第2話 パフューム




「ホテル・エルリア」。



帝国の名をそのまま冠したここは、各国から訪れる王族も宿泊に利用するなど、歴史ある高級ホテルだ。

上層階は宿泊階になっていて、帝都が一望できると人気で、中層階は高級レストランやバー、クラブなどが入り、低層階のホールは国同士の議会、権威ある学会の場など様々な用途に使用される。

今夜ここでは、帝国軍トップと警察トップとの定例会合が開かれた。いつも通りの形式的な報告が終わり、場所は変わってホテル内の高級クラブ。

クラブ内は壁やテーブル、ソファにいたるまで艶のある黒で統一されている。ピアノの生演奏が流れ、訪れた客たちはテーブルで酒を飲み、女性との会話を楽しんでいるようだ。


その喧騒から隔絶されたような店内の一番奥の席に、一人でソファに腰掛ける男がいた。彫りの深い顔立ちに灰色の瞳、黒と鳶色の混ざった髪を横分けにし、紳士然としたダブルのスーツ姿。

その容姿からは想像もつかないだろうが、この男はエルリア帝国軍の総帥、マクシミリアン。彼はまだ四十代半ばだが、若くして帝国軍のトップまで上り詰めた男だ。

マクシミリアンは目を通し終わった書類をテーブルに軽く放った。


「警察の報告によると、年々帝都の犯罪件数が減ってきているようだ。お前の働きのお陰かな?ヤマト。」


グラス内の酒を煽りながら、ソファの後ろに立つ軍服姿の男を振り返る。


「……勿体ないお言葉です。」


ヤマトと呼ばれた男は、その言葉とは裏腹に表情が無かった。

眼鏡の奥の神経質そうな瞳は、護衛のため周囲に目を配っている。


「そう謙遜するな。ゆくゆくは次期総帥と名高いお前が。」


「私はそう言った地位にはあまり興味がないもので。私の仕事は、帝都の治安維持です。」


「ふふっ。お前は昔からそうだな。」


マクシミリアンが何気なく煙草を咥えると、横に腰掛けてきた女がすっと火をつけてきた。


「お久しぶりね、総帥。」

「エリザじゃないか。驚いたな。」


肩までのウェーブがかった黒髪の、30代半ばくらいの女が艶やかに微笑む。

このクラブの従業員だろうか。

煌びやかな黒いドレスに身を包んでいた。


「君は相変わらず綺麗だな。」


「あら?総帥はそんなお世辞を言える方だったかしら?」


「ふふっ。いや、本心で言ってるつもりだけどね。」


そんなような話をした後、エリザはヤマトに視線を向けた。


「こちらの方は?あなたの部下?」


「あぁ。ヤマト、こちらはエリザ。私の古い知人なんだ。」


ヤマトは社交辞令的に頭を下げたが、どうせ愛人の内の1人か何かだろうと感じていた。

彼とは付き合いが長いが、この手の話題には事欠かない男だ。

真偽の程は定かではないが、彼は結婚歴はないにも関わらず、別々の女性3人との間に子供がいると噂で聞いた時、別に驚きもしなかったくらいだ。

エリザはヤマトを上から下に眺めるようにした後、目を細めた。



「いい男ね。ねぇ、貴方。女を買ってみない?」



唐突なその言葉に、ヤマトがあからさまに不快な顔をすると、マクシミリアンは苦笑いした。


「そう睨むな、ヤマト。エリザは娼館の女主人なんだ。」


「生憎ですが、私は女を買うつもりはありません。」


「どうしてだ?軍人が女性の1人や2人囲うなんて、珍しいことじゃないだろう。」


それは貴方だけでしょう、という言葉をヤマトは飲み込む。



「最近入ったいい子がいるのよ。気に入ってくれると思うけど?アヤメ、こっちにいらっしゃい。」



そう呼ばれてやってきた女を見てヤマトは目を見張った。



雪のような白い肌によく映える赤いドレスと、赤いルージュで彩られた口元。

そして、何よりも印象的だったのが、血のように赤い瞳。



あの女だ。



いつだったか、夜の街で追われていた赤い瞳の女。



女もこちらに気づいたようで、気まずいのか視線を逸らした。



そんなことを知る由も無いマクシミリアンなんかは、興味深そうにして脚を組み直す。


「ほう……。これはこれは美しいお嬢さんだ。私がお相手してもらいたいくらいだね。」


「どうせなら若い男の方がいいわよね?ねぇ、アヤメ?」


そう同意を求められても、アヤメと呼ばれた女は無言で視線を逸らしたままだった。


「ふふっ、言われてしまったね。だがまぁ、それもそうだ。ヤマト。今日はもう下がっていいぞ。」


「ですが……」とヤマトが食い下がるも、それ以上言うなとばかりに、マクシミリアンは手を挙げて制する。


「エリザと会うのは久しぶりなんだ。男と女の話を聞くなんて野暮な真似、お前としても、したくないだろ?」



最早、何を言っても無駄だろう。



エリザはヤマトに部屋の鍵を手渡すと微笑んだ。

その笑顔は誰に、どう言う意図で向けられたものなのか分からない。

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