第1章 |異言《カイト》⑨

同時刻

むくろの荒野” 北西部

某所 天幕内


「――先鋒が、消えた?」


 暗がりの中で、おとこは静かに問い返す。

 きちきちと、外骨格の関節が苛立たしげに軋みを上げる。

 は、と眼前の砂地の上で、恐怖に震える声がした。


「物見曰く、『ラナンの蜘蛛が嵐を起こした』と」

「それで」


 きちきち、きちきち。

 手足と首のそこかしこから軋みを上げつつ、おとこは問うた。

 彼にとって、最も初めに問うべきことを。


「お前は誇りを果たしたか?」

「……ッ」


 誇りとは反撃である。仲間の死を深く悼み、彼らの無念を弔うため、勝てずとも、一合だけでも矛を交える。そのひと当てを行ったのかと彼は問う。

 返答は、無言。

 睥睨する。

 彼の目に瞳孔はない。

 兜のような造形の顔に、複眼がてらてらと光を写しているに過ぎない。その表面に、微動だにせぬ甲翅の民たちが映る。

 恐れながら、と目の前のおとこは応えた。


「先鋒をすべて潰したあの神呪に、単身で勝つこと能わず。報せを以てその誇りを果たさんと――」

「よい」


 ぐしゃり。

 彼の興ざめした声と、眼前のおとこが彼に踏み潰されたのは、ほぼ同時。


「誇りすら果たせぬ者に、甲翅を背負う資格なし」


 きちり、きちきち。

 その場で動く者はない。ただひとり、今まさに震える雄を潰した彼を除いては。


「我が見る」


 ざわり、と天幕内が色めき立った。


「誇りを果たせぬ者がいた咎、我が背負おう」

「……素直に言えばいいのに」


 ふと、彼の肩から声がする。


「強い奴がいるなら、一度手合わせしてみたいって」

 

 声の主は、虹に輝く髪持つおんな

 誰もが色めき立つ中で、上質な絹を纏ったその雌だけは、無邪気な笑みを湛えて揺れる。他ならぬ、雄の肩に腰掛けたまま。

 ある意味では生意気なその言動に――彼はただ、鼻を鳴らした。

 

「お前も来い」

「うん、もちろん」


 雄の言葉に、彼女はにっこり微笑んだ。


「――は、誰にも負けないんだもん」



                  ◆

 


一方

の荒野” 北西部

図書運搬車『モストーラ』内



 満身創痍。

 モストーラの現在をたとえるならば、それが一番的確だろう。

 カイトの視界の中でさえ、足はおかしな方向に折れ、身体には無数の傷が刻まれている。神呪アルカナが解除されていないのは、ひとえに彼女のプライドによるものだろう。

 その役目を終えるときまで、道具であり続けようとする――深いところで接続されたカイトには、その執念が痛いほどに伝わってきた。

 既に、それが限界に達しているということも。


「ありがとう。……もう、大丈夫だから」


 カイトがつぶやく。すると、開けた世界が急速にその彩度を失っていく。やがてモノトーンに変じた視界は、灰が風に吹かれるように、もとの景色へ切り替わる。

 モストーラが事切れたのだ。

 修理でも行わなければ、車としては動けない。


「う、ぐ」


 同時、前頭葉に鋭い頭痛。あーあー、とエンジュがぼやいた。


『無茶しすぎ。……しばらく、あんな大きいのと繋いだりしちゃ駄目だからね?』

「ああ、そう、する」


 鋭い痛みは一転、脳みそが沸騰するかのような鈍痛に変わり。そのあまりの不快感に、カイトは操舵席を離れて、ひび割れた床に突っ伏した。

 深い嘔吐えずきを覚えながら、今日はまだ食事をしていなかったと思い出す。幸い、世話になった愛車モストーラを早速汚すことは免れたようだ。

 おぉい、と少しくぐもった声。


「カイト、生きてるかー?」

「なんとか……っ」


 がん、と強く戸を叩く音。

 それはもはや叩くというより壊す行為に近かったが、事実それは正しい判断だったとカイトは思う。頭痛があまりに酷すぎて、彼ひとりでは外に出ることすら、今はまったく困難だった。

 しばらくして、蝶番がはじけ飛ぶ音。


「ズタボロじゃねぇか」

「久しぶりに、神呪を全力で回したからね」

「動けるのか」

「五分、くれれば」


 カイトの言葉に、深くため息をつくグレン。


「仕方ねぇ。……テマ嬢は?」

「そこでぐっすり」

「怪我がないなら良い」

 

 テマのベルトを解きほぐしながら、グレンが続ける。


「こっちに来るまでに、車の様子を見てきた」

「だいぶ、傷んでたでしょ」


 神呪で見た大蜘蛛の怪我を思い出す。

 あの姿からすると、少なくとも肢には大きな損傷があるはずだ。

 カイトの予想通り、ああ、とグレンは首肯した。


「特に肢が酷い。……たぶん、もう長くは走れない」

「無茶させたもんなあ」


 だんだんと、吐き気と頭痛が治まってくる。

 おもむろに、胸元の陶板に触れてみた。

 感じられるのは、いつもと同じ魔力の奔流。

 無茶はできずとも、多少は動ける――そんな程度だろう。


「グレン、神呪はあとどのくらい使える?」

「さっきので素寒貧だ。もう筋肉しかないぞ」

「そっか」


 残念、とカイトは返す。

 もしもグレンに余裕があれば、肢への負担を減らしてもらう魂胆だった。そうすれば、あともう少しくらいなら動けるかもと、儚い希望を見ていたからだ。

 む、とグレンが採光窓の方を見やった。


「何か来る。この音……小型艇だ!」

「逃げ切ったんだ!」


 耳を澄ますと、どっどっどっと規則的に地を蹴る音が聞こえる。

 確かにコレは、甲翅族が出すような足音じゃない。身を起こして窓を覗くと、後方からぐんぐんと近づいてくる小型艇の姿が見えた。

 岩を飛び越え、砂が消えてできた窪地を器用に走り。他の何物にも目もくれず、小型艇はモストーラへと接近した。

 二、三度大きく跳ねながら、制動。ピタリと真横に取り付いた小型艇のハッチから、ひとりの青年が疲れた顔を覗かせた。


「“プシュパカ”所属のトリスだ! 生きているクルーは返事をしてくれっ」

「俺は“カロン”所属のグレン・クライン! こっちは三名生きている!」

「三名だって!?」

「どうした、何かあったか?」


 グレンと小型艇――トリスとのやりとり。

 嫌な予感を覚えて、カイトは思わず杖を強く握りしめた。


「……すまない」


 至極申し訳なさそうに、トリスが続ける。


「ギリギリまで設備を捨てても、あと二人しか乗れそうにない」

「そうか」


 声色だけは落ち着いたまま、グレンが答える。

 遙か遠くで、微かな地鳴りを感じ始めた。

 甲翅族の後続部隊が、迫っているのだ。


「カイト――」

「僕が残ろう」


 先んじて、カイトが遮る。


「宿場までそう遠くない。書庫を捨てれば、まだ走れる」

「バカ言うな、テマ嬢はどうする気だ!」

「これ以上、けが人をここに乗せる訳にはいかない」


 違う、と言いかけるグレン。けれど、カイトは杖の先をグレンに向けて黙らせた。

 言いたいことは十分分かる。

 許婚を失ったグレンのことだ。テマもそうなることを恐れたのだろう。


「大丈夫、ウェイトがなければ、モストーラだって馬力は大きい。落伍はしない」


 それに、と続けた。……絶対に、グレンが断れないように。


「一度死のうとした奴を、一人に出来るわけがないだろ?」


 グレンが歯噛みする気配。やや逡巡して、畜生、と呻く声が聞こえた。


「絶対、死ぬんじゃねぇぞ」

「もちろん。でも、もしもの時はテマをお願い」

「約束はしない――死ぬ気で生きろ」


 まあ、及第点か。心の中で苦笑して、カイトは採光窓を離れる。

 操舵席のコンソールから、いくつかのスイッチを押す。後方で鈍い音がして、ずしんと鈍く、何かが落ちる音がした。

 カイトの夢は一旦終わり。

 それを再び取り戻せるかは、ひとえに彼の努力に任されていた。

 床板が重く軋む音。振り返ると、テマを抱えたグレンがそこに立っていた。


「じゃあ、よろしくね」

「……ああ」


 あえて気軽に、カイトは告げる。

 グレンの返事は、対照的に苦しげだった。

 そして、グレンが操舵室を去って数分。

 隣にあった小型艇が、鋭く大地を蹴る音がした。


『良かったの、カイト?』


 姿を見せたエンジュが問うた。

 操舵席に座るカイトは微笑んでいる。

 彼が舵輪を握る気配は、


『グレンにあんな嘘ついて』

「そうでもしなきゃ、戦えないのに残っちゃうから」


 小型艇を遠くに見やる。

 設備を捨てて、あまつさえすし詰めになったあの船のことだ。

 反射式望遠鏡ペリスコープを回す余裕はできないだろう。

 この中で、モストーラが事切れたのを知っているのは自分だけ。今頃彼らは、居もしないモストーラを後方に幻視しながら走り続けているはずだ。


「今のラナンにとって、必要なのは戦力だ。僕もテマも下位の神呪。比べてグレンは、『剛毅フォルス』の上位神呪だ。……それだけで、グレンには生き延びる義務があるんだよ」

『テマをあっちに入れたのは?』

「それは、僕の我儘エゴ。テマには死んで欲しくなかった」


 これから、カイトは一つの博打を打つ。

 ベットするのは自分の命。敗北は“死”を意味していた。

 そこに、彼女を巻き込む勇気はなかったのだ。


『死ぬ気?』

「まさか」


 カイトは笑った。


「モストーラにしても、他の艦や車にしても。藍鯨の風力車は積載物までまるっと技術の塊だ。向こうもそれは分かってるはず。……だから、風力艦も潰されたりはしなかった」


 その上。



 あまりに歴史が古すぎて、亜人種と純粋人類ラナンたちとの戦争の理由は散逸している。けれど、戦争において価値を持つのが何であるのか、亜人種かれらも知らないわけではないのだ。……そうでなければ、千年以上も勢力は拮抗しない。

 結局のところ――手の内を知りたいはずなのだ。

 “藍鯨”が壊滅したことで、鹵獲物は星の数ほどあるはずだ。

 それらがすべて、カイトが生きるカードになり得る。あとは、隙を見て逃げる算段を立てればいい。

 そう上手くいくかなと、エンジュは柳眉をわずかにひそめた。


『真っ先に襲われたらどうするつもり?』

「……まあ、戦うんだろうなぁ」


 後は、上手いこと相手の親玉と交渉できればいいんだけれど。


『実質ノープランじゃん』

「目的は二人を逃がすことだったから」

『呆れた』


 肩をすくめて、エンジュが零す。けれどもその表情は、聞き分けのない子どもでも見ているような優しさに彩られていた。


「ごめんね、エンジュ」

『どうして?』

「もっと、いろんな世界を見せたかったのに」


 エンジュにも、もちろんテマにも。自身の記憶を探す傍ら、遠くの世界を見て回りたいと密かに思っていたのは事実だ。

 本を集めて、知識を広めて。

 最後にはどこかの街の片隅で、“図書館”を建てて生涯の場所とする。

……そんなユメがあったのだから。

 地響きが近くなる。

 カイトは操舵席を離れて、杖を再び握り直した。

 瞑目して、開眼。


『大丈夫』

 

 意識の裏でエンジュが言った。


『カイトは私が護るから』


 既に視界は変質している。

 光の筋にいざなわれつつ、カイトは外へと飛び出した。

 状態良好。……神呪の後遺症も、既に殆ど抜けていた。

 蟲、蟲、そして蟲。

 見渡す限りの甲虫の群れが、眼前に迫りつつある。

 手に手に握る剣の身が、陽光を照り返していた。

 そっか、とカイト。


「それなら、エンジュ」

『うん』

「もうちょっとだけ、付き合ってくれ」

『――うん!』


 エンジュの嬉しそうな返事と同時。

 カイトは単身――甲翅族かたきの群れへと飛び込んだ。

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