第三十七話 ミミック、説得する


 虚空から大剣が出現し、マチルダがそれを掴む。

 ゆっくりとこちらに向けられた切っ先が、かすかに震えていた。


「何しに来た?」


 冷たい声で、マチルダが言った。

 ロベリアは無表情のまま、ただ黙っている。


「マチルダさん! やめてください! 僕たちは!」

「いい、ハルコ。ありがとう」


 今にも二人の方へ飛び込んでいきそうになるハルコを捕まえて、腕の中に抱えた。

 俺が、自分で言わなければいけない。


「謝りに来たんだ。騙してて、悪かった」


 刹那、マチルダが超速で俺に斬りかかった。

 だが、見える。

 見えてしまう。

 動きも、太刀筋も、泣き出しそうなその顔も。


 ハルコを庇いながら、その剣を片手で受け止める。

 さすがに重い攻撃だ。

 でも、オズワルドほどじゃない。

 このまままたあいつらと戦えば、絶対に返り討ちにあう。


「謝るだと!? 貴様ごときが謝罪を述べたところで、魔王様は蘇らん!! 我々を侮辱しに来たか!!」

「落ち着いてくれ、頼むよ」

「落ち着いていたさ!! 貴様が来るまではなぁ!! 二度と関わらないことと引き換えに、情けをかけてやったのだ!! それを貴様は踏みにじった!! ならばここで、殺す!!」


 掴んでいた剣が消滅し、再びマチルダの手に新しい剣が握られる。

 武器の出現、消滅を自在にやってのける、これがマチルダの戦い方だ。


 ハルコを手放し、遠くへ投げる。

 襲い来る剣を『業火の鉄拳ブラストナックル』で弾く。

 その度に剣は消滅し、マチルダの激しい動きの中で、手元に現れてはまた斬りつける。

 さっきのように、剣を受け止めて動きを封じることができない。

 二刀になったり、槍になったり、レイピアになったり。

 その度に構えと太刀筋が目まぐるしく変化する。

 さすがは魔王の側近、最強のしもべだ。


 だが。


「『包囲障壁ラウンドバリア』」


 身体が離れた隙に、バリアを高速で重ねがけする。

 マチルダの威力でも破られないように、何枚も何枚も。

 声が聞こえるギリギリの枚数を意識して、魔法の球体を作った。

 中からバリアを攻撃する音と、振動が伝わってくる。

 これで頭が冷えてくれると良いんだが。


「ドランさん」


 声の主はロベリアだった。

 振り向くと、彼女はマチルダとは対照的に、酷く落ち着いていた。


 ハルコが俺の元へ戻り、頭の上に乗った。


「マチルダの言っていたことは本当ですわ。わたくしたちは、もうあなたとは一緒にいられません。どうか、お引き取りください」

「俺を帰して、それからお前たちはどうするんだ」

「あなたには関係ありませんわ」

「オズワルドと勇者が死んだとは思えない。きっとまた襲ってくる。今度は本当に、死ぬぞ」

「……もう、死にましたわよ、わたくしたちは」


 そう言ったロベリアの口元は悲痛に歪み、目は虚ろだった。


「魔王様だけが、わたくしたちの全てだった。あの方のために生きていた。ですからもう、わたくしたちは死んだのですわ」

「……そんなわけあるか」

「あなたには分かりませんわ。分かって頂こうとも思いません」


 ロベリアが言うと同時に、鋭い音を立ててバリアが砕け散った。

 マチルダが飛び出し、ロベリアの横に着地する。

 その顔には、もう憎悪は浮かんでいなかった。


「ここが、我々の死に場所だ。邪魔をするな」

「馬鹿なことを言うな! 死んで何になる!」

「では……生きていて何になると言うのですか……」


 ロベリアが力の抜けたように絨毯に座り込んだ。


「ドランさん……わたくしたちはあなたの記憶を見ました。魔王様と配合されてから、正体を偽ってわたくしたちと過ごし、自分の目的を持って、ツバキさんたちを連れてきた」


 ロベリアの声は涙を含んで揺れていた。

 ハルコが俺の頭を離れ、ロベリアの元へ飛んでいく。


「あなたはとても悩んでいた。苦しんでいた。そしてわたくしたちのことも、仲間だと思っていた。魔神のちからがあれば、わたくしたちなどいなくても、生きていけたというのに」

「ロベリアさん……」

「あなたが魔神になったのは、他でもない魔王様が望んだことですのに。魔王様の代わりを勤めようと、必要のない努力をして。わたくしたちを守るために、こっそり特訓なんかをして。あの剣士に襲われた時だって、わたくしたちだけを先に逃して」


 ハルコがロベリアの目に溜まった涙を、ちろりと舐めた。

 ロベリアはハルコを抱きしめ、深く息を吐く。


「ドランさん、あなたは自由に生きるべきなのです。勇者となんて、戦わなくいいんですわ。だって、あなたにはそうする理由がない。被害者で、そして勝者であるあなたが、わたくしたちのような遺物のために、苦しむ必要はありません」


 マチルダの鉄仮面の下から、光る雫が伝った。

 唇をぎゅっと引き結び、握った拳が震えていた。


「あなたは優しい方です。不幸で、可哀想で、それでも幸せを掴もうと努力して、笑って生きていける方です。だから、もう、いいんですわ。あの人は逝ってしまった。わたくしたちも後を追います。あなたとは、ここでお別れです」


 ロベリアの言うことに、文句は何一つなかった。

 彼女の言うことは至極もっともで、むしろ、こう言われるということを覚悟していた節さえ、俺にはあった。


 だから、反論はしない。

 俺は自由に生きる。

 何を勘違いしているのか知らないが、俺は今までだって、そうしてきたんだ。

 俺の記憶を見たのなら、そこのところをしっかりと、分かっていてもらわなければ困る。


 強く地面を蹴り、俺は二人のところへ飛んだ。

 俊敏性SSS+の、全速力。

 かわせるものなら、かわしてみろ。


「ぐっ!!」


 マチルダとロベリア、二人の首を両手でしっかりと掴んだ。

 抵抗される前に、一気に魔力を流し込む。


 ミスターはものすごく長生きだ。

 ありとあらゆることを知っている。

 魔神というモンスターのことだって、あいつは詳しく知っていた。


「【魔王の支配】」


 魔神は、そのステータスはもちろんだが、真に恐ろしいのはその固有スキルの凶悪さだ。


 一つは【不死身】。

 これは既に、俺の手元にはない。

 一度復活をすれば、このスキルは消滅してしまう。

 それでも、充分に強いスキルだ。


「マチルダさん! ロベリアさん!


 二つは【魔神】。

 これはステータスの限界を突破させる、いわば補助スキル。

 これがあれば、ステータスはどこまでも伸びる。

 まさに最強になるのに必要なスキルだ。


 そして、三つ。


「ドランさん! やめてください! 何するんですか!」


 【魔王の支配】。

 魔物二体を、自分の魔力を与えることで服従させることができる。

 【不死身】と同様、使用後に消滅する。

 そして、今がその時だ。


 両の手のひらから、二人の身体へ魔力を送り続ける。

 紫色の光が二人を包み、やがて姿が見えなくなるほどまでにその輝きを増していった。


 背後で誰かの足音がした。

 魔力の受け渡しが終わり、光が収まる。

 マチルダとロベリアは気を失い、前のめりに倒れた。

 両手で受け止めると、俺の腕を、二人の魔物が支えてくれた。


「何やら知らんが、うまくいったようじゃな」

「なんだか嬉しそうな顔をしているね、ドランくん」


 知らぬ間に現れていたツバキとウルスラは、額に汗を滲ませていた。

 きっと、急いで来てくれたんだろう。

 さすが、相変わらず頼りになる仲間たちだ。


「さあ、帰るぞ」

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