第112話 孤高の狼

 おぼろげな意識の中で目に映ったのは幻想的に広がる紫色の空と、自分の上にまたがり、無表情で喉元に刀を押し付けている灰髪の男の姿だった。そのあまりにアンマッチな光景に、ヴォルフは思わず笑みを浮かべる。


「あー……すげぇ既視感あんなぁ……ってことは、また同じ結果になったって事か?」

「そうだね。今回も僕の勝ちだ」


 頭から血を流しながらレイが冷たい声で告げた。以前、敵として戦った時と全く同じ配置。勝者であるレイが敗者であるヴォルフを見下ろす構図。だが、一つだけ違うのは、どちらも今すぐに倒れてしまいそうなほどにボロボロであることだ。


「けっ……なんとなくいけると思ったんだけどな。やっぱり第零騎士団の筆頭は半端ねぇな……」

「何言ってんのさ」


 力なく笑うヴォルフを見て、レイは呆れたように息を吐いた。


「殺されようとしている相手に僕が負けるわけないでしょ」

「……!?」


 目を見開くヴォルフを無視して愛刀を引くと、レイは倒れているヴォルフの横に腰を下ろす。


「……俺は本気だったぜ?」

「知ってるよ。だから、僕がこんなボロボロになったんじゃない。でも、負けるわけがない。……それに、死にたいと思っている相手を殺すほどお人好しでもない」

「……何もかもお見通しってわけか」


 ヴォルフは諦めたように笑いながら空を仰いだ。レイは彼のポケットを漁り、タバコを一本取り出すと、その口に咥えさせ火をつける。胸いっぱいに煙を吸い込んだヴォルフは、空に向かってゆっくりと吐き出す。


「サンキュ。あー……やっぱり煙草はうめぇな」

「早死にするよ?」

「こいつを我慢して長生きするよりはマシだな。……たまにはどうよ?」


 地面に倒れたまま吸い途中の煙草を指で挟み、レイの方へと向けた。怪訝な表情を浮かべたレイだったが、ヴォルフの手から煙草を取り、自分の口へと持っていく。


「……苦いだけだ」

「ははっ。やっぱりかしらの味覚はお子ちゃまだな」


 レイはむっとした顔で笑うヴォルフの口に煙草を戻した。再び、ヴォルフは煙を堪能し始める。


「つーか、このまま寝たら俺死なね?」

「大丈夫だよ。血の気の多いヴォルフがこの程度の出血で死ぬわけないさ。むしろ、やっと普通の人と同じくらいの血液量になったんじゃない?」

「俺はそんなに血気盛んじゃねぇ……女性関係以外は」

「それだけで十分だよ」


 あっさりとレイに言い切られ、ヴォルフは小さく笑った。そして、互いに口を閉ざし、朝の気配に身を委ねる。

 フーッ……と、ヴォルフは静かに煙を吐き出した。白いもやが夜明け前の澄んだ空気の中に消えていく。まだ生き物が目を覚ますには早い時間、清々しい静寂がこの空間に広がっていた。


「……どうして殺されようとしたの?」


 その静寂を破ったのは黒一色の鎧を着た影の騎士団の筆頭。ヴォルフは煙草を吸うと、静かに口を開く。


「俺は誓いを破ったあいつらを殺すことができなかった。ましてや、その理由が俺のためってなれば尚更だ」

「賢者の石……それを彼らはヴォルフのために」

「そういうこった。死んだ奴が生き返るなんて夢物語もいいところだっていうのに、あいつらはそれを信じて山賊に戻った。……前からバカな奴らだとは思っていたけど、ここまでだったとはな」


 どことなく嬉しそうに笑うヴォルフに対し、レイは真剣な顔で話を聞いていた。


「そんなバカ共をさ……俺は見捨てることができなかったんだよ」


 少しだけ自分を責めるような口調でヴォルフが言った。レイは少しだけ考え込むと、ぼーっと煙草を咥えるヴォルフの顔に目をやる。


「なら、なんでちゃんと味方してあげなかったの?」

「あ?」

「山賊仕事の手伝いはしなかったって聞いたからさ。見捨てられなかったのなら、全力で手を貸してあげればよかったでしょ?」

「…………はっ!」


 レイの言葉を聞いたヴォルフが馬鹿にしたように鼻で笑った。


「そんなの決まってるだろ? 裏切れなかったからだよ」

「裏切れなかった?」

「そうだよ。冷たい目で見てくるメガネっ子も、からかい甲斐のある元気っ子も、いつも涼しい顔で笑ってる紳士な爺さんも、楽しみを知らない不愛想な男も……裏切るには大事なものになり過ぎたんだ」

「…………」

「あんたらに家族の面影を重ねちまったんだ。……ファルには家族ごっこだ、なんて偉そうなことを言っておきながら、自分が一番家族に憧れてんだから世話ねぇよな」


 自嘲じみた笑みを浮かべるヴォルフに、レイは何も答えない。かけるべき言葉を見失ってしまったようだ。


「昔の仲間を見捨てられねぇ……大事な家族を裏切れねぇ……そうなったら、俺はあんたに殺されるしかねぇだろ!」


 ヴォルフの怒声が響き渡る。それは無力な自分を嘆いているようにレイには聞こえた。自分が同じ立場であったら、どうしただろうか。わからない。自分には零騎士以外に仲間と呼べる者などいない。そもそも仮定の話など無意味だ。例え、ヴォルフの立場に立ったとしても、自分とヴォルフは違うのだから。

 この時期にしては珍しく、乾いた風が二人を撫でる。レイは少しだけ逡巡したのち、静かに口を開いた。


「……ここに来る前に一度だけ、命の石の話を聞いたんだ」

「なに? どこで聞いた?」

「女王様に闇オークションを潰すように指令を言い渡されてね。偶々、その会場で知り合いからその石の噂を聞いた」

「闇オークション……」


 ヴォルフは小さな声でレイの言葉を反芻する。聡明な彼はそれだけでこの後の展開が薄っすら予想できた。


「その噂っていうのは、誰かが命の石を売りに出すってものさ」

「…………」

「事前に情報を小出しにして命の石に興味を持ってもらい価値を高めるっていう……まぁ、取引の常套じょうとう手段だね。でも、僕が気になるのはそこじゃなくて」

「誰がその噂を広めたか、って事だろ?」


 投げやりな笑みを浮かべながらヴォルフはレイの言葉を引き継ぐ。レイは黙って首を縦に振った。


「……なんだ……そういうことかよ」


 どこか楽しげで、悲しげな声。前者は踊らされていた自分をあざけ笑ったものであり、後者は知りたくなかった事を知ってしまったことによるものであった。


「結局、俺には仲間なんて誰一人としていなかったってわけか……」

「それはわからない。僕は聞いた話を伝えただけだ」

「同じことだろ? もうほとんど真実が明らかになってるようなもんじゃねぇか」


 命の石が売りに出されるという噂が流れて得をする者、それは命の石を手にしようとしている者に他ならない。

 何もかもがどうでもよくなってしまったかのように笑うヴォルフを見て、レイはため息を吐いた。


「噂を鵜呑みにするなんてヴォルフらしくないな」

「なんだ? 慰めてくれるのか? こんな素敵な話を聞かせてくれた張本人がか? ……はっ!! 嬉しくて涙が出ちまいそうだよ!!」

「ヴォルフ」

「あんたも俺は孤独な男だって言いたいんだろ!? そんなの五歳の頃からわかってたんだよ!! 親に見放され、村に捨てられ……唯一俺に寄り添ってくれた女は殺されちまったしよ……!! 誰かが俺の事を'孤高の狼'って呼んだりもしたが、笑っちまうくらいぴったりだよなぁ……!! これではっきりしたわ……俺は孤高に生きるべきなんだってことがなっ!! 俺には仲間も家族も──」


 ドスッ。


 ヴォルフの身体に深き刻まれた刀傷にレイが手刀を落とす。声にならない悲鳴を上げたヴォルフが悶絶するのを、彼はつまらなさそうに見つめていた。


「……痛ってぇな!! なにすんだよ!?」

「ガキみたいにいじけてるからイラっとしたんだよ」


 お腹の辺りを押さえながら涙目でこちらに視線を向けてくるヴォルフに、レイがぴしゃりと言い放つ。


「あのねぇ、僕が話したのはこんなとこでヴォルフを腐らせるためじゃないよ。ちゃんと真実を自分の目で、耳で確かめてこいって言ってるんだ」

「真実って……そんなのもう決まって」

「僕の話を聞いただけで? 何を寝ぼけた事を言ってるの? 諜報の任務はそんな甘いもんじゃないでしょ?」

「っ!?」


 ヴォルフの目が大きく見開かれた。構わずレイは淡々とした口調で言葉を続ける。


「ヴォルフの取り柄は情報収集能力くらいしかないんだから、サボってないでさっさと情報仕入れて来てよ。それで真実がわかったらやる事くらいわかるよね? 子供じゃないんだからさ」

「…………」

「駄犬には『部下の尻拭いをするのは上司の役目』とか言われたけど、僕は尻拭いなんてする気ないから。だって、ヴォルフは僕の部下じゃないでしょ?」

「……部下じゃないならなんなんだよ?」


 少しだけ顔をしかめて聞いてくるヴォルフに、レイは盛大なため息で答える。


「……零騎士のみんなを家族だと思ってるのが、自分だけだと思わないでね」

「なっ!?」


 傷が痛むのも忘れてヴォルフは身体を起こし、レイの顔を凝視した。だが、レイは涼しい顔で視線を逸らすばかり。

 しばらく呆然としていたヴォルフだったが、ゆっくり地面に身体を戻し、目元を手で覆いながら口角を上げる。


「……あーぁ。まさか男にときめいちまうとはな」

「両方いけるとは流石だね。もっとも、ヴォルフが僕に迫ってきても丁重にお断りさせてもらうけど」

「冗談! 俺が迫るのは綺麗なお姉さんだけさ」


 そう言うと、ヴォルフは手を使わずに体のバネだけで立ち上がる。一瞬、痛みに顔を歪めたが、すぐにいつもの余裕のある顔に戻った。


「さーて、仕事してくるかなぁ。人使いの荒いどっかの誰かさんに迷惑かけないためにもな」

「人聞きが悪いなぁ」

「事実なんだからしょうがないわな。甘んじて受けろ」


 ニヤリと笑いかけてくるヴォルフに、レイは小さく息を吐きながら肩を竦める。


「じゃっ、ちょっくら行ってくるわ」

「よろしくね」


 軽い調子で言うと、ヴォルフはボロボロの身体を引きずって山道へと消えていった。

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