第2話 クルミ
ゆっくりとまぶたを開く。
「おはよう、クルミ。俺が君のマスターだ」
私は、目をぱちくりさせて、目の前の人が言った事を復唱する。
「ます、た?」
マスターと言う人は、呆気にとられた私の姿を見てクスリと笑いながら答えた。
「そう、マスター、だ。よろしくな?」
差し出された右手を見て、何をするのか分からないまま左手を差し出すと、マスターは私の手を取り握手をした。あたたかく、少しゴツゴツした大きな手が、私の手を包み込んだ。
私は元々ただの「人形」だったらしい。マスターが命を吹き込んでくれて、見た目だけは立派な「人間」になった。けれど「ココロ」が無い私はいつも無表情で、すぐに「元人形」だとバレてしまったらしい。私を見て、町の人々がひそひそ、ひそひそと噂しているのをよく目にするようになった。
それでもマスターは、いつも笑顔だった。私はマスターの作ってくれる「ほわいと しちゅー」がとても好きだった。冷たい私の体ごとあたたかく包んでもらっているような、まるでマスターに抱きしめてもらっているような、そんな気がするから。
新しいお洋服を着せてもらうたび、マスターは「綺麗だよ。可愛い」と褒めてくれた。青色の瞳、金色の長い髪、淡い水色のワンピースに身を包んだ私が鏡にうつっていた。目の前でクルクルと回ると、ふわりふわりとスカートが舞って、まるでお姫様みたいだった。「気に入ったみたいだな」と満足げにマスターが笑うので、私も「良かった」と思った。
毎日笑顔のマスターが、夜中一人で泣いていることを知った。マスターが隠しているのだから、きっと知らないフリをした方が良いのだろうけれど。それでも「ココロ」の無い私はなぜマスターが同じ「写真」を見ながら毎晩泣いているのか分からなかった。夜中に寝ている時も泣いているマスターに近づいて、そっと涙を拭ってみた。それでも次々と溢れてくる涙に拭うのが追いつかなくなって、私はマスターを抱きしめて、頭を撫でてみた。こうやってマスターに頭を優しく撫でられるのが、私は気持ち良かった。だからマスターの「ココロ」もちょっとは辛いのが和らげば良いと思った。次第に涙は少なくなり、すやすやと眠るマスターを見ながら「ココロが欲しい」と切実に願うようになった。
「何でも願いを叶えてくれるカミサマがいるらしい」そんな噂を聞いた私は、マスターが出かけている隙に、カミサマに会いに行った。カミサマは「本当に良いのか」と尋ねた。私は迷わず「はい」と答えた。
「ココロ」を手に入れた私。マスターより先に家に着いて、マスターの帰りを待った。マスターが帰ってくる。足音で分かった。玄関へと飛び出す私。
「おかえりなさい、マスター」
私は嬉しくて笑顔で出迎えた。マスターは少し驚いた顔をしていたけれど、すぐにいつものにっこり顔になって「ただいま」と言った。
マスターが笑う度、私も嬉しくなった。マスターが悲しくなる度、私も悲しくなった。マスターが泣きながら寝る夜は一緒に泣いた。それですぐにマスターが楽になる訳じゃないって分かってはいても「ココロ」が少しずつ分かり始めて、少しマスターに近づけた気がした。
けれど、私は甘かったんだ。「代償」も無く得られるものなんて無いのだと、その時の私は気づいていなかったんだ。
朝起きると、マスターの「おはよう」が聞こえにくくなっていた。次第に聞こえるものが少なくなり、ついに私の世界から音が消えた。目が見えづらくなり、そのうち闇に支配された。それでもマスターはずっと一緒にいてくれた。次第に手の感触も無くなっていって、体も動かなくなってきた。ああ、このままじゃ、またマスターを「独りぼっち」にさせてしまうと、懸命に体を動かそうとしても、思うように動かなくなった。それでも、マスターの顔に手を伸ばすと、その頬は濡れていた。私が、悲しませている。私は、ダメな人形だ。マスターを苦しませているなんて。これでは、私が何のために命を与えられたのか、分からない。体が動かないはずなのに、私の目の辺りから水が出ているのがぼんやりと感じられた。
ただの人形風情の私が、何も失わず、何もかもを得ようとした。これは罰なのかもしれない。ただ、ただ。一人残されるであろうマスターが、心配だった。
……そして。私はただの人形に戻ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます