黒猫姫の御世話係
七野りく
プロローグ
冬の週末のある朝。
僕は御屋敷のベッドで目を覚ました。
今日は月に四度あるお休み。少々、遅く起きても大丈夫――なんだけど。
「…………またか」
僕の身体を抱き人形にしている細い腕。
夢でも見ているのか、幸せそうな笑みを浮かべている。
どうにか、抜け出そうとするもむずがり、寝ながらにして拒絶の意思表明。
この状態の少女を引き離すと碌なことにはならない。伊達に十年以上、御世話係を務めているわけではないのだ。嘆息する。
「はぁ……鍵、かけておいたんだけどなぁ……」
どうやら、この御姫様には通用しなかったらしい。
流石は、猫族史上屈指の才媛。
初代以来の『黒猫姫』称号を得ているだけのことはある。
取りあえず……どうしようかな?
きっと、もう少し経ったら、今日の御姫様当番の人が気付いて、御屋敷内は騒がしくなるだろう。
で、真っ先に僕が疑われる。そして……再度、隣ですやすや寝ている少女を見る。
朝日に煌めく黒髪と可愛らしい獣耳。幼さと高貴さが入り混じった寝顔。大人の女性になりつつある柔らかい肢体。
あの小さな子猫姫がなぁ……いやでもまぁ、今もまだまだチビッ子には違いないけど。
そっと、手を伸ばし――引く。いけないいけない。
小さな頃はいざ知らず、姫様だってそろそろお年頃。
いい加減、毎朝、僕のベッドに忍び込む癖は改めさせないと!
僕が決意を固めていると、右手を掴まれた。そのまま、頭の上へ。
「!」
「おはよう、ポロ。さ、撫でる」
「ひ、姫様!? 起きて?」
「……間違い」
少女は不満そうに呟くと起き上がり、僕の上に馬なりになった。
あ、寝癖。
「二人きりの時は、名前で呼ぶ約束」
「いや、それは姫様が小さい時の話で……そ、それに、お、女の子が、は、はしたないですよっ!」
「いや。男の人はこういうの喜ぶって、私は知ってる。勉強したから」
「べ、勉強って……」
「早く名前を呼んで。じゃないと」
「じ、じゃないと?」
ごくり、と唾をのむ。
少女の瞳が妖しく光り、頬はほんのりと赤く、黒い尻尾は揺れている。
少し恥ずかし気に目を伏せ、
「…………ポロが覚悟を決めざるをえないことを」
「フィーネ様、そろそろ退いてください。僕、起きます!」
「ちっ」
舌打ちして姫様が僕を解放してくれた。女の子、怖い……。
ベッドから降りると、当然のように姫様も起床。
僕の裾を握りしめる。
「姫様ー、離してください」
「…………」
「……フィーネ様」
「ギリギリ及第点。でも離さない。離したらポロは私を悪女に売り飛ばす。酷い。でも許しちゃう。だって、ポロだから。純粋な想いに付け込むなんて、最低。反省してほしい」
「え、えーっと……」
何処かから突っ込めば良いんだろう? 悪女ってメイド長ですよね??
取りあえず椅子に姫様を座らせ、何時もの習慣で寝癖を直し始める。
小柄な姫様だと足が地面に届かない。
機嫌良さそうに、足をブラブラさせつつ、獣耳もぴこぴこ。
「♪」と、鼻唄まで歌い始めた。どうやら、機嫌は直――突然、後ろを振り返り、腕組みをしながら、そっぽを向いた。
「こ、こんなことされても、う、嬉しくないんだからねっ!」
う~ん……やっぱり、誤魔化しきれなかったかぁ。
でも、一理ある。
まだまだ幼いとはいえ、女の子。
しかも連邦内でも、間違いなく貴種に属するフィオジア家の御姫様なのだ。幾ら小さい頃からの御世話係とはいえ、いい加減、潮時だろう。
ブラシの手を止める。
「そう……ですよね。なら、明日以降は、他の子に代わってもらいます!」
「!!!!! う、嘘。今のは嘘。代わっちゃダメ。絶対、ダメ。……お、おかしい。こ、こんな筈じゃ」
「?」
「い、いいから。私の御世話をするのは、ポロだけでいい。それは昔も今も未来も変わらない」
「ん~」
「……そこは喜んで、涙で咽ぶべき場面」
「いやぁ。そう言っていただけるのは有難いんですが……フィーネ様もお年頃ですし、男の世話係が付くのはどうかなって思うんですよ。あと、僕も今年で二十七ですから! 一人息子ですし、そろそろお嫁さんを」
「必要ない」
「…………いや、あのですね」
「必要、ない」
瞳に光がない。凄まじい圧力。思わず、背筋が震える。
早口で姫様が捲し立てる。
「ポロは私の世話係。嫁は必要ない。第一、こんな可愛い私を毎朝晩、ベッドに連れ込んでいることを知らない人間はこの屋敷内にいない。結果、ポロ=私みたいな子が好みになっている。積み上げた実績の壁は偉大。諦めた方がいい」
「!?!! そ、そんな!?」
「貴方は私の罠に落ちている。脱出は不可能。諦めて世話係を全うすべき。……もしくは――……」
「? 姫様??」
少女は俯き、口を閉ざした。
首筋が真っ赤に染まり、両頬に手を置き、首をぶんぶん。獣耳と尻尾の動きも忙しい。
昔から、時折、こうなるんだよなぁ。寝癖直しを再開。
――髪を直し終えると、頬を膨らまし、僕へ抗議。
「…………ポロはやっぱり酷いと思う。極悪」
「? 何がですか? さ、フィーネ様の部屋へ戻りましょう。着替えをしないと」「ポロが着替えさせてくれるなら、許す」
「ダメです」
「……ケチ。バカ。鈍感。かぷ」
姫様が僕へ文句を言いながら、右手を甘噛みしてきた。
小さい頃は、加減をしてくれないもんだから、結構痛かったんだよなぁ……懐かしい。
無意識に頭に手がいき、なでなで。
「――むふぅ」
「痛っ! ひ、姫様、痛い、痛いですっ!! 歯が刺さってる、刺さってますっ!!」
「ポロの血、おいひぃ」
「それ、違う種族ですからねっ!?」
まぁ、こんな毎朝です。
――これは獣人の国で、ひょんなことから子猫の世話係になった僕と、十年が経ち『黒猫姫』になった子猫の何でもない日常のお話。
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