第2話 学園生活
生きる上で人間関係を円滑に進めることは重要なことだ。
優しい者、せっかちな者、短気な者、臆病な者……誰一人として同じ人間など存在しない。その事実が『円滑に』という挙動を困難にしている。
他者と関りを持てば持つほど、人間関係は複雑に絡み合っていく。それは決していい間柄に限ったわけではない。負の感情を抱いたとしても、それが色濃ければ関わりは深いといえる。
密な関係の者には他に密な関係の者が存在し、自然とコミュニケーションの輪というものは広がっていってしまう。結果として、人がいる場所にコミュニティが形成されるのは不可避の事象。それは王都が誇る名門、セントガルゴ学院においても同じことがいえる。
ならば、自分のようになるべく人の目を避けて生きなければならない者はどうすればいいのか? ただでさえ灰色の髪のせいで目立ってしまう自分は?
「おい、レイ。パン買って来いよ」
簡単なことだ。好きでも嫌いでもない、興味が湧かない空気のような存在になればいい。
「わかった。何パンがいい?」
僕は極力無感情のまま、目の前に立つガタイのいい男に目を向けた。そこには敵意も怯えも一切ない。どちらを見せても、このガルダン・ドルーという男の興味を刺激してしまう。
「俺はたまごサンドで」
「ハムエッグ」
「ソーセージのやつ」
脇に控えていた二人の男がガルダンに乗る形で注文してきた。クラスの番長的立ち位置にいる彼にコバンザメのごとく引っ付いている彼らの名前は……忘れたからニキビ面の方が子分Aで、ひょろ長い方が子分Bということにしておこう。
僕は適当に返事をすると、さっさと自分の席を立つ。彼らがお金を払わないなんていつもの事だ。それを突っついてトラブルになる方がよっぽど面倒くさい。パンの一つや二つ、おごってやるだけで平穏に学生生活を、ひいては任務を遂行できると思えば安いものだ。
教室を出た僕はゆっくりと廊下を歩いていく。本当にこの学院はお金がかかっているな。彫刻とか絵画とかまるっきり興味がない僕だけど、そこかしこに置かれているものが高そうだ、ということだけはかろうじてわかった。
この校舎に使われている大理石は混じりっけない綺麗な白色をしているし、造りも宮殿といわれてもおかしくないほどに荘厳だ。流石は王族、貴族御用達の学園といったところか。
そんな学び舎を歩く生徒達もまた、
当然の事ながら同じ貴族とはいえ、位に差はある。それは大きく上級、中級、下級の三つに分けられ……厳密には違うのだが……その家柄がそのままこの学園のヒエラルキーになってしまっている。だから、今着いた学園併設のカフェテリアで、偉そうに踏ん反り返っている男の周りを沢山の人達が媚びへつらってる場面に遭遇しても驚く事じゃない。
あまり貴族が好きではない僕は、吐き気を催す接待風景からサッと視線を逸らし、気持ちを切り替える。嫌悪感を顔に出すようなヤワな鍛え方はしていないが、見たくないものは見たくない。
注文内容を頭で復唱しながら、カフェテリアの一角にある売店に向かい、いつものように声をかけた。
「おばちゃん、たまごサンドとハムエッグ、それにソーセージドッグをよろしく」
「あいよー! ……って、またあんたかい?」
誰に対しても愛想よくニコニコと笑顔を振りまいていたおばちゃんが、僕を見た途端その表情をわずかに曇らせた。
「また誰かのおつかいなんでしょ? 可哀想に」
可哀想かどうかは置いておいても、おばちゃんの言っていることは間違っていないので、僕は苦笑いで返す。
「別に気にしてないよ。相手は貴族様だし、仕方がないって諦めてる」
「はぁ……相変わらず大人なのねぇ」
おばちゃんはなんとも言えない顔でパンを袋に詰めた。僕が硬貨を出すと、パンの入った袋とは別に手のひらサイズの紙袋を渡される。
「このクッキーはサービスしておくわよ」
「ありがとう、おばちゃん。また来るよ」
僕は笑顔でそれを受け取ると売店を後にした。やっぱりおばちゃんは数少ない癒しだね。年齢的にその表現が正しいのかは分からないが、僕にとっては天使そのものだよ。
それにしても大人、かぁ……あながち間違っていないから反応に困る。詳しい話をするわけにはいかないからあれだけど。
あまり帰りが遅いとあの貴族様がうるさいので、足早に教室へと戻っていく。教室に入ると、僕に買い物を頼んだ三人がニヤニヤと笑いながらこちらに近づいてきた。不平不満は一切ない、といった顔で僕は買ってきたものを渡す。
「頼まれていたものはその中に入ってるよ」
「ご苦労。心得ている平民は好感がもてるな」
ガルダンが満足気な笑みを浮かべながら、僕の手から袋をぶんどった。その仕草と表情からは自然と蔑みの色が滲み出ている。おそらく、身体に染み付いてしまっているのだろう。僕のように家名を持たない平民に対して、丁寧な対応を取る貴族の方が珍しい。特にドルー家は上級貴族だから、それが色濃く出てしまうのは当然のことだと言える。そんな事を気にしていても仕方がないし、それよりもこの上級貴族のお坊ちゃんと会話を終える方が重要だ。
「じゃあ僕はこれで……」
「ちょっと!! ガルダン!!」
僕がいそいそと自分の席に戻ろうとした時、不意に後ろから怒声が聞こえた。嫌な予感がしつつ振り返ると、綺麗な顔を怒りに歪めながら腕を組んでこちらを睨みつけている金髪の美少女が立っていた。その少女を見て、ガルダンは苦い表情を浮かべる。ちなみに僕も内心で同じ顔をしていた。
「なんだよ、エステル」
「なんだじゃないわよ! いつも言ってるでしょ!? 平民はあなたの付き人じゃないって!! 同じ上級貴族として恥ずかしいわ!!」
ガルダンに鋭い視線を向けながら、左右に結った髪が揺れる。彼女の名前はエステル・ノルトハイム。平民を奴隷のように扱う貴族の子息が数多く存在する中、学園においてお家柄など関係ないと考える稀有な存在。少ないながらもこの学園に通っている平民に対してフランクに接する彼女はこのクラスの人気者だ。そして、ガルダンの幼馴染らしい。
その姿を見た子分A、Bは慌てて存在感を消し、ガルダンの表情は面倒臭そうなものに変わった。
「いつもいつもうるせぇなぁ……貴族様のお世話をするのが平民の仕事だろうが!」
「それはちゃんとお給金を払っている主従関係でしょ? あなたが彼にお金を払っているとは思えないわ」
エステルの言い分に舌打ちをするガルダン。言っていることは正しいのだが、パンを買ってくるだけの行為に主従関係も何もないと思う。でも、そんなことは言わない。言えば矛先が自分に向くのは明らかだからだ。
「こいつはレベルⅠじゃねぇか! レベルⅡの俺様の言うことを書くのは当たり前だろ!」
「だったらレベルⅢの私の言うことをガルダンは聞かなければいけないってことになるけどいいの?」
そう言いながら、エステルは『Ⅲ』と刻まれている自分の手の甲をこちらに向けた。完璧に論破されたガルダンがぐっ、と言葉に詰まる。やはり口では勝てない模様。とは言っても、魔法戦で勝っているところも見たことないが。
「……こいつは嫌がってるわけじゃないんだから別にいいだろうが」
負け犬の遠吠えのようにガルダンが呟いた。だが、それは的外れな意見とも言い難い。なぜなら、僕が求めるのは平穏だ。この程度の頼みを受けて、それが得られるなら喜んでパンでもなんでも買ってくる。
「パンの買い出しを喜んでやる人なんていないでしょ!?」
……すいません、ここにいます。
「とにかく! 貴族として恥ずかしくないようにしなさい! クロエもそう思うよね?」
「えっ!?」
エステルに突然話を振られたのは、彼女に負けず劣らずの美少女。気の強そうなエステルとは対照的に、桃色の髪をした少女は優しそうな雰囲気を醸し出している。
「な、なんの話をしているの?」
クロエは僅かに声を上擦らせながら、よくわかっていない表情でこちらを見た。だが、さっきからずっとチラチラとこちらを見ていた事を僕は知っている。無論、それを指摘するようなことはしない。
「またガルダンがレイをこき使っているのよ。貴族に尽くすのは平民の義務だ、みたいな事を言って」
「……それはあまり感心できないかな?」
クロエはその場で立ち上がると、ガルダンに厳しい目を向けた。厳しい、と言っても母親が子供を叱責するくらいのレベル。だが、彼女に心底惚れているガルダンには効果覿面だ。
「き、汚ねぇぞエステル! 姫を使うなんて!」
「汚い意味がわからないわ。私はただ第三者の意見を聞いてみただけよ」
悔しそうに歯噛みするガルダンを勝ち誇った顔でエステルが見つめる。この二人の方が自分なんかよりずっと主従関係な気がするのは僕だけだろうか。
「ガルダン君、それはよくないよ。パンが欲しいんだったらちゃんと自分で買わなきゃ」
「あー……そうだな。今度からそうするよ」
バツが悪そうな顔でガルダンが答えると、クロエは慈愛に満ちた笑みを向けた。それをガルダンがぼけーっとした顔で見つめる。
「まったくデレデレしちゃって。情けない」
「う、うるせぇ! 行くぞっ!!」
ガルダンは顔を赤らめながら言い返すと、子分達を引き連れて逃げるように背中を向けた。この場に一人残された僕、気まずいから本当に勘弁していただきたい。
「やっぱりガルダンも我らがクイーン組が誇る'
「あぁ、それにしてもエステル様はいつ見ても可愛いなぁ……」
「俺はだんぜん姫様派だ」
遠巻きに僕達を見ていたクラスメート達の話し声が聞こえる。僕もそちら側に回りたいと切実に思うよ。
あのクラスメートも言っていた通り、このクラスには'三花'と呼ばれる……というか、周りが勝手に呼んでいる三人の少女がいる。なんでも花も恥じらうほどの美貌の持ち主がその呼び名の由来になっているらしい。
そのうちの二人が今、目の前に立っているエステルとクロエ。ちなみに、みんながクロエを姫と呼ぶのは揶揄しているわけではなく、実際にそうだからだ。
クロエ・アルトロワ。この国を治める女王、デボラ・アルトロワの一人娘であり、正真正銘のお姫様。
「……ありがとう、エステルさん。クロエ……さん」
一瞬、様付けで呼ぼうとしたが、クロエの眉がピクリと動いたのを見て、なんとか堪えた。そういえばクロエ様と呼ばれるのを嫌がっていた事を思い出す。
「いえいえ、そんなに気にしないで」
朗らかに笑うクロエだったが、その隣にいるエステルの顔は渋い。彼女はこれ見よがしにため息をつくと、呆れた顔で僕を見つめた。
「レイ……今の一件、あなたにも原因があるのよ? わかってる?」
「えっとぉ……」
原因というのは、この注目を浴びている状況についてのだろうか? それならばはっきりしている、悪いのはこちらを睨んでいる金髪の少女だ。
「あなたがはっきりと断らないから、ガルダンみたいた人が調子に乗ってしまうの!」
「あー……うん。そうだね」
これはまずい。いつものお説教モドキが始まる気がする。なんとか助け舟を出してもらおうと、こっそりクロエに視線を向けるが、彼女は困ったように笑うばかり。
「そういう曖昧な態度が授業の時も垣間見えるのよ! 本気で取り組んでいないっていうか、やる気がないっていうか!」
なかなかどうしてよく見ている。レベルⅢの優等生は伊達じゃないってことだ。
「今日から私達は第三学年になるのよ? もう一年間しか学園にいられないというのにそんなのでいいの? ちゃんと進路は決まっているの?」
まるで母親の如き口撃。彼女の場合、嫌味で言っているわけではなく、本当にこちらを心配しているから始末が悪い。
「ま、まぁまぁ。レイ君だって色々考えているよ!」
「……色々?」
やっとの思いで助けに入ったクロエは、エステルの鋭い視線を真正面から受け、すぐに身を竦める。これ以上の援護射撃は望めそうにない。そもそも、援護射撃だったかどうかは微妙なところではあるが。
「レイはレベルⅠでしょ? ……あまりレベルのことは言いたくないんだけど、やっぱり将来にはかかわってくるから……」
エステルが自分の手の甲をさすりながら若干気まずそうに告げてきた。遠慮することなどないというのに。
先ほどから何度か登場しているレベルというは己の魔力位階を指している。それは潜在能力、すなわち自分の持つ魔力の最大保有量の事だ。
魔力はほとんどの者が生まれながらに持っている。そして、それは身体の成長とともに強さを増していくのだが、その上昇量は無限というわけではない。最終的にどれほどの魔力を保有できるか決める器の大きさを魔力位階と呼んでいた。
この国に生まれ育つ者であれば、物心つく頃、教会にてその審判を受ける。と、大仰な言い方をしているが、簡単に言えば五歳になったら自分の魔力の限界を測定してもらうということだ。専任の神官が子供に直接触れ、魔力の限界を測定し、Ⅰ~Ⅴ段階で評価する。そして、そのレベルを子供の手の甲に刻み付けるのだ。
魔力の量は使える魔法の規模や種類、破壊力に関わってくる。魔法があまり関係しない商人やら鍛冶屋ならいざ知らず、騎士団や冒険者にとっては魔力位階のレベルが一つのステータスになっており、それにより待遇に差が出るのは避けられないことだった。そのためエステルはレベルⅠとされている僕を心の底から心配してくれている、というわけだ。
まぁ、その心配は杞憂という他ないのだけれども。
「レベルⅠにはレベルⅠなりの仕事があるよ。この学園で学んだ事を生かせば何とか生きていけるって」
僕は笑顔で答えるが、エステルはあまり納得がいっていない様子だ。
「そうは言ってもねぇ……」
「僕なんかよりエステルさんの方が進路先大事でしょ? レベルⅢなら色んな所が欲しがるだろうし」
「そんな事ないわよ」
エステルが少し照れたように顔を背ける。彼女はこう言っているが、実際レベルⅢともなれば引く手数多の人材だ。
魔力位階の評価はⅠ〜Ⅴでするのだが、平均がⅢというわけではない。レベルⅠが大多数を占め、レベルⅡであれば優秀、レベルⅢなら逸材、レベルⅣともなれば天才の域に達する。だから、レベルⅢのエステルの優秀さを疑う余地はなかった。さらにその上にレベルⅤがあるのだが、それは人智を超えた存在として滅多に現れることはない。
とは言うものの、僕の知っている中にレベルⅤがそれなりにいるんだよね。変わり者ばかりだけど。
僕がその人達の事を思い浮かべていると、エステルは一つ咳払いをはさみ、こちらに向き直った。
「私の事はいいのよ! 今話しているのはレイの事! この学院に入ったからには立派な魔法師になりたいんでしょ!?」
「あー……まぁ、そうかな?」
エステルに詰め寄られ、僕は言葉を濁す。魔法師というのは魔法を使う人の総称。剣を使う者も、物を作る者も魔法を扱うのであれば例外なく魔法師と呼ばれる。
「そうやっていつも自分の事ははぐらかして! そんなんじゃ本当に──」
ガラッ。
エステルの言葉の途中で教室の扉が開く。その瞬間、クラスがなんとも言えない緊張感に包まれていった。教師が入ってきたわけではない。仮に教師が入ってきたとしてもここまでの空気にはならないだろう。視線の先に何が映るのか分かり切ってはいるが、教室に緊張の糸をもたらした原因へと目を向ける。
そこには一人の少女が立っていた。
凛とした顔立ち、少しだけつり上がった目元、透き通るような肌。深海のような藍色の髪はうなじ辺りでくるっとまとめたシニヨンスタイル。学生とは思えないほどの抜群なプロポーション。だが、無駄な肉などあるはずもない。すらりと長い足はまるでカモシカのように。隙のない佇まいはまるで肉食獣のように。スレンダーでありながら、胸部にはやや大きめな二つの凶器を携えている。
誰もが振り返るであろうこの美人はクイーン組が誇る'三花'の一輪、グレイス。平民の出であるために家名はない。だけど、高ランクの冒険者である彼女には二つ名がある。
'
最年少で冒険者ランクBにまで上り詰めた猛者。そして、この学園唯一のレベルⅤ。貴族平民問わず、その美貌を前に言いよった男は数知れず。完膚なきまでに撃沈した男もそれと同数。
グレイスはつまらなさそうに教室を一瞥すると、エステルに目を留めた。
「何してるの?」
「見通しの甘いクラスメートに人生の厳しさを教えているところよ!」
「そう」
自信満々に答えるエステルに淡白な返事をすると、グレイスはちらりとこちらに目を向けた。基本的に他人などどうでもいいタイプの彼女だが、親友のエステルに関しては別なのだろう。それでも、別段興味を引く内容ではなかったのか、さっさと自分の席へと歩いていった。
「氷の女王……あの冷たい視線がたまらない」
「あぁ……彼女になら踏まれてもいい」
クラスの男どもが色めき立つ。平民といえど、隔絶する力を持つグレイスは貴族達からも一目置かれていた。お抱えの護衛役兼妾として虎視眈々と狙っている輩が多数いるようだが、それが上手くいくビジョンが見えない。
この辺が潮時だな。そう判断した僕はつれない親友に頬を膨らませているエステルに向き直った。
「エステルさんの言うようにもう少し真剣に考えてみるよ。それじゃ」
「あっ、ちょっと!!」
早口でそうまくし立てると僕は足早にエステルから離れていく。背中から不満の声が聞こえてくるが、気のせいに違いない。
ふぅ……本当に厄介な相手だよ。
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