27:未来は不確かなまま

 午前の授業が終わり、昼休みになった途端に周囲は賑やかになる。

 未来の紳士淑女も空腹には勝てないらしい。急ぎ足で食堂に向かう者や購買へ走る生徒などが慌てて教室を出ていく。昼休みのこの時間は廊下を走る生徒も多く教師や模範生は走り去る背中に注意を飛ばしていた。

 シェリルやリタはいつもパティたちが食堂の席を確保してくれるので急ぐ必要もない。

 この間たまにはとシェリルが早めに行って席をキープしていたらパティはお礼を言いつつしょんぼりしていた。ヴィヴィアン曰く、友達の役に立つのが好きなので昼休みの席取りも自分の役目だと思っているらしい。


「ところでシェリルさん。婚約者探しは大丈夫?」

「……リタはそうやって現実に引き戻してくれるから好きよ」


 のんびりと食堂へ向かっている途中、リタは世間話するようにシェリルに爆弾を落としてくる。

「大丈夫じゃないよね? 大丈夫じゃないよね?」

「二回言わないで……」

 真顔で繰り返すリタに、シェリルは気まずそうに目を逸らしながら答える。

 季節は晩秋。もはや冬といってもいいほど冷え込みが強くなり始めている。

 そろそろ年末の試験が始まって慌ただしくなるし、それが終わるとすぐに年明けだ。そうなると学年末のパーティまで期間はもうあまり残っていない。

「……でも、正直もういいかなって思っているの」

 三ヶ月ちょっとで婚約者となる人を見つけるなんて、シェリルにはできそうにない。これでも入学して以来、いろいろと頑張ってきたのだ。それが実を結ばなかったのだからそういうことだろう。

(それにわたしは、クライヴが好きだし……)

 好きな人がいるのに婚約者を探すというのは、なんだか不誠実だと思う。それが気にかかってしまって、近頃は積極的に婚約者探しをしていなかった。

「……気になっていたんだけどさ、シェリルが婚約者を見つけなかったら結局クライヴ・ロートンと婚約するの?」

 リタが歩きながら声を小さくする。

 賑わう昼休みに、二人の会話を聞いているような生徒はいないが気を使ってくれたのだろう。

 突然出てきたクライヴの名前にシェリルの心臓は大きく跳ねた。

「……え? いや、それはたぶん……ないと思うけど」

 そういえば、シェリルは婚約者を見つけられなかったときの話を父から聞いていない。


『クライヴ・ロートンとの婚約が嫌だというのなら、学年末のパーティまでに自分で婚約者を見つけなさい』


 毎朝毎晩、食事は一緒にとっているのに父はシェリルを急かすようなこともなく、婚約の話なんて欠片も話題に上らない。

 リタのように大丈夫かと気にならないのだろうか。それとも既に手は打ってあるのだろうか。

「そもそも彼との婚約が嫌で始まったわけだし……今でも嫌なの?」

「そ、れは」

 嫌どころかむしろそうなったら嬉しいくらいだけど。きっとはしたなく飛び跳ねてしまうほど喜んでしまうと思うけれど。

「嫌じゃないというか……その、結局わたし、クライヴのことが好きなんだと思うの」

 意を決してシェリルがリタに耳打ちする。

「うん、知ってる。だから婚約者探しはやめたのかなって思ってた」

 あっさりと頷かれてシェリルは照れ臭さを誤魔化すように笑う。リタが話題にしたあたりで、きっとこの聡明な友人には気づかれているのだろうとは思っていたが、なにもかもお見通しのようで恥ずかしい。

「……別に、やめたわけじゃないのよ?」

「やめていいんじゃないの? だってこのままいけばハッピーエンドだよ?」

 そうね、とシェリルは小さく頷く。

 婚約者を探すのは、もうやめていいかもしれない。けれどこのままハッピーエンドになるかと言われると、たぶんそんなに簡単な話ではないと思うのだ。

「でも……クライヴと婚約は絶対に嫌、とまで言ってしまったから、きっとお父様もクライヴ以外の人を選ぶと思うの」

 だからシェリルにとってハッピーエンドにはならないだろう。

 シェリルを溺愛している父が選んだ人なら、きっと悪い人ではない。このまま婚約者が見つからずブライス子爵の決めた人と婚約してもシェリルは不幸にはならないだろう。

「クライヴ・ロートンがいいって素直に言えばすむ話じゃない」

 どうしてそうしないのと言いたげなリタにシェリルは苦笑する。


「わたしはそうでも、クライヴは嫌がるもの」


 嫌がるけど、きっと両家で話が盛り上がれば彼は受け入れるだろう。それもロートン伯爵家の息子としての務めだと、自分の感情は飲み込んで。

 きっとそのほうが、シェリルは辛い。




 年末の試験に向けて勉学に勤しむ生徒が増えてきている。放課後の教室もいつもならすぐに無人になるのに、ちらほらと居残って復習する生徒を見かけるようになった。

 こんなとき自習室は満員だ。例に漏れずシェリルも試験に向けて教師へ質問に行ったが、勉強は家でしたほうが落ち着いてできるだろう。

 そう思って教室に戻るところなのだが、途中で見知った男子生徒を見つけた。

 赤い髪が鮮やかで、華やかな顔立ちは多くの女子生徒を虜にしている。

「こんにちは、エヴァン」

「そろそろこんばんは、かな。外はもう暗くなってきてるけど?」

 夏ならまだ明るい時間帯だが、初冬ともなれば日はすっかり暮れている。窓の外を見て今夜も冷えそうだなとシェリルは思った。

「先生に質問にでも行ってきた? シェリルは案外真面目だよなぁ」

「わたしは頭がよくないからすぐに理解できないの」

 リタやヴィヴィアンは授業だけで十分に理解しているみたいなのだが、シェリルは要領が悪いのかそうはいかない。

「何かご用? わたしを待っていたみたいに見えたんだけど」

「用ってほどじゃないよ。近頃あまり落ち着いて話してなかったなと思って」

 壁にもたれたままエヴァンが微笑む。

 そういえば最近エヴァンを見かけなかったなとシェリルは思った。リタやヴィヴィアンと過ごす時間が圧倒的に多くてエヴァンのことを気にする暇などシェリルにはない。


「……クライヴからはシェリルにあまり近づくなって言われているんだけどね」


 内緒話をするみたいに囁かれた言葉に、シェリルは首を傾げる。

「クライヴと喧嘩でもしたの?」

「喧嘩ってほどのことじゃないかな。意見の相違?」

 ふぅん、と相槌を打ちながらシェリルはエヴァンを見上げる。性格は似ていないけど、クライヴとエヴァンはなかなか仲良くやっているように見えたのだが。

「珍しいのね。クライヴってあまり人とは衝突しないと思うんだけど」

「シェリルに関することならあいつは簡単に怒るよ」


 にっこりと。

 意味ありげに微笑むエヴァンに、シェリルはすぐに返答できなかった。


 こういう不意打ちにはまったく慣れない。どう答えるのが正解なのか、シェリルにはいつまでもわかりそうになかった。

「……そんなわけないじゃない。わたしをからかって楽しい?」

「シェリルはクライヴに関することだとすぐに顔に出るね」

 質問には答えないまま、エヴァンは笑みを崩さない。

「……性格悪いって言われない?」

「悪趣味だとは言われた」

 その人におおいに同意するわ、とシェリルは呟く。

「クライヴからもらったクローバーはどうしたの?」

 栞をなくした時にもらったクローバーのことだろう。どうしてさっきからクライヴに関わることばかり話すのだろうとシェリルは目を落とす。顔を見ていると心の中まで見られているような気分になる。

「……押し花にして、額に入れて飾ってるわ」

「ああ、それならもうなくさないだろうね」

 無事に栞も見つかったから、もうひとつのクローバーは持ち歩かなくてもいい。また落としてしまったらと考えた末、新しいクローバーは寝室のベッドの傍の壁に飾っている。

「過去に何があったかは聞いてないけどさ、なんで二人とも妙な壁があるのかなぁ」

「それは質問? 独り言?」

 どちらともとれる発言に、シェリルは半ば投げやりに問いかけた。

「どっちも。シェリルが答えたければ答えたらいいよ」

 そしてエヴァンも投げやりに答える。

 掴みどころのない会話をシェリルはそろそろ終わりにしたい。迎えの馬車も待っているだろう。

「壁があるかどうかは知らないけれど、わたしはクライヴに嫌われているから適切に距離を保っているだけよ」

「普通嫌っている相手には近づかないし関わらないよ」

 シェリルの言葉にかぶせるようにエヴァンが言う。その勢いにシェリルは少し気圧された。

「それは……クライヴがお人好しだから……」

「まぁね、あいつはけっこうお人好しだけど。君たちさぁ、お互いのことはこれでもかって理解してるくせになんで肝心のところはわからないのかなぁ」

 肝心のところ? とシェリルは首を傾げる。エヴァンはそんなシェリルを見て意地悪そうに笑った。

「俺はお人好しじゃないから、これ以上は教えてあげない」

「……やっぱりエヴァンは性格が悪いわ」

「それはどうも」

「褒めてない」

 きっぱりと言い切って、シェリルはエヴァンに別れを告げる。

 ひらひらと手を振ってシェリルを見送る男が、何を考えているのかわかりそうになかった。

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