昔の話
昔、この国は戦争をしていた。
詳しいことは知らないが、その末路なら知っている。
南の離れた島では、戦地になって追い詰められた住民が大勢自決した。都市という都市の空は飛行機が支配して地上は火の海になり、最後にはとんでもない爆弾が二つ落とされて、負けた。
七十四年前の話だ。
テレビでは、平和式典の様子が中継されている。当時国々の間に走った亀裂は、今なお埋められていないところも多いようだ。ニュース番組のキャスターが、「戦争を知る世代が人口の約一割になった」と、なんとも表現できない表情で語っている。「平和の大切さを後世に伝えていくことが重要だ」と、九十過ぎたおじいさんがインタビューに答えていた。
私はそれを見ながら熱い焼きそばを豪快に啜った。美味い。祖母の作る焼きそばはいつだって美味い、私の好物の一つだ。
口いっぱいに入れたのをモゴモゴと咀嚼しながら、私は祖父母の顔を盗み見た。二人は変わらない表情でテレビ画面を見つめてながら、焼きそばを口に運んでいる。音を立てて食べるのは私しかいないから、部屋の中は一人分の焼きそばを啜る音と、エアコンと扇風機の駆動音、テレビの音声で満たされている。
しばらくしてニュース番組が終わり、CMを挟まずに今度は連続テレビドラマが始まった。夏休みになって昼食を二人と摂ることが多くなった私は、あらすじくらいはなんとなく把握していた。
舞台は戦時中の山奥の農村、慎ましい生活を送っていた兄弟たちの物語だった。戦地や都市部から遠く離れた場所にも、やがて戦争の影響が及んでくる。時々思わず目を背けてしまいそうになる程、生々しい尋問のシーンがあったり、暴力的な軍の人間たちが描かれたりしている作品だ。
本能的になのかなんなのか、そういうシーンが好きになれない私は、それとなくトイレに立つこともあるのだが、二人は気にした様子もなくテレビを眺めている。やがて祖父は飽きて新聞を読み始めるが、嫌な顔をすることもない。
何を、考えているのだろうか。
戦争が終わったのは七十四年前。祖父は九十二、祖母は八十八。この前米寿のお祝いをしたばかりだ。私と大して変わらない年齢の頃、戦争を経験していたということになる。
小学生の時「おばあちゃんおじいちゃんに昔の話を聞きましょう」という課題を出された時に、二人とも住んでいたのはテレビに映っているのと変わらない程田舎の農村だったから、都市部ほどの被害には遭わなかったとは聞いたことがある。空襲と集団疎開の話も少し聞いた。あまり語りたがらないから、ボンヤリとした記憶だ。
少しボケた祖父が一般参賀の中継に映る天皇陛下を指して、「昔、この人達は神様だった」と何度も何度も耳にタコができる程に言うのは、大真面目なのか、過去話なのか、冗談なのか。私には見当がつかない。ただ、今まで信じていたもの、そう思っていたものがぐるりとひっくり返されるというのはどんな感じなのだろう、と考えるだけだ。それを疑問として口に出したことは一度もない。
久々に触れた冷たいお茶の入ったコップは水滴だらけだった。無意識に口に運んでいた焼きそばがもうすっかり無くなったので、私は箸を置いて梨に手を伸ばした。冷たくて甘い。
二十分程のドラマはもう終盤に差し掛かっている。
ついでに煎餅も取ってこようと空の皿を持って台所へ向かおうとした私に、祖母が
「これが終わったら洗うから、流しに置いておいて」
と言ったのを、
「いいよ、私が洗う」
とあしらうようにして、部屋を出た。
昔、この国は戦争をしていた。
知識人とやらは、「戦争を知る世代が居なくなる前に、経験や平和の大切さを後の世代に継いでいかなければならない」と言う。
でも、私は、戦時中のドラマを眺める二人にそれを聞く勇気は、まだ無かった。
エアコンの風が届いてこない台所は蒸し暑い。コンロに置きっ放しになっていたフライパンを乱暴に取り、シンクに置いて水を張る。エンディング曲が流れているのを聴きながら、私は水に油が浮いてくるのをただ眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます