかった。魔法師として最高クラスのレベルⅤという魔法位階を持ち、歴代最年少でBランク冒険者となったグレイスとはいえ、食事を取らなければ生きてはいけない。


「おい……あれ見ろよ……」

「あぁ。'氷の女王アイスクイーン'だろ?」

「まじで可愛いよな」

「まさにクールビューティーって感じだな」


 だから、大食堂に入った瞬間注目を浴び、深いため息を吐きたくなるとわかっていても、ここに足を運ばないという選択肢はなかった。


「エステルは……いないみたいね」


 不躾な視線を完全に無視しながら、親友であるエステル・ノルトハイムの姿を探したが見当たらなかったので、朝食を手に取ると一人窓際の席に座る。その間も、自分に向けられる視線が減る気配は一切なかった。


「エステルは私の事を男嫌いって言うけど……こんなにジロジロ見られたら、誰だって嫌いになるわ」


 トーストを口に運びながら思わず愚痴を呟いてしまう。ここに来て三年弱、流石に慣れては来たものの、不快感を覚えないわけでは無い。こういう一人で食事を取る時はさっさと食べ終えるに限る。


「グレイスさんだよね?」


 そうじゃないとこんな風に話しかけて来る輩が出て来てしまうから。

 内心深いため息を吐きつつ、声をかけてきた方に顔を向ける。


「いつも金髪の可愛い子と一緒に朝食を食べているのに、今日は一人でなんて珍しいね」


 そこに立っていたのは世間一般ではイケメンと呼ばれるであろう男子生徒であった。それは本人も自覚しているのだろう。柔和な笑みを浮かべているその顔には、ありありと自信が浮かび上がっていた。


「……エステルに用があるのかしら? だったら、もう少し遅い時間に来ると思うわ、どっかの誰かさん」

「え? あぁ、これは失礼したね。僕の名前はシドニー・スタンリー、しがない上級貴族さ」

「しがない、ね……」


 グレイスが紅茶をすすりながら小声で呟く。謙虚な発言をしたいのなら表情まで変えてもらわなければ意味がない。


「そして、用があるのはエステル・ノルトハイムさんではなく、君だよ」

「私に?」

「そうさ。君にとって最高の話を持ってきたんだ」


 得意げに笑うシドニーをグレイスが無表情で見つめる。この学校に入学して三年目、この手の話はそれこそ腐るほど聞いてきた彼女はこの後の展開を容易に想像することができた。だからこそ、グレイスが心の中で思う事はただ一つ、さっさとこの場を離れたい。


「勘違いして欲しくないのだけれど、僕は他の貴族とは違う。君が平民だからといって軽蔑したりはしない。重要なのは立場じゃなくてその人が持つ能力だと僕は思うんだ。それなのに世間はそれがわかっていない。君みたいな優秀な人材に低俗な冒険者なんてやらせているのがいい証拠だ。僕ならそんな事はさせない。君はもっと高みにいるべき人なんだ。だから、もし君にその気があるのならスタンリー家に迎え、今まで蔑んできた連中を見返す機会を」

「悪いんだけど」


 紅茶が飲み終わったところで、グレイスが演説をしているシドニーの言葉を遮る。こんなにも迷惑顔をしているというのに、どうしてこの男はベラベラと話し続けることができるのだろうか。


「朝から不愉快な思いをしたくないから、そろそろ行かせてもらってもいいかしら?」

「なっ……!?」


 信じられないといった表情を浮かべるシドニーを見て、グレイスは深々とため息をついた。信じられないのはこちらのセリフだ。


「その手の話は耳にタコができるほど聞いたわ。あなたと同じ貴族様からね」

「耳にタコって……ぼ、僕は他の頭の固い貴族達とは違う」 

「あら? どう違うというのかしら?」

「君を家来にするつもりなどないのさ! あくまで対等な関係を望む! 君が平民だって関係ない! なんならパートナーになる事だってやぶさかではないよ!」

「パートナー? それはとても魅力的ね」


 グレイスがにこりと微笑みかける。それを見たシドニーが照れたように顔を赤くさせた。やれやれ。こちらは嫌味を込めて笑いかけたというのにこの反応とは。やはり、上っ面にしか目がいかない相手と話していると疲れてしまう。


「じゃ、じゃあ……!!」

「でも、平民の小娘にはスタンリーという家名は荷が重すぎるから遠慮させていただくわ。他の人を当たってもらえるかしら」

「あ、ちょ、ちょっと……!!」


 シドニーの静止も聞かず、グレイスはスタスタと歩いて食堂を後にした。

 なんとも朝から不愉快な気分だ。どうして男というのは女が自分の思い通りになると思っているのだろうか。特に貴族の男は。

 若干の苛立ちを覚えながらグレイスは登校する準備を整える。もう少し嫌悪感を前面に押し出した方がいいかもしれない。そうでなければ、先ほどのようにべらべらと演説が始まってしまうのだから。


「……迷惑していることに気が付いて欲しいわね、本当」


 一年生の頃ははっきりと拒絶していた。それこそ相手が再起不能になるほどに。ただそれでは学園内で孤立する、とエステルに諭されたため、なるべくやんわりとお断りするようになったのだ。正直なところ、エステルやクロエ・アウルトロワといった理解のある友人が数名いれば他はどうでもいいのだが、エステルが心配する以上、ある程度そういう素振りを見せなければならない。


「……察しの悪い人って嫌いだわ」


 一人愚痴をこぼすと、グレイスは鞄を持って部屋を出た。そのまま真っ直ぐに校舎へと向かうのが彼女の常だった。だが、今はそれが少しだけ変わっている。

 グレイスが来たのは正門と校舎の狭間に生えた大きな木の下だった。現在、登校時間真っ只中。通常の学校であれば生徒で溢れかえっている場所ではあるが、全校生徒の九分九厘が寮に入っているため、宿舎と校舎をつなぐ道とは離れたこの場所には全くと言っていいほど生徒が見受けられない。


 ならば、なぜ彼女はこんな場所に来たのか。その理由は、正門をくぐった灰色の髪をした男子生徒にあった。


 こちらに歩いてい来るその姿には一分の隙も見受けられない。どうして今まで気づかなかったのだろうか。あの姿を見れば彼がタダ者ではない事など、すぐに看破できるだろうに。


「おはよう」

「おはよう」


 グレイスが待っている事に驚いた様子もなく灰色髪の男──レイが軽い調子で挨拶をする。瞬時に朝食の出来事を頭の中からかき消したグレイスが小さく笑みを浮かべながらそれに返した。


「いてくれて助かったよ。まだ、ちゃんとお礼を言ってなかったからね」

「流行り病で休んでいたらしい誰かさんの土産話を是非とも聞きたかったのよ」

「そりゃ……あれだね。わくわくするような内容じゃないと、ずる休みだったのを先生に報告されちゃうかな?」

「そうね。説教部屋へと案内されるかもしれないわね」


 グレイスが楽し気にくすくすと笑う。そんな彼女の横顔をレイがじっと見つめた。


「何か顔についてるかしら?」


 それに気が付いたグレイスが小首を傾げる。レイが自分に見惚れるようなタイプではない事を知っている彼女は、見つめられる理由に心当たりがなかった。

 少しだけ考え込む素振りを見せたレイだったが、グレイスの目を見ながら静かに口を開く。


「何かあった?」

「え?」


 予想外の言葉にグレイスが上擦った声を上げた。それを見て、レイの疑念は確信に変わったが、特に何も言わずに校舎へと向かって歩き始める。少しだけ呆けていたグレイスが慌ててその後に続いた。


「詳しくは聞かないよ。どうせ、どこぞの貴族様が朝から笑えない愉快な話でもしたんでしょ?」

「それは……」

「それを気にするなんて君らしくない気もするけど、何回も何回も似たような話をされたら気が滅入るかもしれないね。……例え'氷の女王アイスクイーン'だとしても」

「…………」


 グレイスは何も答えられずにレイの後ろを歩く。確かに彼の言う通りだ。普段の自分ならあんなにも苛立ちはしなかっただろう。原因は今朝見た夢だという事ははっきりしている。


「ただ、まぁ……」


 前を歩いていたレイが少し溜めを作りながら、グレイスの方へと顔を向けてニヤリと笑いかけた。


「君は優しく慰めて欲しいって柄でもないでしょ?」


 その瞬間、微かに心にこびり付いていた不快感が綺麗さっぱりなくなるのを感じ。その笑顔に僅かの間見入っていたグレイスだったが、すぐに春の日差しのような柔らかな微笑で返した。


「あら? そんな事ないわ。私だって優しい言葉に添い寝してもらいたい時だってあるのよ? 女の子ですもの」

「お望みとあらば添い寝でも雑魚寝でもしてあげるけど、負けず嫌いの誰かさんは後々後悔するんじゃないの?」

「…………」


 どことなく悪戯めいた笑みを前にグレイスは閉口してしまう。どうにも今回ばかりは分が悪いようだ。


「…………はぁ。最初に心内を見透かされた時点で私の負けだったようね」

「偶には一矢報いてやらないと」

「どっちが負けず嫌いだか」


 恨めしそうな眼差しを受けながら、レイは満足そうに再び校舎へ向かって歩き出した。その後ろ姿を見つめながらグレイスがため息を吐きつつ、肩をすくめる。


「……察しが良すぎるのも考えものね」


 ぽつりとそんな事を呟きながら、グレイスは僅かに口角を上げてレイの後を追ったのだった。

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