第1章 |異言《カイト》・終
――何が起きたのか、一瞬理解が追いつかなかった。
「……う、ううん」
クラクラとする視界を深呼吸と気合いでねじ伏せ、カイトは何とか立ち上がる。
覚えているのは、甲翅族の集団に飛び込んだことと、奪い取った剣とエンジュの杖とで、限界寸前の大立周りを繰り広げたこと。……そして、体力が尽きかけて膝を付いてしまったところで、青白い光に包まれてしまったことだ。
『カイト、カイトッ』
頭の中で、エンジュの声が鳴り響く。
そうだ。まだぼーっとしていい段階じゃない。そう思って視線を上げると、そこには異様な光景が広がっていた。
「あぁ、ああぁああ……」
「眼が……」
「何も見えない、どこだ、猿はどこに」
その場にあった甲翅族の戦士たちが、一様に眼を押さえて身悶える様。
そういうことか、とカイトはすぐさま理解した。
白い光に包まれたとき、カイトはとっさに目を袖で覆い、強く瞼を閉じていた。それでしばらく目が眩むだけですんだわけだが、服らしい服を身につけず、あまつさえ瞼も持たない
十中八九、まともに光を直視して目がやられたのだ。
(今なら――)
前に進めるかもしれない。
最初に立てたずさんなプランを思い出しつつ、一歩踏み出す。
閃光のおかげで、文字通りの光明を見いだした心持ちだった。
これなら、可能かもしれない。
この軍集団の頭目に直接まみえ、己の価値を説く試みが。
だが。
『右に跳んで! ――早くッ』
エンジュの警告。
慌てて横飛びした瞬間に、ずん、と巨大な斧が大地に突き立った。
装飾過多な、悪趣味とも言えそうな黒金の斧。辛うじて
その持ち主が、常軌を逸した巨躯であることをも包含して。
恐る恐る、飛んできた方向へと視線を向ける。
「何だよ、アレ」
独り言つ。
――そこには、ひとりの巨人があった。
まず目立つのは、艶のない黄金に近い地色の、曲線的な外骨格。
歩く城壁と称しても遜色のない装甲に、天高く伸びる一本角がそびえ立つ。
両の
肩には緑の外套を羽織る、甲翅族の少女がひとり。
体格のあまりの違いに、小人でも乗っているのかと錯覚するほど。
「ふぅむ」
金の巨人が、声を漏らした。その意図は読めそうにない。
そもそもの話、甲翅族は元来、感情の読みにくい顔をしている。
兜の中に、炯々と輝くふたつの複眼。これを見て表情を読めるというなら、ソイツは岩山の機微すらも読み取れるだろう。
「隙は突いたつもりだったが」
そう言って、右手を前に差し出した。
地面に深く食い込んでいた大斧が、ふわりと浮いて巨人のもとへと飛んで行く。
間違いない。――この挙動、具象型の
当たりを付けているうちに、斧を大きく振りかぶる巨人。
「待て! 甲翅の代表者とお見受けする! 話を聞いてくれッ」
あんなもの、二度も投げられてはかなわない。
カイトは慌てて、かの巨人にも聞こえるように大きく叫んだ。
「不要」
『カイト、左ッ』
「ちっくしょう!」
弾かれるように跳躍。今度は背後すれすれに、大斧が突き立っていた。
次の言葉を投げるより早く、それは巨人のもとへと帰っていった。
「神聖なる
どこにあるんだよ、口――! などと軽口を叩く余裕などなく、カイトには光の筋を辿って走ること以外に出来ることはなかった。
「それが、ラナンの情報であってもか?」
三度目の斧を避けると同時、カイトが問うた。
だが、巨人の回答はにべもなかった。
「誇りを示せ。それより他に語る術なし」
四度目の投擲。砕けた岩が、カイトの肩にぶち当たる。
『誇りって何!? なんであいつらあんなに頑ななの?』
「たぶん、一騎打ちだ。
甲翅族は己の在り方を戦うことに傾けている。それも、仲間がやられたときにこそ戦うべきって厄介なそれだ」
かつて、ラナンは幾度も甲翅族と争っていた。その時代の研究資料が、モストーラには収蔵されていたのだ。
古ぼけた本だったから、信憑性は曖昧だけど。
……それはともかく。
「少なくとも、一発は殴らないといけないわけだ」
この場において、敗北者とはカイトのことだ。
艦隊が敗れ、逃げることすら出来ないままにこの場に至る。
だからこそ、巨人はカイトに戦うことを求めているのだ。
問答をするにふさわしい個であることを確かめるため。
「さっきのじゃ足りないってことか……?」
少なくとも、十や二十は下らない数の甲翅族を倒したはずだ。
それでもなお、この大男のいう“誇り”には足りないのかと問うてみる。
「戦は戦場でのみ決せよ」
巨人は応える。
「
「そういうことか……!」
十分に誇りを示したところで討たれて死ぬか。
今こうして、巨人に対して誇りを示すことを求められるかの違い。
……さっきの光は、つまるところ諸刃の剣だったというわけだ。
それでも、後者に転がり込んだ時点で幾分か有利になった。
本の記述を信じるのなら、誇りを示す行為には、原則、勝利自体は強制されない。
それはすなわち――巨人にひと当てさえすれば、誇りを示したことになるのだ。
「エンジュ」
『……だめ』
杖を構え直したカイトに、弱々しいエンジュの制止。
その声は、いっそ悲しくなるほどに、ひどくひどく震えていて。
目をこらす。行くべき途を探すため周囲を見るも――光の筋はどこにもなかった。
『逃げて、カイト』
「どうして」
『近づいたら、勝てない』
「勝たなくていい」
『死ぬかもしれない』
「逃げても死ぬ」
目標は、巨人に個として認められること。
それさえ達成できるなら、後はどうなっても構わない。
彼が
『……ばか』
心底悲痛な声を残して、エンジュの気配が風に紛れた。
視界の中に、幾筋もの光の筋が形成される。
そのすべてが巨人の周囲をぐるぐる回って、どこかのタイミングで杖を突き入れるというもの。……ただ、その走り始めが異なるだけだ。
顕れるのがひとつだけに定まらないのは、エンジュの警告にもあるとおり、いずれも薦めがたい道筋であるからだろう。
要するに、どう動いても死ぬ可能性が高いということだ。
違和感を覚えながらも、巨人側の様子をうかがう。
「……むぅん」
カイトが戦意を示した以上、もはや投擲は不要とでも感じたのだろう。
彼はただ、荒野の中に佇むのみだ。
確かに、違和感は残る。これまで、エンジュがこうも怯えた相手はなかった。
手の内が見えない――そういうわけでもないだろう。
彼女は明確に、かの巨人に近づくことを恐れていた。
別に、彼女に特殊な能力があるわけじゃない。少なくとも、カイトはそう信じている。あるのはただ、『道具』として知りうる知識と感覚だけ。
それが、武器としては恐ろしく広汎かつ精緻なだけで。
「エンジュ、何が怖いんだ?」
『……』
問いかけようにも、彼女は無言を貫いている。
不機嫌さは伝わってこない。
絶えず経路が変動する光の筋を吟味しながら、カイトは深く息をつく。
――純粋に、それどころではないということか。
「さて、」
行くか。
言い切らぬうちに、カイトは右から二つ目、巨人の背後へと至る道筋を選択する。
巨人の視線がこちらを向いた。てらてらとした複眼に、太陽の光がきらりと反射する。巨人の斧持つ右腕が、図体に似合わぬ速度で振り下ろされた。
「当たるかッ」
エンジュの声は期待できない。
けれど、曲がりくねった道筋が危険を十分提示していた。
切っ先すれすれを走り抜けつつ、カイトは地面に転がる剣のひとつを手に取った。
先端に重心が寄った、肉厚の曲刀だった。
「『
瞬間、再び大きく筋が組み変わる。巨人の周囲を幾度も回るコースから、鋭角に曲がりくねって、一度で懐へと入るコースに。
その意図は容易に分かる。剣を投げて意識を逸らせということだ。
そして、神呪が生きている今だけは分かる。……どう振りかぶれば、狙った場所に飛んでいくのか、その方策が。
急制動。その勢いを殺しきらずに、左脚を軸へと変えて一回転。
回転がトップスピードに至ると同時、曲刀の柄をスナップをきかせつ放す。
狙うのは、巨人の肩の甲翅族。
一見すればラナンの少女と大差ないその体格に、防御力は感じられない。そんな少女を戦場に連れてきていること自体、そもそも不自然極まりなかった。加えて、武人然とした巨人の言葉。よもや、少女を肩に乗せる趣味ではあるまい。
推測する材料は出揃っていた。
――おそらくは、少女自身に何らかの意味があるのだろうと。
ならば、そこを狙って投げるのが道理であると、そう断じたのだ。
果たして。
「ぬ、むぅん!」
巨躯の男は姿勢を変える。肩の少女を庇おうとするかのように。
己の斧で、迫り来る剣を弾き飛ばさんとするかのように。
それは、彼がラナンより関節の可動域が広いことを加味してもなお、やや無理のある重心移動で。……金色の装甲に覆われた上半身は、蹲る形になって地に着いた。
――獲った。
裂帛の気合いとともに、飛び上がる。
巨躯とはいっても、せいぜいがラナン換算二、三人分ほどの高さだ。カイトのジャンプで届かないほど大きくはない。
「喰らえぇえっ!」
狙うは後頭、最も防御が薄いであろう関節部。
槐の杖を短く持ち替え、石突を鋭く下ろす。
だが。
「――『
涼やかな声と同時に、石突の弾かれる音。
外骨格に、ではない。
それは――蛋白石色に薄く輝く、半透明な光の壁だ。
反動に押されるがまま、カイトは大地に着地する。
先ほど見た魔力の壁は、“カロン”で見た現象に酷似していた。
つまり。
「
「だいせーかい」
「……っ!」
詠唱と同じ、涼やかな声音。
高級な弦楽器を彷彿とさせるその声は、甲翅族の少女から発せられていた。
緑に近い虹色の髪。ラナンにも似た造形の顔に、それでも蟲とありありと分かる複眼が輝いている。……そんな彼女が、無邪気な笑い声を上げていたのだ。
ゆっくりと、姿勢を戻した巨躯の蟲人。
少女が話し始めたためか、すぐには動き出そうとしない。
すごいなぁ、と少女は続けた。
「パパと戦ってる中で、私に狙いを定めるなんて」
言葉の意味を図りかね、カイトは黙す。
「でも残念。……最後まで、おにーさんは私を狙うべきだったんだよ」
だから、上手くいかなかったの、と、少女はくるりと踊ってみせる。
玉虫色の甲翅が、簡素なローブに見え隠れした。
「ファラ。私の娘よ」
金の巨人が、声を発した。……おそらくは、肩で踊る少女に向けて。
ファラと呼ばれた少女ははたと動きを止めて、男の顔へと視線を向けた。
「お前は此奴を求めるか?」
「ん、いらない。……面白いけど、それだけだもん」
端的な応酬。
だが、今この瞬間に生存の望みが潰えたことを、カイトは瞬時に理解した。
『逃げてッ』
エンジュの悲鳴が脳に響いた。言われずともと、カイトは踵を素早く返す。
「だめだよ」
刹那、再びの涼やかな声。同時、カイトの眼前に不可視の壁が形成される。
全速力での衝突。当然姿勢を維持できず、カイトは尻餅をついてしまった。
「おにーさんは賢いから。この場から逃げると、パパが危ない」
(まずい)
とっさの判断で、地面を横に転がるカイト。
背後に感じた衝撃で、その判断が正しかったことを確信する。
『立って、カイト!』
「分かってる!」
やけくそ気味に立ち上がり、手近な剣を今一度手に。
投擲。
一度目は“誇り”とやらを示すため。
今度は純粋に生き延びるため、少女へと刃を飛ばした。
けれど、それは彼女に届かない。
「二度はない」
残酷な言葉とともに、巨人が斧を振り下ろす。
斜めに回転していた剣が、虹色の光とともに両断された。
甲翅族が戦で用いる、強靱な刃が、あっさりと。
巨人の振るうあの斧は、おそらくそういうアルカナなのだ。
今更ながらに、エンジュの酷く怯えた声を思い出す。
武器としてそう感じたからこそ、ああまで近づくことを厭ったのだ。
で、あるなら。……カイトの杖で受け止めることは不可能だろう。
ファラのアルカナによって離脱が封じられた以上、それはじり貧であることを端的に指し示していた。
「誇れ、ラナンよ」
巨人が語る。
「
嬉しくもない言祝ぎを、一方的に。
「せめて、」
轟、と、一陣の風。
――気づけば、至近に巨人が立っていた。
「苦しまず逝け」
横薙ぎに、一閃。
華美な斧の切っ先が、左方からいやにゆっくり近づいてくる。
どうしようもない状態の中、意識だけが加速しているような感覚。
もう、だめだ――そう思った刹那。
とん、と、胸を誰かに強く押された感触がした。
(……?)
何事かと視線を向けると、胸元に生成りのドレスを纏う少女が立っていた。
拒まれでもしたかのように、杖からカイトの両手が離れていった。
どこか寂しげな、それでいて満足そうなエンジュの微笑み。
じゃあね、と、彼女の口が動いた気がした。
次の、瞬間。
「……っ、は」
減速していた世界が再び加速する。
自分は後ろに強く吹き飛ばされて、その場に残った杖へと向けて、巨人の斧が食い込んだ。
エンジュの宿ったその杖は、獣人族の攻撃を耐え抜く程度に頑丈だ。なまくらと打ち合った程度で傷つくようなものではなかった。
だが、今度の相手は具象アルカナ。それも、おそらくは武器の破壊に特化した。
みるみるうちに刃が深く沈み込み、杖は両断されてしまった。
救いがあるとすれば、先の剣よりはあっさりと行かなかったことくらいだろう。
周囲に響いた高い音色が、彼女最後の抵抗、その証だった。
杖と同時に、顕現していたエンジュの姿も両断される。
当然だ。
杖は全損。――すなわち、エンジュ自身も同様に全損したのだ。
ほろほろと、ほろほろと。
まるで花弁のような欠片となって、エンジュが風へとほどけていった。
仕損じたか、と、巨人が零す声がした。
「汝の
言葉を返す余裕もない。相手がカイトの神呪を具象だと勘違いしたことが認識できても、訂正する気力が起きない。……相棒が自分を護って散る様を見て、なお正常に応対できる精神力を、カイトは持っていなかったのだ。
ただ、真っ二つにされた杖へと近づいて、残骸をかき抱くのみで。
「
今一度、斧を振り上げる音。
天高く振り上げられた切っ先が、逆光の中に耀いた。
カイトはそれを、ただ見上げることしかできない。
「介錯仕る」
いよいよ、それが振り下ろされるとき。
――カイトの視界に、何かの影が飛び込んだ。
「う、わっ」
金属同士のぶつかる異音。
次いで襲った衝撃波と、通常では考えられないほどの烈風。
状況の激変に辛抱たまらず、カイトは思わず顔を背けた。
「はぁ、はあ……ッ」
わずかに高いところから、誰かの息づかいが聞こえる。
「良かった。間に合った、間に合いました」
甲高いファラの声音と比べると、幾分か柔らかなそれ。
明らかにカイトの側で聞こえたそれに、彼はおもむろに視線を向けた。
「無事ですか、ラナンのお方」
一番初めに目についたのは、黒銀の脚。
ごつごつと複雑に絡み合った外骨格が形成する、蜘蛛や蟹にも似た多脚。そのうち二本は、重厚な
次に見たのは、互い違いに折り重なった鎧のような外骨格。
装甲に護られた筒状の体躯の先には、騎士兜のような毒尾が長く伸びている。
総じて、その姿を評価するなら。それは――巨大な蠍に他ならなかった。
けれど、声がするのはそこではなく。そのさらにもう少し上。
蠍の身体にほっそり伸びた、上半身から聞こえていたのだ。
「良かった。ご無事そうですね」
驚くカイトの顔を見て、彼女はうっすら微笑んだ。
緩く巻かれた赤髪に、仰ぎ見る空より澄んだ
肌は白く、およそ蟲人族とは思えない瑞々しさを備えていて。
くすんだ銀の鎧を見るに、その下には人間らしい曲線がにじみ出ていて。
……そう。
ラナンのそれと殆ど変わらぬ姿の少女が、カイトのことを庇っていたのだ。
◆
遠く、遠く。
数えるのも無粋なほどに、遠い未来に残る叙事詩に。
かつて“神”へと抗い続けて、人の世を護ったものが描かれていた。
記述に上る“英雄”たちは数あれど、誰もが知りうる“英雄”といえばただふたり。
“聖王カイト”と“蠍の魔女”だ。
“神”との長い歴史の中で、最後まで舞台に残り続ける“聖王”と“魔女”。
彼らはともに盟友であり、伴侶であり、好敵手であり。
そして同時に、不倶戴天の敵でもあった。
そう。
これは、この物語は。
いずれ“聖王”となる少年カイトと――“蠍の魔女”の名前を冠した少女が過ごした、長い長い旅路の始終、その記録の断片である。
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