第3章 淘汰(ベル・ゴ)終


むくろの荒野 北西部某所

甲翅族中央集落 広場



『おお、ファラよ。私の娘よ』


 初めてがそう言ったのは、いつのことだっただろうか。

 少なくとも、それまでのファラの記憶には、彼が自分を自らの娘であると、名をファラであると、わざわざ呼んだことはなかった。

 薄暗い塒の中で、ファラは天の孔を仰いだ。光のために縦に掘られた岩盤は、古びて欠けた硝子の板で綺麗に密封されている。いつだったか、ファラは誰かに、それがいわゆる亡国の遺物であると聞いていた。王たるナ氏がひとつの国を持っていた頃、精錬された名残であると。


(ああ)


 そうだ。

 それを語ったは確かに、私の母であったのだ。


 甲翅の民に生まれる赤子は、人のカタチと知性を持たない。一抱えもある卵から生まれたそれは、一定の期間をおいて、成体おとなと同じ形質を持つ蛹へと姿を変える。

 彼らが真にゴ族となるには、蛹よりで、二度目の生をその身に受けなければならない。


 だからこそ、ファラは自分の出自を知らない。

 すべてのゴ族が、己の親を知らずに育ってしまうのだ。

 蛹より出で、成体としてのカタチを持った彼女はすぐ、己が異質であると悟った。

 頭を覆うは、緑がちな虹色の髪。

 背負うのは、七色に輝く蛋白石オパールのごとき甲翅で。

 華やかさとはほど遠い形質を持つゴ族の中では、いっとう浮いた存在であると。

 集落には、同じ形質を持つおんながいた。彼女は私をファラと名付けて、言葉と知識を授けにかかった。

 手足も細く、甲翅もさほど堅くない。

 戦場では輜重にもなれないふたりに、けれども甲翅に属する民は、干渉を避け続けていた。

 今にして思えば、当然のことだと思う。

 ふたりが甲翅の民を統べるもの――ベル・ゴの係累ともなれば、腫れ物を扱うようにもなるだろう。


 ベル・ゴ。

 二度目の生を受けてすぐ、先代より神器を奪った簒奪者。

 連綿と続く甲翅の中でも、最も武勇に優れたおとこ

 彼の怒りを買おうとは、誰も思うはずがないのだ。


 はじめ、ファラは彼を父だと思っていなかった。

 ただ、自分に教えを授ける雌に、付き従う雄であると。

 だから、ファラは驚いたのだ。

 そうした雄が、突如自分を娘と呼んだその時は。

 だからこそ、受け入れる時期を逸してしまった。

――ははが姿を見せなくなってしまったことを。


 ちりちりと、小鳥の歌う声がする。

 父として塒を共にする彼は、既に外へと繰り出していた。

 背後を見やる。古びた硝子の水差しが、清水を湛えて佇んでいる。……きっと、彼が朝露を汲んできたのだ。


「はたらきもの」


 苦笑した。

 父だと名乗ってみせるなら、家事のひとつやふたつくらい、娘に任せてくれればいいのに。

 私はとっくに成体おとななんだし、と零す。

 行き先は分かっている。

 塒の裏にあつらえられた、練兵場だ。

 散逸した戦士達は既にその過半が戻り、再編された軍勢は、先のラナンとの会戦時にも劣らぬ意気をみせていた。今頃は、単対多の研鑽を積むべく、彼自らが軍勢とを交えているのだろう。

 武を誉れとする甲翅の民は、かつて王たるナ氏が起こした国で、軍事を担っていたという。強固な殻を備えた甲翅の民達は、こと国土を守る戦において、無類の強さを発揮したのだ、と。

 だが実は、単身あたりの攻撃力は高くない。

 守ることに特化した彼らの体躯の構造は、敵を傷つけ、殺める力に欠けていた。攻める力で言うならば、《祈り手》たるラ氏のほうがよほど優れているだろう。

 甲虫に、鋏も毒尾もありはしない。

 だからこそ、甲翅の民の戦術は、数で圧倒することにその重点を置いていた。

 神器を持たぬ民達に、神器を持つラ氏の頭を討つことは期待できない。

 だが、彼女を身を挺して留め置くことならできる。

 熱砂を放つ重砲も、大きさの割には鈍い剣も、すべてはラ氏の《祈り手》を留めるために編み出されたのだ。

 塒の藁から身を起こす。彼からもらった一張羅――すり切れかけた小さなローブを身に纏い、出入り口たる横穴の脇、ほこりっぽい塒の割に整えられた鏡台を見る。


「……」


 鱗が張った銀盤に、ファラの姿が映し出される。

 



よ。――よ』


 頭の中に、穏やかに響く彼の声音がこだました。

 


 わかってる、とファラは小さく頭を振った。

 彼はきっと恐れているのだ。

 育つほどにつまに似てゆく、己が娘を。

 己が最も愛するおんなが、どちらか区別がつかなくなるのを。


「だから、願ってしまったんだよね」


 己の番が、死の国から舞い戻るのを。

 そう。

 畢竟、わたし愛されてなどいないのだ。


 神器の求める代償は、ゴ族の誰もが知っている。

 甲翅の長たる神器の主は、

 彼が戦を求める理由は、ファラだからこそ知っている。

 ベル・ゴは翼を持つ少女、クルスィと名乗る食客に唆されてしまっているのだ。


 ラ氏が奉ずる蟲神キョトー。

 かの神が――アルカナを有している、と。


 だからこそ、彼は止まることが出来ない。

 方策が見えぬものなら、それを求めて立ち止まることも許されたろう。見いだした解決策が時間を要するものならば、機を待つことも許されたろう。

 だが、その途はクルスィが断ってしまった。

 進み、そして奪うことで足りてしまうと、示したことで。


 虫の知らせ、という言葉がある。悪い未来を言い当てる、説明しがたい予感や直感を示す慣用の句だ。

〝きっと、ベル・ゴの願いは報われない〟。

 ファラは、そんな未来を予感していた。


 深呼吸。

 今は心を痛めるべき時ではなかった。


 彼はきっと、ラ族の打倒を成し遂げるだろう。あらゆる敵が、あらゆる壁が、彼によって砕かれるのだ。

 そう確信するからこそ、ファラの神呪は輝くのだから。


女教皇パペス』。

 己の信ずる対象を、信ずる限りに守護する権能。

――彼の勝利を信じる限り、絶対不壊の壁となる。

 例外は、神器の所持者の悪意だけ。


 守って、守って、勝って、奪って。

 それでも成し遂げられないことが分かれば。

 その時は。


「私が、ママになればいい」


 どろどろとした情欲が、ほんの一言口から漏れた。

 どうせ、自分は娘として愛されていない。

 ファラだって、

 歪であると笑わば笑え。

 その後に後悔しても、助けてなんてやるもんか。

 最後に勝つのは、ベル・ゴパパ以外にいないのだから。


「大丈夫」


 横穴から練兵場の彼を見る。巨大な斧持つ偉丈夫は、自身を取り巻く軍勢たちを軽々と蹴散らしていた。


「いくらでもやりようは有るよ。


 ふわりと微笑む。

 その笑みは、どこまでも無邪気で、無垢で。


 彼女はまさに――こいする乙女のかおをしていた。

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