第35話 闇奴隷商

 双子のクラスが引率の教師に連れてこられたのは薄暗い廃屋だった。こんな所を見学するのか、と訝しんでいる生徒達の前に作り笑いを浮かべた白衣の男が現れた。


「セントガルゴ学院の優秀な生徒の諸君、ようこそお越しいただきました。私は当研究所の研究主任を任されておりますアクールと申します」


 丁寧なお辞儀と共に自己紹介をするアクールであったが、生徒達の表情を見て不思議そうに首をかしげる。


「……あぁ、こんな廃れた建物が研究所と言われ戸惑っているんですね。これは大変失礼いたしました。先生、皆さんに例のものを」

「わかりました」


 アクールが指示を出すと、担任の教師は持っていた革袋から小石を取り出し、生徒達に配り始めた。それが何かを理解しているのはファルやファラを含めてクラスの三分の一ほどしかいなかった。それ以外の者は、位の高い貴族や騎士団などに所属していない限りお目にすることはできない転移石を不思議そうに眺めている。全員に転移石が行き渡ったのを確認したアクールはゆっくりと口を開いた。


「皆さんの中にはご存じの人もいると思いますが、今お配りしたのは転移石と呼ばれる鉱石です。恐らく実物は見たことがなくても、その効果は知っている人が多いんじゃないでしょうか?」


 自分が持っているのがあの貴重な転移石と聞いたフランが持っていた石を落っことしそうになる。なんとか落とさずに済んだその石を両手でしっかりと握りしめ、緊張した面持ちで胸に寄せる彼女を見て、ファルとファラはくすっと笑った。


「これをみなさんにお配りしたのは他でもありません。我が研究所は秘密保持のため、外部との接触を完全に遮断しているのです。そこで、研究所に行くためにこの転移石を利用します」


 その言葉にファラは僅かな違和感を感じる。外部との接触を遮断しているような研究所にただの学生でしかない自分達が果たして見学をしてもいいのだろうか。だが、ここはセントガルゴ学院、普通の学校とはわけが違う。そういうものなのかもしれない、と彼女は自分を納得させた。


「使い方はいたってシンプル。この転移石に自分の魔力を流し込めば勝手に目的地へと連れて行ってくれます」

「……この社会科見学、ボスだったらここで置いてけぼりだね」


 ファルがニヤリと笑いながらファラの耳元でボソッと呟く。確かに、レイは自分の魔力を持たないから転移石を使うことができない。とは言っても、自分達も転移石をギリギリ使えるレベルなのだ。彼の事を笑うことはできない。


「それでは研究所にご案内いたしましょう。魔力を込めてください」


 ここにいる全員が一斉に転移石へと魔力を流し込んだ。視界が一瞬にして切り替わる。さっきまではガラクタが転がる陰気な場所であったが、今目に映るのは雪のように白い部屋。見渡す限りの白色に圧倒された生徒達が感嘆の息を漏らした。


「ここならば研究所と名乗っても差し支えないと思います」


 驚く生徒達を見て、満足げにアクールが言う。すると、彼の後ろから同じ白衣をきた者達が何人か現れた。


「研究所を見学するにあたって、感染症の疑いがあると非常にまずいことになるため、血液検査をしたいと思います。研究所職員が回りますので、みなさん右腕の袖を捲っておいてください」


 それを聞いた生徒達が素直に右腕を露出させる。しかし、ファルは職員の持つ注射器を見て震えあがっていた。


「あ、あたしあれ苦手……」

「わ、わだすも……」


 と思ったら隣にいるフランも冬の寒空の下にいるようにブルブルと震えている。そんな二人を見て、ファラは思わず苦笑いを浮かべた。


 全員の血液が採取し終えたところで、ファラ達は待合室のように連れていかれた。血液検査の結果が出るまでここで待機とのことだったので、しばらく雑談をしていたら、アクールが紐の束を持って戻ってくる。


「検査の結果、みなさん陰性だったので問題なく研究所の見学に移れます」


 アクールの言葉に、生徒達が歓喜の声を上げた。なんとも言えないミステリアスな雰囲気を醸し出している謎の施設を前に、好奇心が抑えられないのであろう。かくいうファルもうきうきが止まらない様子だった。そんな生徒達を見て、アクールは笑いながら頷く。


「さて、早速研究所の見学に行こうと思いますが、その前に皆さんにはこれをつけてもらいます」


 そう言うと、アクールは持っていた紐を職員に手渡した。それを職員が生徒達に配っていく。ファラも同様に受け取り、それが何かを確認すると、紐だと思っていたものはミサンガであった。


「そのミサンガを腕につけてください。それは万が一研究所内で迷子になったとしても大丈夫なように、居場所を知らせる魔道具になります」


 この建物の全体像を見たわけではないが、確かに広そうだ。クラスの、特に男子の中ではやんちゃな者も多いので、こういうのも必要なんだろう。そんなことを考えながら、ファラは何の疑いもなくミサンガを自分の手首に巻いた。


 その瞬間、極僅かな不快感が彼女の身体を襲う。それは、蚊に刺された程度の些細なものであったが、この感覚を長年味わい続けた彼女はその正体を瞬時に理解した。

 反射的に顔を上げ隣を見ると、ファルが顔面蒼白になりながら大量の冷や汗を流している。これはもう間違いない。


「みんな! このミサンガをつけてはダメです! これは」

「──"操り人形マリオネット"」


 咄嗟に大声を出したファラであったが、その声が魔法の詠唱によって中断される。慌ててそちらに目を向けると、地味だが高級そうな服を着ている小太りの男と、見るからに汚らしい男が自分達を見て薄く笑っていた。


「上手くいったようだな」

「えぇ、そのようで……しかし、驚きましたなぁ。ミサンガをつけただけでその違和感に気が付く奴がいたとは。天下のセントガルゴ学院の生徒の中に奴隷経験者でも混じっていやがったか」


 汚らしい男が興味深げにこちらを見てくる。ファラはその顔面に拳を叩きつけたい衝動に駆られるが、体の自由が全くきかなかった。


「とりあえず、おねんねしていただきましょうかね」


 汚らしい男がそう言うと同時に、激しい眠気がファラを襲う。ここで眠ってはいけない、頭では分かっているが、津波のように押し寄せる睡魔に抗うすべなどなかった。

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