異形の魔王

 錬金術都市「プラーガ」に新月の夜が来た。「金貨一〇〇万枚の夜景」と称される夜景は月のない夜を明るく照らし、飛行術を身に着けた魔女たちは箒で空を駆け巡っている。地上には機械仕掛けの馬が金銀に輝く馬車を挽き、豪奢な衣装の男女が夜道をそぞろ歩く。路地裏さえ明るく照らされ、警備用のゴーレムや、それより幾分気の効いた作りの自動人形オートマタが不審な輩がいないか見張っている。

 単純な魔法を組み合わせて発動させ、加工にも用いられる錬金術。その中心地であるこの町は、新月の闇など無縁である――魔王が襲撃をかける直前までは、誰もがそう信じていた。

 一瞬の閃光。街明かりに照らされた空に現れた巨体が出現していた。全身を覆う古色蒼然たる鎧の所々には、人類にはいまだ解読できていない古代魔族の文字が書かれている。先の大戦で討ち取られ、首をなくしたはずだったが、いまはそのかわりに奇妙なものが生えていた。人間の上半身である。かつてバーク・ラズモフスキーと呼ばれた存在、そして今宵に「墓守の町」でソフィアの母、イライザを襲った者である。

 その夜、異形の魔王の姿を目にした者は数少ない。錬金術都市の町の明かりはすぐに魔王の身体に吸いあげられていったからである。

 しかし、悪役令嬢オリヴィアの私室のすぐ隣にある応接間で空を見張っていたララノアは魔王出現の瞬間を見ていた。夜目が効く彼女にも魔王の出現は一瞬のことで、遠くから飛んできたようには映らなかった。突然、その場に出現したのである。

「来た」

 そばにいたガストンとソフィアに向けて言った後、ララノアは説明を受けたばかりの蟲人用の金属製の笛を強く吹いた。その音は少し離れた仮眠室にいた非番の蟲人たちの耳にも届く。聞きつけた家人らも笛を吹き、やがて、笛は家じゅうに響き渡った。

 ガストンが窓から、地上の残光でほの明るい空を見上げる。そして、失われた首のかわりに人間の身体を埋め込まれた魔王を認めた。

「とうとう、くっついちまったか、哀れな奴め」

 ガストンがひとりごちる間にも街の光は魔王の身体に吸い込まれていく。

 魔素欠乏警報機が鐘を打ち鳴らし、事態を知らせていたが、そもそもその音に聞き覚えのない多くの街の人々は何が起きようとしているのかわからず、不安な声をあげるだけだった。

 街の明かりは消えた。上空にいた魔王の全身が眩く光る。と思うと、次の瞬間にはまったく光はなくなり、不夜城は無明の闇に包まれた。

 すべての魔道具が止まった錬金術都市の静寂を破るのは街のあちこちであがる悲鳴だった。

「雇い主、何か策は?」

 ララノアは強い口調でドアの向こうにいるオリヴィアに尋ねる。形式上、金で雇われている身とはいえ、人間に媚びたり、遠慮したりする気はさらさらない。彼女は誇り高きエルフなのだ。いざとなれば人間のことわりなど平気でないがしろにできる。

「策? もちろんございます。『電気』です」

 オリヴィアが言うか言わないかのうちに、魔素が枯渇すると廻りだすゼンマイ仕掛けが電気回路を繋いだ。ブンという音とともに電灯がともり、ワイズマン家のすべての部屋が眩しいほど明るくなる。

「これがあんたの言う『科学』っていうやつか、悪くない」

 ガストンが言う。その途端に魔王が火矢を放ってきた。火矢はワイズマン家の一角に突き刺さり盛大な炎をあげた。

「そうでもねえか。これじゃ、いいまとだ」

 訂正して、ガストンは窓の傍を離れる。

 両開きの扉がメイドによって開けられ、中から豪華なドレスを纏ったオリヴィアが出てきた。

「良いのです。街が助かれば」

 そう言う彼女の後には赤く目を光らせたゴーレムが控えている。

「あっ、それも動くんですね!」

 ソフィアが驚きの声をあげる。

「今日は魔王をこの令嬢の姿で迎えます。細工は流々。白衣の女科学者としての準備は終わっておりますから」

 大きな扇で口もとを隠すしぐさをしながらオリヴィアは言った。いま、魔王と科学の戦いが始まる。

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