第一話 ホットミルク〈3〉

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 失踪した幽霊を捜す──。ぜんだいもんの調査はその日のうちから始められる事となった。寄る所があるという橋爪を先に帰し、悠貴は一時間後に橋爪の自宅を訪ねる事を約束した。


「聞いてただろ、真紘。準備しろ」


 橋爪が店を出た後、悠貴がカウンターの奥に向かって声をかけた。

 真紘は厨房から出てくると、困った様子で首筋に手をやった。


「だけどもうすぐ開店だよ。仕込みも終わったところだし」

「俺が知るか。真紘の都合だろ」


 むちゃ言うなあ、と真紘は頭を掻き、ふとカウンターに立つ美久に目を止めた。


「そうだ、小野寺さん行っておいでよ」

「えっ、私ですか?」

「うん。俺の代わりに行ってもらえないかな。気分転換にもなって良いと思うんだ。悠貴もこれなら構わないだろう?」


 名案だとばかりに微笑む真紘に悠貴はいらちを隠さなかった。


「ふざけるな、何で俺がこんなゴミ女と一緒に行かなきゃいけないんだよ!」

「ちょっ、今ゴミ女って言った!?」


 美久がぎょっとして言うと、悠貴は鼻でせせら笑った。


「何だ、まだ不燃ゴミにリンゴの皮が交ざってた事に怒ってるのか?」

「はあ!?」

「ゴミのぶんべつは真紘の仕事だ、文句なら真紘に言え。ああ、それとも不燃ゴミと一緒にしたから怒っているのか? りちな可燃ゴミだな」

「悠貴。人に頼み事をしている時にそういう言い方はだめだ」


 真紘は厳しい口調で弟をたしなめると、すまなそうに美久を見た。


「小野寺さん、ごめん。悠貴は本当に礼儀がなってなくて。悪気はないんだ、ただドリップコーヒーみたいに良い所が全部外見に抽出されていて、内面が出がらしみたいにスカスカなだけで」

「おい真紘、お前も俺に頼み事をしてる立場でよくそんな口を利くな」

「えっ、事実だろう?」


 素で訊き返す真紘に、悠貴が射殺しそうな眼差しを向けた。

 わああ……怖い、このやりとり何かすごく怖い……!

 美久はせんせんきようきようとしたが、真紘はこたえた様子もなく朗らかだった。


「とにかく、悠貴だって一人で行くのは本意じゃないだろう? 臨時休業ばかりしていると売上に関わるし、店のイメージも悪いよ」


 イメージという言葉に、ぴくりと悠貴の眉が跳ねた。どういうわけか真紘の言葉には悠貴を黙らせる力があるらしい。


「決まりだね。小野寺さんもありがとう。これでちゃんと店を開けられるよ」

「えっ!? 待ってください、私行くなんて一言も……」


 美久は言いかけ、それ以上言葉が継げなくなった。


「小野寺さんがいてくれて本当に良かった。少ないけど俺のコーヒーを楽しみにしてくれている常連さんもいるんだ。これで仕込みもにならないし、いつも通りお客さんを迎えられるよ」


 真紘は実に嬉しそうだった。頭の中は店の事で一杯なのだろう。楽しみで仕方ないというような幸せそうな笑顔だ。この笑顔を前に、どうして断れよう。

 だいたい助けてもらっておいて恩人の頼みを無視するってどうなの。お世話になったのに、助けてもらったのに、そんなこと人としてどうなの──!?


「わかりました……! 私にお任せください!」


 結果、美久がそう言い出すのに十秒とかからなかった。


「ありがとう小野寺さん。こちらこそどうぞよろしくお願いします」


 喜ぶ真紘とは対照的に、悠貴はげんそうに腕組みをしていた。



 店を出ると爽やかな陽光が美久を出迎えた。心弾む陽気だが、美久にそれを楽しむ余裕はなかった。

 悠貴と美久。吉祥寺通りに出た二人の間には異様な緊張感が漂っていた。まるで見えない壁でもあるかのように、二人は一定の間隔を空けて黙々と歩いた。

 気が合うはずないんだよ、と美久は思った。恩人の真紘の頼みだからこそ付き合うが、そうでなければ人をゴミ捨て場に投げ込むような人と一緒に歩きたくない。

 何でこうなっちゃうかなあ、と肩を落とした時、ふと隣から深いためいきが聞こえた。

 同じ事を考えていたのか、悠貴が美久をいちべつするなり疲れた声で呟いた。


「何が悲しくてこんなどんくさいのを連れ歩かなきゃいけないんだ。見るからに有能な敏腕秘書ならまだしも、よりによってこんなモヤシ。その上バカで要領悪くてそそっかしくて乱暴でがさつで天然ボケで」


「ちょっ、ちょっとー! 黙って聞いてれば失礼だよ!?」

「どこか違ったか」


 一言も合ってない! ……そう言いたいところだが、言えないのが悲しい。


「なんで君にそんなこと言われなきゃいけないの、さっき会ったばっかりなのに」


 美久が唇を尖らせて言うと、とたんに小ばかにしたような失笑が返ってきた。

 わああ……、なんて性格が悪いの!

 でも相手は生意気盛りの高校生だ。ここは大人の私がきっちり注意してあげないと本人のためにならない。美久はそう自分に言い聞かせ、気合でりゆういんを下げた。


「とにかく! 会ったばかりの人にいきなりそんなこと言っちゃだめ! 人のこと決めつけて悪口言うなんて、そんなことしてると君ね」

「その腕の安時計」


 唐突に悠貴が言った。その視線が「見ろ」とばかりに美久の左手首を差した。


「時計の革バンドの穴が一つだけ伸びている。本体の色とバンドの色が合ってないのは何度か買い替えているからだ。気に入った物は長く使う性分だが、腕時計と対照的にスマートフォンにはやたらと傷がある」


 美久はぎょっとして上着のポケットを押さえた。スマートフォンはちゃんとそこに入っている。

 でも、どうしてスマホの傷のこと……?

 喫茶店に来てから携帯電話に触ったのは二回、調布の説明会に謝罪の電話を入れた時と、店を出る直前にメールの確認をした時だけだ。悠貴がスマートフォンを見たとすれば後者の時のはずだが、それにしてもほんの一瞬だ。

 まさか、あんなちょっとの間にそこまで見てたの……?

 美久の予想を肯定するように、悠貴は淡々と続けていた。


「あの機種は先月発売になったばかりだ。にも関わらず本体にあれだけの傷がつくという事は落とす回数が多いか、鍵などと同じポケットに放り込んでいるせいだ。どちらにしてもがさつでおおざつな生活態度が窺える」


 それにその靴、と悠貴は美久の足元も見ずに言った。


「革の光沢の割に靴底が異様に磨り減っている。短期間でしようもうしている証拠だ。無個性なリクルートスーツから就活中なのは明らかで、短期間でそれほど靴底をすり減らすという事は、未だに手当たり次第説明会などに通い詰めているからだ。無駄にでかい鞄を加味すると、職種も絞りきれずに会場を点々としている様子が目に浮かぶな。職種を決めかねているのになぜ説明会にやたらと出席するのか?」


 問うような口調で言ったかと思うと、その声に失笑がにじんだ。


「答えは単純だ。内定が取れていない上、資料やメディアを利用して情報収集するのが苦手か、行けばどうにかなるだろうというあいまいな思考をしているからだ。故に」


 言葉を切ると、悠貴は端正な顔をほころばせて朗らかに言った。


「どう転がってもバカだ」

「な──っ!!」


 美久ははんばくしようとし、しかし何も言い返せなかった。

 時計は高校に入学した時から愛用している物だし、スマートフォンはよく確かめず鞄に放り込んでいる。就活については現状まさにだ。

 しかも恐ろしいのは悠貴の分析がまだ終わっていない事だった。


「以上を総合して、お前は根性はあるが要領が悪く、それを体力でごまかそうとする節がある。が、努力の仕方が徹底的に間違っているため結局空回りで終わる」


 美久の脳裏に今朝の大失態が過ぎった。

 バス乗り場がわからないからバスを追いかけ、あげく行き倒れに──


「しかも集中すると他がおろそかになる。お前のおつむでもわかるように言ってやると、遠足に持って行くオヤツに気を取られて弁当を忘れる小学生レベルだ」


 キャ──!!

 それ高校の時にやりましたっ!!

 などと素直に白状したら見下す視線がますます高くなりそうで、美久は唇を噛み締めるしかなかった。ぐうの音も出ずにらみ返していると、悠貴が優越感たっぷりに微笑した。


「まあ、そうするほどでもない。お前なんかでもサルを連れ歩くよりはましだ。せいぜい口を開かず、そのバカ面を引き締めて利口そうにしてるんだな」


 ──真紘さん、この人殴ってもいいですか?


 美久は心の中の真紘に呼びかけ、早くも帰りたい気持ちで一杯になった。



【次回更新は、2019年7月5日(金)予定!】

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