黒崎さんは悪い魔女
石崎
プロローグ すべての始まり
六月の第一週目の月曜日、梅雨に入ったその日は鬱陶しいばかりの雨が降っていて、雨の匂いの中で一人の少年は愕然としていた。
彼の丸く見開かれた眼の先には何の変哲もない古ぼけた傘立てがある。
アルミ製のいかにも安物のそれに一本の傘だけが突き刺さっている光景を、まるで世界の終わりを見るかのようにみている様はいささか滑稽であるといえた。
「……嘘だろ、おい」
立ち尽くす少年の名は市松義弘。清徳高校の一年生である。
そして彼が立ち尽くすこの場所は、清徳高校一年C組教室前。
静かな雨音、人気のない廊下、そして傘立ての前に立ち尽くす少年――ここまで来れば彼の状況はおのずと推測できる。
「誰だ、俺の傘をパクった奴はぁぁぁ!」
まあ、こういう事である。
市松は割に適当な人間であるが、几帳面な姉の影響か毎朝天気予報を見てから登校するのが常だった。
よって今朝、美人で胸のある市松好みのお天気お姉さんが「今日は午後から雨です」というのをしっかりと見ていた。若気の至りか、彼の視線はお姉さんの指さす日本列島の地図よりも、お姉さんの顔やや下を彷徨っていたものの、それでもちゃんと傘を用意していた――はずだった。
市松の傘はそこそこお高いブランドの深緑色の傘である。が、傘立てにあるのは古ぼけた灰色の紳士用が一本あるのみ。市松の傘はすでに何者かによって持ち去られた後であった。
授業後からだいぶ時間が立っているため、廊下を含め人影はない。誰かの傘に入れてもらうという事は難しそうである。
彼女である姫森の部活終わりを待って傘に入れてもらうこともできるが、それには今から三十分以上時間がある。傘を盗まれたせいで、三十分待つというのはなんだか癪に障る。
自然と残された傘に視線がいった。市松一人の廊下には雨だれの音だけが響いている。彼の他には誰もいない、加えてこの場所は外から見えにくい。
「俺は悪くない。悪いやつは俺の傘をパクった奴。てなわけでドンマイ、傘の持ち主君よ!」
市松は迷わなかった。
いかにも安物の傘を使うことには若干抵抗があったが、雨の滴るいい男になるよりは数倍マシだった。
ちなみに人の傘を拝借することにはまるで抵抗はない。市松義弘とはそういう男なのである。
市松は周りを見て人がいないことを確認すると、傘を抱えて全力で走り去った。幸か不幸か、その姿は誰にも見られていない――はずだった。
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