遙か落暉の蠍姫(チャリオット)

上崎 秋成

骸の荒野編 第一話『愚者の覚醒』

プロローグ

従いましょう。Jels, Jels.委ねましょうJels, Mistel.

私のユメは...Mil Rem 、あなたのままにist Lis Trem.






――それは、手の中にすくい取った泡雪のような。

 触れているのかいないのか。

 曖昧に過ぎる口づけを終えて、カイトは静かに両眼を開く。

 眼前には、一人の少女の姿があった。

 日差しに輝く辰砂の髪に、健康的に色づいた肌……およそ、芸術的と言って差し支えない端正な顔。


(少しだけ、かさついてるな)


 先ほどまで触れていた彼女の口に、今更、そんな失礼なことを思う。

 対する少女の方はというと――今だ初めてのキスに衝撃を受けているのか、かすかに緊張した面持ちのまま両の瞳を閉じ続けている。

 無理もない、とカイトは思う。同時、彼女の腰から下へと視線を向けた。


――蠍。


 そう。彼女は人であってヒトではなかった・・・・・・・・・・・・・

 ヒトらしい営みなど、何一つ知ることはなかったのだから。


「さあ、目を開けて。ククリ・・・


 名を呼んだ。出迎えるのは、髪色と対照的な海色のだ。

 光たゆたう青い水面に、自分の姿が映り込む。反射する二つの影が小刻みに揺れているのは、彼女の不安の表れか。


「――カイト・・・


 意外にもしっかりとした声色で、ククリが応えた。


「見えたよ、私」


 何が、とは問い返さない。

 ただ一声、そっか、と返す。……それだけで十分だった。

 

 轟――。


 遠雷にも似た音が聞こえた。同時、幾重にも唱和された金切り声がその場を奔る。

 目を向ける。この場を包む高密度の結界が、まさに破られようとしていた。

 ひび割れた結界の先に、炯々と踊る赤光。砕けた魔力の城壁に、鋼の巨人が食い込んでいる。

 よじれた銀の肉体に、紅く脈打つ魔力の回路。頭頂にそびえる一つの巨大な角だけが、のあるべき姿の名残であった。

 蚕食。

 おぞましい雄叫びとともに、瘴気がを切り崩してゆく。

 

「ベル・ゴ」


 その正体を、ククリが零した。

 彼女が向ける視線には、もはや恐怖も焦りもみられない。


「……行けそう?」

「うん」


 確認に、強い肯定。抱き留めていた腕をほどいて、カイトは小さく身を引いた。

 

「それなら、どうか見せて欲しい。キミの神呪を。ククリが選んだ道行きを」


 先導するのは、このあたりまで。

 それが、この神呪アルカナの役割だから。


回帰せよ、我が暴かれた栄光よ――Re;ARCANA.


 彼女が紡ぐ。

 己のユメを結晶化した、彼女の神呪ぶきを喚び出すために。


勝利の摂理。世を拓く性。Las Alha. 仄かなユメを彼方への導きとせんPEULAS wis Mil Arcturu.


 一歩、一歩、また一歩。

 彼女が巨人に近づいてゆく。

 かつての彼女であったなら、自殺行為だと諫めもしたろう。

 けれど、今なら。


趨れ、轟けRania, Rania,Il Rania.――外なる神を疾く除けIl wis; Dis im FORGATA.


 光――魔力の粒子が彼女の元へと集まってゆく。

 ククリの手元に顕現したのは、一本の太すぎる剣。

 切り払うにはあまりに重く、突き貫くにはあまりに鈍く、武具として役に立たない長大な棒。

 けれど。


此処は“戦車”が――Il Beaque;


 彼女の言葉に合わせるように、そのは姿を変える。

 彼女のユメに応えるように、そのはカタチを替える。


『――『私』が射貫く、戦場ゆえに!Lu Remina xi e Mil "CHARIOTIA"


 そして、閃。

 凝縮された魔力の圧に耐えかねて、その外殻が砕け散る。






 溢れ出る魔力の奔流――荒野を白く塗りつぶす、猛烈な耀きに包まれて。

 カイトは不意に、ここに至った経緯について思いを馳せた。


 それは、時間にして一月と二週間前。

――彼がまだ、純粋人類ラナンの尖兵であった頃まで遡る。

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