第50話 蜘蛛
「サーカス?」
「そうっす!街の子供達から聞いたんすけど、今日 街にサーカス団が来るらしいんす!どうっすか?坊っちゃんも行かないっすか?」
若干興奮気味のペリグリンが 帰宅してきた俺とメリーに手渡してきたのは、とあるフライヤーだ。中心には綱渡りを華麗にこなす像頭の少年が、その背後では空中ブランコでくるりと一回転している小柄な少女が描かれていた。
目がチカチカするような配色で飾られたそれによれば、確かにこの近くに今日やって来るらしい。
移動式サーカスか、なんだか懐かしい。
俺も昔は、よく祖父母とともにサーカスを見に行っていた。
「サーカス……」
フライヤーを目の前にして、目をキラキラとさせたメリーは行きたいという感情が隠しきれていない。見に行こうか、と声をかければ、満面の笑顔を見せる。
「行って、いいの?」
「うん、いいよ。僕も見てみたいしね」
「よし!じゃあ決まりっすね!」
ペリグリンがにかっと笑って俺とメリーの頭をぐしゃりと乱暴に撫でている時、俺の視界の端で扉がかすかに動いた。
誰だ?
俺はすかさず扉から、廊下を見る。
ゆらゆらと、暗闇の中で白いエプロンが揺れていた。ニナ、か。
「坊っちゃん、どうしたっすか?」
「なんでもないよ、ペリグリン。サーカスを見に行くことを一応先生に言っておくよ。何か後でうるさく言われちゃ嫌だからね」
「了解っす!」
フライヤーの裏の演目を眺めるペリグリンとメリーを置いて、ニナをつける。彼女は予想通り、ジークヴァルトの自室へと足を運んでいた。
数回ノックをして、彼の許可が向こうから聞こえて来る前に扉を開ける。ジークヴァルトは、書類に目をやりながら不満げに口を尖らせた。
「まだ、許可はしていないよ」
「でも、僕がここに来ることは分かっていたでしょう?」
僕の一言にふんっと軽く笑うと、ジークヴァルトは俺に目線を上げる。
彼の机の上には、先ほど見ていたフライヤーが置かれてあった。こいつ、どこまで俺たちを監視してんだよ。気持ち悪りぃな。隠し事はできないってか。
「なんですか、僕たちが誘いに来ないから拗ねてるんですか?先生」
「馬鹿馬鹿しい。こんな子供騙しの曲芸などに私が行くとでも……と、抗議をしたい気持ちは山々だが、残念ながら私も見に行かせてもらうよ」
は?
こいつが、サーカスを見に来る?
プハッと吹き出すと、彼は整った眉をピクリと動かした。どうやら今のは腹が立ったらしい。
こいつは、子供であろうと誰であろうと笑われるのが一番不愉快だという考えの持ち主なのだ。
「失敬、あまりに意外でしたから……で、一体なんの狙いがあるのですか?どうせ、あなたのことだ。綱渡り目的で見に行くわけじゃないでしょう?」
僕の問いかけに、彼は自身の鞄から一冊のファイルを取り出して答えた。
なんだ、また仕事か。
「どうやら、このサーカス団がなかなかに臭い連中らしくてね。彼らがただの芸人か、それとも芸人の皮を被った”異端者”か……軽く見て来るようにとボスからの命令でね。だが、まだ本腰を入れる案件じゃない。あくまで、私と君はカルカロフ家の一件を探るのが先だ」
突き出されたファイルは白紙。
なるほど、得られている情報はほぼ無いのか。
俺はフライヤー1枚が挟まれただけのファイルを机に放って、ひらりと踵を返す。
ドチュ________ッ
足裏に何かを踏みつけた感触がして、パッと後ろへ下がる。
「ちょっ……うわぁ……」
先ほど俺の足があった場所には、無残にもペタンコに潰れた蜘蛛が一匹。
「………」
「す、すみません……」
ジークヴァルトの鋭い目線。
自室の床を汚されて大人気なく怒っているのだと思い、蜘蛛をひょいとつまんで窓から捨てようとすると背後から声がかかる。
「捨てなくていい、こっちに持ってきなさい」
この蜘蛛を、か?
耳を疑うような言葉に聞き返すも、どうやら聞き間違えでは無いらしい。仕方なく蜘蛛の死骸を彼の手に乗せれば、彼はあちらこちらからそれを凝視して小さなため息をつく。
「……あの老いぼれめ」
ボソッとそう呟くと、そのまま手の中の蜘蛛を握りつぶす。
こいつ、気でも狂ったか?
俺がじっと見つめていれば、ジークヴァルトは暖炉にそれを投げ捨ててしまった。ボウッと炎に包まれて見事灰になった蜘蛛は、跡形もない。
俺はこれ以上、ジークヴァルトを刺激しないように大人しくその場を離れた。
この出来事を、忘れないように脳内にとどめておきながら。
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