第94話 依頼

 マジックアカデミアの守衛がいる門を抜け、少し歩いたところにある木の下。もはやいつもの場所と言っても過言ではないその場に藍色の髪をした美少女が立っていた。僕は何の迷いもなく彼女の方へと歩いていく。


「おはよう」

「おはよう」


 いつも通りの挨拶。そのまま二人で教室に向かうのも決まった流れだ。ルーティンワークと言い換えても差し支えないだろう。


「何かあったの?」


 だが、この質問はいつも通りじゃない。とはいえ、生きていくという事は想定外の連発だと思う。それに、いかにうまく対応していくかが、器用に生きるコツとなりえる。僕は少し驚いたように笑いながら、彼女の方に目を向けた。


「何もないよ。いつもと同じさ」

「そう……」


 グレイスは澄まし顔で僕から視線を外す。まさか一言交わしただけでそんな事聞かれるとは夢にも思わなかった。だけど、僕は第零騎士団筆頭。ある意味では裏世界のプロフェッショナル。心の機微きびを隠す訓練はしっかりと受けている。


「意外と嘘が下手なのね」


 ……なにがプロフェッショナルだ。筆頭が聞いて呆れる。いや、まだだ。まだ、聡明な彼女が僕にかまをかけている可能性だってあるはずだ。


「どうして嘘だと?」

「何かあった、と聞かれてすぐに何もない、と答えるあなたじゃないわ。『どうしてそう思うの?』って聞いてくるはずね」

「…………はっ」


 これはもう笑うしかない。僕の事をよく理解してくれているとは思っていたけど、ここまでだったとは。


「そして……もし何かあったとすればヴォルフさんのことかしら? 最近のあなたは彼の事で悩んでいたものね」


 おまけに洞察力が高いとくればお手上げだ。彼女が僕達の敵にならないことを心の底から祈るよ。絶対に手ごわいだろうからね、本気で御免ごめんこうむる。

 僕はため息を吐きつつ、肩を竦めた。


「……君には敵わないね」

「あなたがわかりやすいんじゃない?」

「冗談。ここまで見破れるのは君ぐらいだよ」


 異常に頭の切れるノーチェやヴォルフは置いといて、零騎士の仲間であるファルやファラだってここまでじゃない。ましてや一般人にこんな易々とばれていたら仕事にならないよ。……レベルⅤの彼女が一般人かどうかははなはだ疑問なところではあるが。


「そんな大したことじゃないんだけどね」

「あら、そうなの?」

「悪ガキの家出先が分かっただけさ。……ただ、少しトラブルに巻き込まれているみたいでね」

「……トラブル」


 グレイスは口元に手を当てながら、僕の言葉を頭の中で噛み砕いているようだった。


「本当、まいっちゃうよね。ふらっとどこかに出かけたと思ったら、本人は帰って来ないで、厄介事だけドアを叩いてきたんだからさ」

「……ヴォルフさんは結構遠くにいるの?」

「んー……まぁ、そうだね」


 具体的な場所なんてもちろん言わない。でも、ここで嘘をついても見抜かれそうだから、本当のことをぼかした感じで言うのがベターだろう。


「まぁ、ヴォルフがトラブルを持ち込んでくるのはいつものことだからもう慣れっこだよ。彼は女性関係で揉め事を起こす天才だから」


 真剣な表情で考え事をしているグレイスに、僕はあえて軽い口調で言った。誤魔化す意味もあるけど、一番は彼女に心配をかけたくなかったからだ。もう既に色々と迷惑をかけてしまっている……僕が不甲斐ないばかりにね。これ以上、僕の悩みを打ち明けて、彼女に甘えるわけにはいかない。


「ほとぼりが冷めるまで大人しくしているよ。変に顔を出して流れ弾にでも当たったら、それこそ目も当て──」

「状況としてはかなり悪く、今すぐにでも彼のもとへ向かいたいが、それはできない。なぜなら自分にはクロエの学園生活を守る、という重要な任務があり、何日も王都を離れるわけにはいかないからだ……って、ところかしら?」


 思わずその場に足を止めてしまった。グレイスも立ち止まり、呆気にとられた表情を浮かべる僕に目を向ける。


「……時が過ぎればどうにかなることで、あなたは悩まないでしょう?」


 その声は優しく、憂いに満ちていた。僕は目を瞑りながら大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。そして、スッと目を開けると、僅かに眉を下げながら笑っているグレイスの目を見つめた。


「……どうやら少し関わりすぎてしまったようだね。君は僕の事を理解しすぎている」

「それは……いけないことかしら?」

「零騎士としては、ね」


 鋭い視線を向けるが、彼女は一切怯む様子がない。むしろ、気遣うように僕のことを見ていた。殺しも平気で行う国の影役をそんな目で見れるとは……やっぱり、彼女を一般人の枠組みに当てはめるのはいささか無理があるようだ。


「でも、僕としては……一概に悪いとは言えないかな?」


 僕の言葉を聞いて微笑みかけてくる彼女に、僕は力ない笑みで応えた。彼女と関わって、少しだけ僕も変わったのかもしれない。前までの僕は仲間以外に自分の思考が読まれたら危機感しか抱かなかったというのに、今は理解してくれていることに僅かばかりの喜びすら感じている。


おおむね君が言った通りさ。詳しくは言えないけど」

「当然ね。あなたは女王を守る騎士様、私はただの冒険者……住む世界が違うわ」


 そう言いながら、グレイスはあっさりと身を翻し、僕に背を向けた。そのまま教室に向かっていくのかと思いきや、彼女は前を向いたまま静かに口を開く。


「冒険者というのは依頼を受ければ、それを達成するために全力を尽くすものよ」


 凛とした声で告げられた言葉に僕は内心で首を傾げた。なぜ急にそんな事を言い出したのかまったくわからなかったからだ。そんな僕の心境を知ってか知らずか、彼女はこちらに顔を向けることなく話を続ける。


「それがどんな依頼であっても、受けると決めたのであれば最後までそれをやり通す」


 ……なるほど、そういうことか。彼女の言いたいことがわかった。でも、それだとまた彼女に──。


「──私は誰のためでもなく自分のしたい依頼をこなす。それがBランク冒険者、"氷の女王アイスクイーン"よ」


 一片の曇りもない声。決して道を違えることはないだろう、そう思わせるような声音が気持ちがいい反面、裏を生きる僕には少し眩しい気がする。


「…………"氷の女王アイスクイーン"」


 僕は敢えて二つ名の方を呼ぶ。校舎に向かって歩き始めていた彼女は横髪を耳にかけながら静かに振り返った。


「なにかしら?」

「第零騎士団筆頭、ゼロの名において依頼をしたい。僕が戻るまでクロエ王女の身を守ってくれないだろうか?」

「…………」


 グレイスが僕の目を真っ直ぐに見つめる。僕も彼女の目を見つめ返す。


「…………あなた一人で行くつもりであれば、その依頼は受けられないわね」


 ……そう来たか。まぁ、僕から色々と話を聞いていた彼女であれば、あの子の事が気になるよね。

 僕は小さく息を吐くと、後ろへ振り返った。そこに立っていたのは茶色い髪をした瓜二つの双子の少女。そのうちの一人、肩に届かないくらいに短く切りそろえられた髪型の女の子が射抜くように僕を見ている。


「……今回ばかりは言うことを聞くつもりはないよ。これだけは譲れない」


 ファルの声は真剣そのものだった。普段の笑顔が絶えない姿からは想像もつかないほど険しい表情を見せる彼女に、痛いほど本気を感じ取る。


「……ファル」

「ボスになんて言われようとあたしは行くよ。例え命令違反で騎士団をクビになったとしても構わない……!!」

「ファル」

「あたしはあの人に言わなきゃいけないことがたくさんあるの……!! 勝手にいなくなった事への文句も、いつも元気づけてくれる事への感謝も!! まだ何も伝えられてない!! あたしの気持ちだって……!!」

「ファルッ!!」


 僕が大声を上げると、ファルはビクッと身体を震わせた。まったく……我が妹ながら早とちりが過ぎる。まだ僕は何も言ってないというのに。

 少しだけ委縮しつつ、それでもこちらから一切視線をそらさないファルに僕は優しく笑いかけた。


「一緒に来てくれるかな? 僕一人じゃ手に余りそうでね」

「っ!? ボスッ!!」


 目を涙で潤ませながら駆け寄ってきたファルが僕に飛びついてくる。僕は受け止めながら、後ろで真剣な表情を浮かべているファラに目を向けた。


「お願いできる?」

「まかせてください」


 ファラは自信に満ちた声でそう言うと、クイッと人差し指で眼鏡を上にあげる。


「Bランク冒険者の手を借りるまでもなく、私がクロエ王女を御守りいたします」

「ふふっ……それは心強いわね」


 ころころと笑うグレイスをファラはキッと睨みつけた。本当にファラは彼女がダメみたいだ。ヴォルフの件が片付いたら、少し話を聞いてみた方がいいかもしれない。


「じゃあ、女王様に許可をいただきに行こうか」

「了解!」


 威勢よく返事をしたファルに頷きかけ、僕は城に向かって走り出した。


 *


 離れて行く二つの背中を見送ると、ファラは仏頂面でグレイスの方に向き直る。


「クロエ様の送り迎えはあなたが出しゃばらなくて結構。私一人で十分です」

「そうね。ファラがついていてくれるのであれば安心だわ」


 柔らかく微笑むグレイスを見て、ファラは苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた。


「……その余裕綽々よゆうしゃくしゃくの態度が、ある女を思い出させてくれるので、不愉快極まりないです」

「ある女……?」


 眉を顰めるグレイスからプイッと顔を背けると、ファラはスタスタと校舎に向かって歩いて行く。そして、途中で立ち止まり、グレイスの方へ肩越しに視線を向けた。


「学院にいる時はクロエ様の事をお願いします」


 ギリギリ聞こえる程度の声で言うと、足早に校舎の中へ消えていく。一人残されたグレイスはしばらくそこに佇んでいたが、ファラの言葉を思い返し、嬉しそうにくすっと笑った。


「……少しは信頼されているのかしら?」


 そう小さく呟いたグレイスは気を引き締めながら、護衛対象の待つ教室へと向かった。

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