命乞いの報酬

「まず、お前らにかせをかけよう。歩くには不自由しない類の枷だ」

 言うが早いかイブリータは魔法を使い、全員の首に黒いチョーカーを取り付けた。赤い宝石がついており、なかで真っ赤な炎が蠢いている。

「その炎は私の生命の一部でな。どこにいても居場所を知ることができる。声は聞こえぬし景色までは見えぬが、ひとつだけとっておきの魔法がかけてある。無理に外そうと首輪が締まるのだ。ゆっくりとくびり殺された死体というのはそれはそれは醜いものだ。苦しみぬいた様が顔に記録されておってな」

 言った後で、イブリータは縊死体いしたいの顔の真似をしてみせる。眉間に深く刻まれた皺、見開かれた目。口から溢れ出て長く垂れ下がった舌。魔族ゆえの長すぎるそれは肩甲骨にまで達していた。

「この枷は死の恐怖でお前たちを従わせる。任務を果たさねば枷は外れない。その任務とは王都へ行き、これからお前らに託す書状を王へ手渡すことだ」

 気がつけば、もうイブリータの姿は幼女ではなく少女と呼べるほどに成長していた。言葉のたどたどしさもすっかりなくなっている。この女魔王の成長は異常に速かった。脈々として続く魔王の記憶が蘇り、文字など習わずとも書ける。

 皆の前で女魔王はナイフを取り出し、その後で書きつけるものを用意した。先程、首から上を失った死体が自ら身体を動かし、イブリータの前に肉の丘を作る。呼吸のように自然な死霊魔術ネクロマンシー。詠唱ひとつ必要としない。死体のいちばん上には最も白い肌をした神官系の魔法使いが選ばれていた。その背中にイブリータはナイフで文字を書きつける。魔族の文字だが、王宮にいる語学の専門職ならば読んだ瞬間に意味が分かるだろう。

「『私が復活した祝いに、この国を差し出せ』と書いた。わかりやすい宣戦布告だろう」

 イブリータが告げる。内容を言わずにはいられなかった。こんな面白いことを黙っていられるはずがない。もうひとつ別の内容も書いたのだが、それは黙っておくことにした。黙っていたほうが面白いこともあるのだ。

 女魔王はナイフで死体の背中の革を剥ぎ、器用に削いで紙のように薄くすると簡易な人皮紙ができあがった。それをスケルトンにわたす。

 スケルトンは書き上がった書をガストンへと運んだ。骸骨の眼窩からの視線とガストンのそれが衝突する。スケルトンが書を差し出した瞬間、ガストンは敵の身体に触らぬように慎重に、しかし、槍を突いて引く時の速さでそれを受け取った。

「老人よ、お前は知恵がありそうじゃ。我が書を託すにふさわしいとみた」

 イブリータが目を細めて言う。

「はあ、お褒めにあずかり光栄でございます。必ずや伝令の使命を成し遂げてごらんにいれます」

 ガストンは答える。王都までの道のりは遠く、転移魔法を阻む関所の数も多い。言ってる先からできるのか不安になるガストンだったが、そう言うしかない状況だった。

「感心だな。しかし、知恵のある者は何を思いつくか分からぬ。用心が必要とも思う。ゆえに、お前の大切なものを人質にとる」

 イブリータの言葉を聞いたガストンの肩が一瞬、震えた。

 魔王は生き残った者たちを眺めまわす。先が鋭く尖り、ルビーの色をした爪が示した先にいるのは、半ば泥色に染まったガウンを身に付けたソフィアであった。

「お前はその女のことしか気にかけていなかった。ゆえにこの女を預かる」

「おっと、それだけはやめて、やめてください。お願いです。そんなことなら、この老人を人質にしてくださいませ!!」

 ガストンの声はしだいに大きくなった。その声を無視してスケルトンがソフィアに歩み寄る。跪いていた彼女が顔をあげた。目は大きく見開かれているが、恐怖で瞳孔は締まっている。何か行動したかったが、彼女の身体は動かない。近づいてくる骸骨は死そのものである。

 そして、死を前にして彼女の身体は動物的な反応を起こしただけだった。尿失禁である。泥にまみれた白いガウンに新しい色が加わった。

「ひぃぃぃぃぃ…」

 ソフィアは小さな悲鳴をあげ、をくいしばって恥辱に耐えるぐらいしかできなかった。

「その娘は箱入りだ。骸骨野郎になんか触らせるんじゃねえ!」

 怒鳴った後で「しまった」とガストンは歯噛みするが、もう後の祭りだ。もともと辛抱強い性分ではない。

「それほど大事か。いいな。やはりこの娘で正解だった」

 イブリータはニタリと笑う。

「ああ、その通りさ」

 もうガストンは憤りを隠さない。

 イブリータはそのことにも満足していた。感情を顕にする者は御しやすい。頭に血が昇った老人に揺さぶりをかけてみたい誘惑にもかられた。

「食い物やら水やらを置いていってはどうか。ここは訪ねる者もいない墓地。供え物ひとつもない。お前らが残していったものがあるうちだけ、この娘が生命永らえることができる。私が手を下さずとも人は死ぬ。簡単にな。せいぜい気をつけることだ」

「転移魔法を使えるようにしてくれねえか。町に戻るまででいい。歩いて帰ったんじゃ、時間と食い物の無駄だ」

 何もしていないのに額から汗を垂らしてガストンが言う。緊張が老人の代謝を狂わせていた。

 そんなガストンの反応をイブリータは面白がっていた。老獪な冒険者が取り乱す様を。こうでなくてはならぬと。

「よかろう。光より速く帰るがいい。ただし、以降、転移魔法は使わせない。ゲートは閉じておくし、こじ開けようとする者には先般の魔法使いのように死ぬ。奇襲されたくないのでな」

 言いながらも、この老人が舞い戻ることはないだろうなとイブリータは思う。

「そうかい。帰りはせいぜい急がせてもらう」

 ガストンはそう言った後、すぐにアレックスに声をかけようとしてやめた。元パーティーのじじいから言うよりも、もっと強いルートがあるのを思い出したからだ。

「クラリス、あんたの部下の生命の危機だぜ。ギルドの名前でアレックスに頼んでくれ。食いもんと水を全部置いてってくれって。帰りの転送魔法なら、俺が使い捨てのやつを持ってる。これぐらいの人数なら全員が町まで帰れるから」

 ガストンは腰につけていた革袋から複雑な形をした銀色の石を取り出した。それこそは転送石トランストン。転送魔法の詠唱を封じ込めた魔石である。

 パーティーの面々から生きるために必要な物資が差し出され、ソフィアの前に置かれた。必要最小限の分量を小さな革袋に入れていくと3つできた。どんなにがんばっても3日間しか生きられない。

 ガストンが3日で戻れる保証はなかった。まだ年若いとはいえ、ソフィアもそのことには気づいている。もう、これが今生の別れかもしれないと思いながら、発動をはじめた転送魔法陣のなかのみんなに手を振る。

 それまで渋面だったガストンが急に笑顔を作って言う。

「ソフィア、そう辛気臭い顔すんな。すぐに戻る」

 転送が終わり、転送魔法陣が消えると、あとには女魔王とスケルトン、そしてうら若き乙女が一人残された。

 イブリータがソフィアに近づく。

「娘、これからの3日間、せいぜい楽しもうではないか。手始めに服を脱げ」

 一瞬の後、ソフィアの絹を割くような悲鳴が墓地に響き渡った。


 一方、何も知らぬガストンは、町に帰るとすぐにクラリスに早馬を用意させ旅の道具をしつらえた。

 次の日の未明、ガストンを乗せた栗毛馬は王都へ向かう街道を駆け始めた。ガストンの居場所は首につけられた黒いチョーカーのせいで魔王に逐一知られている。ソフィアの生命が保つのはあと2日。ガストンは逸る心から馬の尻にもう一度、鞭を当てた。

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