第2話 授業参観
中間テストが終わって一週間が経つ。ああいよいよ夏服の時期かなーと考えていたら、いきなり先生からどえらいもんを渡された。
何、授業参観?まあそりゃ、あるよなあ……普通に考えりゃなあ。しかし授業参観の四文字を見せられるや、体中がこそばゆくて仕方がなくなった。上田なんかおおげさに体中をかきむしっていたが、俺だって帰り際に思わず頭を掻いちまったぐらいだ。
「にしても、中学生にもなって授業参観とはなあとかって」
「まだ中一だろ」
まあこの時期の中学一年生なんて小学校六年生に毛が生えた程度の違いしかねえけどな。
ああ毛が生えたって言えば、実は最近俺のあそこに毛が生えた。これは保険の教科書でチラって見かけた第二次性徴って奴なんだろうな、遅かれ早かれみんな生えるんだろう。って言うか俺がかなり遅れてるのかもしれねえ。
あるいは男子校とかなら気安い雰囲気がありそうなんですんなり聞いちまうかもしれねえけど、やっぱり女の目ってのはなあ。あるいは女子校だったら女同士ですんなり……いややめとこう。
「とりあえずでもなんでも勉強した方がいいと思う?」
「ああ、思うよ。思いっきりな」
上田にははっきりそう言っといた、俺だってそうしてたんだから。誰かのためにカッコよく振る舞おうと考えるのは自然な事だ。陸上部の部活動で上級生を置き去りにして走る上田の姿はマジカッケー、ああなってやりたいと考えるのはごく自然な話だろう。
やがてやって来た土曜日。今日の3時間目は長くなりそうだ。って言うかなんでまたこんな時間に持って来たんだろうなあ。
週五日制なんて知ったこっちゃねえ私学の土曜日、それでもまあ半日ってだけでそれなりにのんびりできる時間ではあるんだけどなあ。
おお来た来た、派手派手に飾り付けたおばさん連中。中にはおっさんもいる、まあ土曜日だからなあ。でもおっさんだけって事はないようだ、夫婦仲良くやって来たってのがおおむね正しいだろう。
でも仲良く来てくれて嬉しいななんて思うほど俺らは子どものつもりもない、プレッシャーが倍になるだけだ。そんで俺の母さんも来た。なるべく地味にしてくれよって俺の言う事を聞いてくれたのか、まあ普段着ってほどじゃねえけど渋くていい衣装だ。化粧も薄いし、よそのおばさんたちも見習って欲しいぜ。
おっと、おばさんおっさんだけじゃねえ。そう、じいさんばあさんも来る。まあじいさんは来なかったけど、ばあさんは来た。一人はいかにも清楚そうないいばあさんで、もう一人は誰よりも派手な格好をした文字通りの若作りなばあさんだ。俺は珍しく後ろを振り向きながらチャイムが鳴るのを待った。
「では授業を始めましょう」
で、3時間目は何かと言うと数学だ。当たり前と言えば当たり前だが、担任の先生の担当科目だ。数学は嫌いだって奴も多いだろうが、俺にとっては格好の授業だ。まあここぞとばかりにガンガン手を上げるような趣味は俺にはねえ、せいぜいまじめに授業を受けてればいいだけの話だ、いつもの通り。
「違うぞ」
「ああしまった、すみません、えーと」
「じゃあ次」
「はい、答えは……」
「よくできているな」
ってかどいつもこいつもプレッシャーに弱いな。
まあ俺も相当に緊張したけど、先生に指名された時にはきっちり正解を出してやった。母さんがよそのおばさんにやっぱり成績優秀なんですねと言われた時には内心得意満面だった、ああすげえ気持ちいいぜ。帰ったら改めて勉強しよ。
「保護者の皆様はいったんお下がりの上、4時間目の授業が終わるまでしばしお待ちくださいませ」
とにかく、3時間目のチャイムと共にプレッシャーの種がごっそり消えてくれた。まあ深い意味で言えば授業参観など関係なく毎日きちんと勉強しなきゃいけねえんだろうけどな、視線がこれだけ多いとなおさら疲れる。
その視線の主である保護者の皆様がぞろぞろといなくなるとそれだけ空気は緩み出したけど教室の空気ってのはなかなかいつも通りにならねえ、まあ教室からいなくなった所ですぐそばで聞こえてるって事には変わりゃしねえしな……と思ってたけど最後の一人である派手なばあさんがいなくなると教室が急にあったかくなった。そろそろ梅雨入りって時期だからあったかいってのはむしろまずいかもしれねえけど、でも実際そうだったからしゃあねえだろ。
「お前の親も来てたのか」
「ああ、地味な格好でホッとしたよ。お前はどうだ上田」
「親父もおふくろも来てたよ、こういうとこは親父の勤め先についてありがたいって言うかさ、ラッキーだなって思う訳よ。まあとりあえずへまもしなかったしな、それなりにいいとこは見せつけられたつもりだよ」
上田が満足そうにしているのを聞いて俺も一瞬ホッとしたが、その直後にまた少しだけ温度が下がった。さっきまでとはまた質の違う下がり方だ。何だったんだろう、教室を春先にしてたのは。期待っていうプレッシャーならば、それはむしろ場を熱くするもんじゃないのか?そんでそんならいなくなった途端に涼しくなるはずだってのに。
授業を終えて家に帰って来た俺を迎える返事はない。
わかり切ってた事だ、父さんは仕事、母さんもこのまま懇談会で午後三時ぐらいまで帰って来ない。カップ麵のふたを開け、お湯を注ぐ。適当に数を数えながらカバンの中身を机の上に開け、キッチンへと足音を立てずに戻る。
俺は麺をすすりながら、改めて教室を春先の空気にしてた代物について考えてみた。あんな空気を出すのは一体何のためなんだろう。子どもがへまをやらかした事に対して親として怒っているのかもしれない。でも実際の所、授業が始まるまで誰かそんなにやらかした奴がいただろうか。授業中に問題を間違えた奴はいたが、そのちょっと前からどこか背中が寒かった。
まるで何て言うか、同じ保護者同士だけじゃなく先生や俺らをも値踏みするような機械的な感じの視線。いったいどういうつもりなんだろう。まあ親にしてみればよそ様の子どもを見られる貴重な機会でもあるし値踏みをするってのはわからない訳でもねえ。でもそれにしたってもうちょい隠す事ぐらいはできそうなもんなんだが。
そんでカップ麺の器を片付けた俺が文芸部の活動の一環だしとか言う名目で勉強もせず古い小説を読んでると、母さんの帰宅を告げるチャイムが鳴った。
「お帰り」
「ただいま、みんなそわそわしてたわね」
「そりゃするだろ、すごいプレッシャーだったぜ」
「あの定野君って子?あの子はえらいわね、ずっと前を向いてて」
「俺だって!」
「ああごめん、でもあなた定野君って不思議な子だって言ってたけど私はそんなに不思議じゃないと思うけどなあ、まあ人間みんなどこか不思議な物なんだから」
母さんが買って来てくれたゴマせんべいをつまみながら俺と母さんは今日の事を話し合った。大口を開けて丸ごと放り込み、派手に音を立て食べカスをこぼしながら腹の中に放り込む。
なるほど母さんの言う通り、みんなどっか正常って奴から外れているのかもしれねえ。しかしそれにしても外れ方ってのがあるはずだ、あれは外れすぎだろ。
「ちょっと!」
「ああいけねえ、台ぶきん持って来る」
確かに今の俺の喰い方もまともなそれじゃねえ、でもこれ以上ケンカしても得にならない事はわかってたから俺は適当にうなずき、台所から台ぶきんを持ち出して食べカスを拭き取り、そしてそのまんましおりを挟んで勉強に戻った。
頭がないって事はそんなに問題じゃないって事なんだろうか。偏見を持ってはいけないって大人はよく言うけど、いくらなんでも無理があるだろって言いたい。
今は六月。そう、夏服の時期だ。学ランセーラー服が制服のうちの学校だけど、夏になればワイシャツで行く事になる。そうなればどうなるか、学ランの襟がなくなってその結果はっきりと見えるようになる物がある。
そう、首だ。普段首について俺は考えた事はない。単に体操の時間で回したり頭を支えたりしてるもんだってぐらいの認識だ。
定野の首って奴を、身体検査の日に俺たちは見た。
って言うか頭がないように、首もなかった。
要するに胴体の上には何にも乗っかってなかった。
140センチって身長を測る時は右肩を基準にしてた、胴体の真ん中よりそっちの方が高かったからだ。
その時、俺はあいつの本来首があるだろう場所をなるべく怪しまれないようにチラ見した。不思議なほどにすべすべしててまっ平で、色も身体検査らしくパンツ一丁だったせいで露出してた肩や腹の皮膚とまったく同じだった。そのせいで余計に時間がかかっちまったのは許してもらいたいもんだ。
生まれた時から首も頭もなく、それでいて普通に成長している。
今の今まで誰かに疑問を持たれなかったんだろうか。いじめられたり、からかわれたりしなかったんだろうか。
俺だって世にいういじめっ子とはずいぶん絡んで来たつもりだ、あるいはそういう奴らから見ても手を出せないぐらいなんだろうか。
「いろんな事がわかるのって面白いじゃん、やればいいのに」
なんで勉強ばっかりするんだよっていちゃもんを付けられた事もある、その度に俺はそう言い返してやった。なあ、俺の言ってる事が何か間違ってるか?
とにかく、そうやって言ったらその連中はだんだんと口をつぐんで行った。当たり前だよな、つまんねえ事はしたくねえもん。
「すまなかったな、土曜日なのに」
「いいんだよ、中学校にもなって授業参観があるとは思わなくてさ。俺も初めて聞いた時はびっくりしたよ」
夕飯は父さん母さんと三人一緒にチキンカツだ。子どもっぽいと言われるかもしれねえけど、俺はソースよりマヨネーズの方が好きだ。
父さんはソースで、母さんは何も付けない。上田も弁当にカツサンドを持って来たことがあったが、やはりソースだった。
「授業参観って言うとどうしても女親ばかりになっちゃうのよね、今日も男親なんて二人しかいなかったわよ」
「そうか、それでおじいさんとかおばあさんはいたか」
「おじいさんはいなかったな、おばあさんは二人いたけど」
「そうそう、おばあさんと言えば島村さんって人がいてね、その人とても清楚で感じが良くて。気配りも上手でああいうおばあさんになりたいなって」
「島村……?」
「ほら定野くんっていたでしょ、あの子のおばあさんの人。ずいぶん豪華そうな服を着てたけれど、それなのにって言ったら失礼だけど非常に気が利いてて人当たりのいい人で。でも一部のママさんたちからはあまり評判が良くなかったっぽいけどどうしてなのかしらねえ」
授業参観に、普段ほとんど関りのないような親類がわざわざ来るもんだろうか。
だからその島村さんってばあさんは、たぶん定野と普段生活を共にしてるんだろう。しかしなぜまたばあさんなのか、母さんや父さんじゃダメなんだろうか。
「まあね、教室の生温かかった空気のせいで私はあなたに当たるまではちょっとぼーっとしてたのに島村さんはずいぶんと熱心な感じで定野君、いや教室全体を見てる感じで。あなたも目線を感じた?」
「俺は前を見る事に集中しているから」
「そうよね。でもせっかくの機会なんだから、普段子どもの話でしか聞かないクラスメイトの姿を見ておきたいなって思うのは当然の事よね」
子どもの話か——————ところであいつは婆さんに普段どんな風に俺らの事を話してるんだろう。言葉は出せないので話すと言うのはできないだろう。絵とか文でも書いて見せてるんだろうか。まあずいぶんと回りくどいやり方だ。
「おい箸が止まってるぞ」
「ああいけねえ」
キャベツをつまみながら俺は定野と婆さんの暮らしってのを考えてみた。目がないからテレビも見ねえだろうし、ゲームもしねえだろう。
ってか頭がないって事は、脳みそもねえんじゃねえのか?それじゃあこの前のテストの結果は何なんだよとなる。婆さんと話そうにも、口も耳もねえ。ひどく不自由な上に退屈な生活だと思う。俺だったら耐えられる気がしない。
「父さんは知ってるのかよ、定野の事」
「ああ一応な。母さんやお前から聞いた程度にはな」
「どう思う?」
「まじめでいい子だと思うけどな、だろ?」
「うん」
今回授業参観で母さんははっきりとその姿を見たと言うのに、特段大きな反応もしなかった。頭のない人間を、これまでの俺の三倍以上の人生で見慣れてるんだろうか。
父さんも多分、母さんから定野の姿を聞かされた所でふーんで終わらせるんだろう。何だか父さんも母さんも少しつまらねえ人間に見えて来た。
「俺の親父は役人だけどよ、一応そこそこは出世もして部下もできたんだよ。そうなると下っ端を見極める技術ってのも要求されるらしくてな」
「まあそうだよな」
授業参観の翌々日の月曜日の放課後、部活がないのでさっと帰ろうとすると少し重たそうな顔をした上田に呼び止められた。
まあ少しぐらいいいかと思って上田に従い校舎の隅っこへと向かうと、急にそんな身の上話をされた。上司ってのは部下をよく見て動かさなきゃならねえ、そうしなきゃ組織全体に問題が生じるもんなんだろう、多分。
「一緒に懇談会に参加した時に出会った定野の婆さんなんだけどさ、親父はその婆さんの事あんまり気に入らない感じだったな」
「どういう風にだ」
「誰も頼んでないのにパッパと動いて緑茶を全部の茶碗に入れてたらしくてよ、それでそれが終わると今度は年長者らしく表向きはしっかり話をまとめてる感じだったらしいけど、どうも何て言うかさ、風格って言葉あるだろ?あれがないんだって。何て言うかゴマすりって言うかさ、そういう臭いがしたって言ってたんだよ」
「ゴマすり?」
ゴマをするって言う言葉が、おべっかを使って相手によく思われようとするって事ぐらいは俺も知っている。しかし普通それをやるのは会社とかで上司に気に入られようとする部下がやる事じゃないんだろうか、授業参観の後の懇談会なんて基本的に横並びだろ。まあ俺にはPTAとかはよくわからないけどさ。
「その事、定野には無論言ってくれるなよ」
「もちろんだ、それでなぜまた俺に」
「お前は多分その島村さんに受けがよさそうだ、そう思っただけだよ」
なるほど、上っ面だけ見れば俺は優等生様だ。でも本当の優等生様が俺なんて一人称を使うか?俺が優秀なのはお勉強の成績とその成績を生み出す好んで(と言うか好き勝手に)勉強する姿勢ぐらいなもんだ。
外面がいいって言葉は、内側では何か良からぬ事をやらかしているって意味と取って構わねえはずだ。上田の言葉によれば、島村さんって人はかなり母さんたちにゴマをすっていたらしい、いい人間だと思われたくて必死って事か。
俺はそんなにいい人間と思われたくはない、塾にも行かず成績トップクラスになる生意気な奴だと思われてるんなら別にいい。一応通信教育受けてるって言いふらしてるつもりなんだけどな。
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