第4話 女王の依頼
それから三十分程歩いたところで城門にたどり着いた。クロエをここまで護衛することが僕の任務なので、明日の朝、登校するまではお役御免となる。
名残惜しそうにしているクロエに別れを告げると、僕は城門の隅にある勝手口へと向かった。王族でも貴族でもない僕が城の正門をくぐるわけにはいかず、いつもここから城の敷地に入っている。
僕が近づいてきた事に気がついた見張りの騎士が顔を顰めながら何も言わずに勝手口の扉を開いた。相変わらず僕の事を快く思ってないみたいだ。僕というか僕が所属している部隊の方かもしれない。まぁ、文句も言わずに開けてくれるだけ幸せだと思うことにしよう。
勝手口から中に入ると、自然と足が目的地へと向かう。もう何百回、何千回と通っている道だ、慣れないわけがない。訓練場で鍛錬をしている騎士達を横目に見ながら木陰の道を歩いて行く。今訓練しているのは第一騎士団の連中だな。シンボルカラーの赤いラインが入った鎧を着ているし、何より訓練の質が他とは違う。第一騎士団は全ての騎士団をまとめる総騎士団長のアレクシス・ブロワが束ねる屈強な軍勢だ。あそこに対抗できるのはあのいけすかない男がいる第六騎士団かほとんど見た事ない第七騎士団くらいだろう。
何はともあれ、アレクシスに見つかったら面倒臭いことになる。あの人は何かと理由をつけて僕に絡んでくるのだ。会わないにこしたことはない。
騎士の訓練場を過ぎ、城の敷地に植林された林を抜けたところでようやく僕の家が見えてきた。雄大にそびえ立つ城の中庭の隅にある古ぼけた洋館。街にあったらホラースポットになったであろうこの建物こそが、僕達の詰所兼居宅になっている。
僕が扉を開けると、早速黒いタキシードに身を包んだ初老の男が出迎えてくれた。お腹のあたりに軽く手を添え、直立不動の姿勢で立っているその男には一分の隙も見当たらない。
「おかえりなさい、レイ様」
「ただいま戻りました、ノーチェさん」
僕が挨拶をすると、ノーチェは柔和な笑みを浮かべた。何というか大人の余裕を感じる。僕も歳をとったらこういう男性になりたい、と常日頃から思っていた。
「他の人達はいないんですか?」
「ファラ様とファル様は入学手続きで出払っています」
ノーチェ以外の気配を感じ取れなかった僕が尋ねると、彼は朗らかに答える。
「あっ、そっか。あの二人もセントガルゴに入るんでしたっけ」
「えぇ。これでレイ様の負担もかなり軽減されるのではないですか?」
「うーん……王女様を狙う悪漢よりも、あの二人の方がよっぽど厄介な気がするんですけど」
「それは否定できませんね」
ノーチェが楽しげに笑った。一つ一つの仕草に何処と無く気品を感じる。この人が名家の主人だと言われても納得できるほどだ。
「それにいいんですか? ただでさえ少ない第零騎士団のうち、三人も学院に通ってしまって」
「問題ありません。我々の仕事は主に夜ですから。火急の要件でもない限り、支障はないと思われます」
「まぁ……そうですね」
すらすらと告げられるノーチェの言葉に僕は閉口した。
第零騎士団。
王都が誇る勇猛果敢な騎士団の一つ……と、言えるかどうかは定かではない。
その理由として、世間一般に知られている騎士団は第一から第七の七隊だけだからだ。僕達が所属する第零騎士団は世の人々に認知されていない。
それもそのはず、僕達は護衛や討伐任務も命令されるが、メインとなるのが裏の仕事になっているからだ。偵察や潜入、場合によっては暗殺まで守備範囲に入っている。そんな仕事をしている騎士団を声高に公表できるわけもない。
そして、他の騎士団と最も違うところが命令系統である。
騎士団の絶対命令権は総騎士団長であるアレクシス・ブロワが持っている。国をも脅かす巨悪でもない限り、女王や貴族は介入しない。アレクシスが部下からの情報を吟味し、的確な指示を飛ばすことにより、騎士団は機能していた。
だが、僕達は違う。命令を下すのはアレクシスではなく女王なのだ。
そもそもこの第零騎士団は、綺麗事だけでは国は回らない、というデボラ女王の考えにより、彼女自身が僕を含め一癖も二癖もある者達をかき集めて作りあげた騎士団だ。そのため、命令権があるのは女王だけ。極端に言ってしまえば、女王がアレクシスを殺せ、と命じれば僕達は躊躇なくそれを実行する。
まぁ、そんな馬鹿げた命令を下すような人なら、僕は忠誠なんて誓ってはいないが。
女王の手駒やら暗黒騎士団やら、他の騎士からは色々言われているみたいだけど、もう気にすることもなくなったね。
「それにもし何かあったとしても、私とヴォルフ様がいれば大抵のことは何とかなります」
「……で、そのヴォルフは今どこにいるんですか?」
僕が尋ねると、ノーチェは困ったように笑いながら軽く肩をすくめる。それで全てを悟った。
「……またナンパの延長ですか」
「ヴォルフ様はおモテになりますからね。顔がいい上に口が上手いときている。彼に口説かれて靡かない女性は少ないですよ?」
「火遊びもそこそこにして欲しいですけどね」
この間、口説いた貴婦人の夫と問題を起こした事を忘れないで欲しい。家にあるベッドで二人一緒に裸で寝てる時に夫が帰ってきたとか、修羅場以外のなにものでもないでしょ。
呆れている僕を見て、ノーチェがニコニコと笑う。
「レイ様も試してみてはいかがですか? 毎日この屋敷で眠ることは義務ではないのですよ? 偶には行きずりの女性と魅惑的な一夜を過ごしてみてもいいではありませんか」
「……遠慮しておきます」
僕にそんな器量はない。昨日今日出会った人の家に泊まるなんて、どういう風に接すればそうなるのか皆目見当もつかない。
僕が渋い顔をしていると、ノーチェが何かを思い出したかのようにポンッと手をついた。
「そういえば、お客様がお見えになってます」
「お客様?」
誰だろう。こんな辺鄙な場所に来る人なんか女王様くらいしか思い当たらないんだけど。
「はい。女王陛下がいらっしゃっていますよ」
「っ!? それを早く言ってくださいよっ!」
慌てて駆け出した僕を見て笑みを浮かべるノーチェ。基本的には紳士でいい人なんだけど、からかい癖があるのがどうにも。
屋敷の一階にある応接室の扉を勢いよく開けると、そこには溢れんばかりの威厳を漂わせた美人が足を組みながら優雅に座っていた。見た目は完璧に二十代、これで一児の母親だと言うから驚きだ。
僕は居ずまいを正し、女王であるデボラ・アルトロワの前に跪いた。
「お待たせいたしました」
「戻ってきたようだな。……忙しいようであれば出直すが?」
「いえ、その必要はありません」
「そうなのか? これから
デボラ女王がニヤリと笑う。……聞かれていた。僕がノーチェにジト目を向けると、彼は素知らぬ顔で彼女の前に紅茶を置いた。なんというか……この人には敵わない。
デボラ女王は桃よりも赤に近い髪を耳にかけながら、ゆっくりと紅茶をすする。その様は絵画のように美しい。
「また腕を上げたのではないか? 城の給仕が出すものよりも美味しいぞ?」
「もったいなきお言葉」
ノーチェは恭しく頭を下げると、そのまま部屋から出て行き、扉を閉めた。応接室には僕とデボラ女王の二人だけになる。これはいつものことだ。
「女子を口説く、結構じゃないか。二十にもなろう男がそんなに
「初心というわけではありません。ただ、あまり興味がないだけです」
「女子に興味がないとは……もしかして、そっちの趣味か?」
「どっちの趣味かはわかりませんが、なんとなく否定しておこうと思います」
「くっくっく、堅物よなぁ。ほれ、そんな畏まってないで座ったらどうだ? 話しにくくてかなわん」
楽し気に笑いながらデボラ女王がソファへ促す。僕は言われるがまま対面に腰を下ろした。
「それで? どんな任務ですか?」
「相変わらずせっかちだのう……他に言うことはないのか?」
「それ以外にデボラ様がここに来る理由がありませんので」
「そんな事ないぞ? 母親が息子に会いに来る理由など、顔が見たいというだけで事足りる」
「っ……!!」
僕が言葉に詰まると、デボラ女王は嬉しそうに笑った。またからかわれたみたいだ。ノーチェにしろこの人にしろ、僕をからかう事が余程好きらしい。
「……茶化さないでください」
「んー? 別に茶化したわけではないが……まぁ、よかろう。仕事が大好きな息子のためにその話をするとしようか」
息子……その言葉を聞くだけで僕の心が高鳴った。冗談でも本心から言っているのがわかるからだ。血の繋がらない僕を本当の息子のように扱ってくれる。だからこそ、僕はこの人のためにここにいるのだ。
「王都の街ではぐれ魔法師の目撃情報が出た」
「はぐれ魔法師?」
僕が問いかけると、デボラ女王は小さく頷いた。
「しかも、厄介な事に国が管理している研究所で勤めていた男であり、ここの事情に精通している」
「なるほど……」
はぐれ魔法師というのは犯罪に手を染めた魔法師を指す言葉だ。そのはぐれ魔法師が、国の管理している研究所で働いていたとなると、町の警護に当たる騎士団の動向に詳しい可能性がある。そうなると、正攻法で見つけるのはかなり難しい。
「どういった研究を?」
「魔道具の研究だ。バート・クレイマン、レベルⅢの魔法師。範囲魔法を得意とする」
「範囲魔法……ですか?」
「あぁ。その能力を買われ農作業用の広範囲に水を散布する魔道具や建物内部を暖かな風が包み込む魔道具の研究に従事していたのだが……いつの間にか大規模破壊に特化した魔道具の研究にのめり込んでいったのだ」
「それで研究所を?」
「うむ、追放した。どうやらその事で国を恨んでいるらしい。逆恨みも甚だしいがな」
デボラ女王が不機嫌そうに鼻を鳴らす。僕は今聞いた情報を頭の中に叩き込んだ。
「わかりました。その男をデボラ様の前に連れてくればいいですか?」
「……バート・クレイマンという男は初めから存在しなかった、というのはどうだ?」
デボラ女王の瞳が怪しく光る。存在しなかった……つまり、そういう事だ。
「承知致しました」
感情のこもらない声で返事をすると、デボラ女王は慈しむような笑顔を向けてきた。
「頼むぞ。
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